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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第1章:SPRING

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14/16

14.盤上にて競合する

 合同打ち上げは、駅前の居酒屋を貸し切って開かれた。

 入口の引き戸を開けると、おいしそうな油やタレの匂いや、煙草の苦い香りが一気に押し寄せる。次いで、賑やかな声に、グラスの音。壁には短冊メニューが並んでいる。すでに商品開発部と宣伝部の面々でごった返していた。


 わたしは、(つな)()課長の一歩後ろにぴったりと張り付いて暖簾をくぐった。


(下座に滑り込んでやり過ごそう……)


 そうして、紋切り型みたいな若手女いじりを捌き、にこやかにお酌をして穏便に終えるのだ。飲み会のコミュニケーションには作法がある。つまり、アルコールを物ともしない恵まれた肝臓さえあれば、対策は極めて容易である。仕事と考えれば、正解を当てるだけで心象が良くなるボーナスタイム。飲み代は会社持ちだし、ほどほどに楽しんでやろうと思っていた。


 しかし、その計算は早々に崩れ去った。


(つな)()課長! ささ、奥へどうぞ」


 商品開発部の課長が立ち上がり、一番奥の上座へと手招きする。

 (つな)()課長は「どうも」と短く返し、躊躇なく奥へと進む。

 視線が一斉にこちらへ向いた。普段は滅多に飲み会に顔を出さない(つな)()課長の登場に、座敷の空気がほんの少し引き締まる。そして、当の課長は、下座で立ち止まろうとしたわたしを振り返った。


形桐(かたぎり)、来い」


「え? いや、わたしは新参者ですし、入り口のほうで……」


「開発の責任者たちに顔を売る機会だ。横に座れ」


 そう言って(つな)()課長は、奥の上座を顎でしゃくった。


(えー! 嫌なんですけど!?)


 だが、反論の余地はなかった。

 わたしは商品開発部の視線を一身に浴びながら、座敷の奥深く、最も居心地の悪い上座へと連行された。強烈に明るいスポットライトのど真ん中に。


「維木課長が直々に連れてくるとは珍しいね」


 周囲から飛んでくる値踏みするような視線。それは(つな)()課長が認めたキーマンに対する興味と探りの目だった。それはありがたいのだが、ひどく居心地が悪い。


 最悪なことに、通された席の斜め向かいには、(さが)()主任が座っていた。目が合うと、彼は「奇遇ですね」とでも言うように微笑んだ。社交辞令の笑みだった。


 わたしはひきつりそうになる頬に力を込め、必死で営業スマイルを顔面に貼り付けた。


「……。えーと……。お疲れさまです!!」




 メニュー表が回ってくる。名嘉(なか)(じょう)くんが「とりあえず生を頼んどきますね」と幹事らしい声を出し、現原(ありはら)くんが「主任、灰皿こっち置きますね! 課長、おしぼりをどうぞ!」と完璧な若手ムーブで場に馴染んでいる。


「今回のリブランディング、よく回したな。お疲れ。――乾杯!」


「乾杯!」


 商品開発部の部長が述べる乾杯の音頭に、グラスが一斉に上がった。

 泡が喉を通ると、これまで溜まったストレスも洗い流されるような心地がして、身体が軽くなったような気分になる。

 わたしがグラスを空にしたところで、(さが)()主任が、静かに話しかけてきた。


「印刷に回した店頭用のPOPですが、火曜には倉庫に入りますよ」


 仕事の話題だ。ありがたい。攻略対象が並ぶ居心地の悪いこの空間で、実務の話ほどすがるのに丁度いいものはない。――話相手がまさにその〈攻略対象〉本人である、という一点に目を瞑れば。


「予定通りですね。水曜までには、わたしから各支店への発送手配をかけておきます」


 自分のタスクを宣言して、この場の主導権(と、自分の精神的な陣地)を確保しようとした。ところが。


「それは大丈夫です。新商品の初回納品分に同梱するよう、物流側に手配を済ませておきましたので」


 ……根回しが早すぎる。

 仕事相手としては最高だ。だが、今のわたしからやるべき仕事(タスク)を奪わないでほしい、というのが正直な気持ちだった。

 ただでさえ予測不能なこの盤上で、唯一コントロールできる手札を失いたくない。手持ち無沙汰は余計な思考を呼び寄せて、自分の立ち回りを振り返っては不要な自己嫌悪に陥ってしまう。精神衛生上、非常によろしくない。


「そ……それは、助かります。じゃあ、来週の宣伝部側の作業は……」


 なんとか別の段取りをひねり出して、自分のペースを取り戻そうと口を開きかけた瞬間だった。


「おーい、形桐(かたぎり)!」


 名嘉(なか)(じょう)くんが、瓶ビールを片手に下座からこちらへズカズカと寄ってきた。


「なに? お偉いさんに囲まれて固まってんの?」


「お疲れ、名嘉(なか)(じょう)くん」


 名嘉(なか)(じょう)くんは当然みたいに、(さが)()主任の隣に座った。パーソナルスペースなどお構いなしだ。


「あ、主任もお疲れさまです。今回はいろいろ手回しどうもです!」


 友好的だ。強引な割り込みを成立させるほどに。

 (さが)()主任はそんな名嘉(なか)(じょう)くんを歓迎するように微笑み、短く頷いた。


「お疲れさま。名嘉(なか)(じょう)の確認作業が早かったので、こちらも助かりましたよ」


 そのとき、名嘉(なか)(じょう)くんが空けたわずかな隙間を縫うように、「ちょっと名嘉(なか)(じょう)さん、すんません!」と現原(ありはら)くんが顔を出した。


「先輩! もう空いてるじゃないっすか。注ぎますよ!」


「あっ、うん。ありがとう、現原(ありはら)くん」


 現原(ありはら)くんがわたしのグラスに瓶ビールを注ぐ。瓶の口をグラスの内側に沿わせて注ぎ、ビールの泡をきれいに立てる。めちゃくちゃにこなれていた。

 名嘉(なか)(じょう)くんがすかさず「ビール注ぐのうまいな、現原(ありはら)!」と褒めてから、わたしにも笑いかけた。


形桐(かたぎり)も大変だったろ。文章、結構変わってたじゃん」


「まあね。板挟みになっちゃって」


「あんた、昔からほんとそういう貧乏くじ引くよな」


 名嘉(なか)(じょう)くんは笑う。軽い調子で、わたしの苦労を共有できるものとして、同期のノリで扱う。それが、彼の距離を詰めるやり方なのだ。

 わたしにとっては当たり前だが、そう思わない人がいたらしい。現原(ありはら)くんがビックリしたように声を上げた。


「え!? 形桐(かたぎり)さん、貧乏くじ引かされたんですか? おれ、なんか代わりますよ?」


「そんな大げさなものじゃないわよ。気にしないで、現原(ありはら)くん」


 ゲームの中のヒロインなら、こういう雑談で特定の誰かの好感度を上げるのだろう。だが、今のわたしには、誰かの好意に応える踏ん切りがつかない。

 わたしはなんとか場を中和しようと、グラスを持ち上げた。


「とりあえず、改めてみんな乾杯しよ!」


 わたしは笑って、話題を回した。案件の愚痴。撮影のドタバタ。


「そろそろ夏商戦も本番よね。秋の準備もあるし。名嘉(なか)(じょう)くんは来週も忙しいんじゃない?」


 話題を仕事に寄せる。距離を保つための調整だ。そして、名嘉(なか)(じょう)くんはそういう機微によく気が付く。案の定、「こわー」と笑った。


「すーぐ仕事の話かよ。ほんと変わんねえな」


「別にいいでしょ」


 会話は、わたしと名嘉(なか)(じょう)くんが中心になる。現原(ありはら)くんが「同期っていいっすねー」と少し羨ましそうに茶化す。


「で、形桐(かたぎり)は彼氏とかいないわけ?」


 名嘉(なか)(じょう)くんが、ふいに爆弾を投下した。

 ピタ、とわたしの周囲半径一メートルの空気が、一瞬だけ止まった気がした。


 現原(ありはら)くんが「えっ?」と目を丸くして、わたしの顔をまじまじと見る。

 (さが)()主任の視線が、こちらへ一度だけ向いて、すぐに逸らしてしまう。見たことを隠すみたいだった。


 我関せずという感じでメニューをめくっていた(つな)()課長が、パタンと音を立ててメニュー表を閉じた。


名嘉(なか)(じょう)。くだらん話題でうちの担当を消費するな」


 冷たい声だった。瞬間、名嘉(なか)(じょう)くんの顔から、同期に向けたへらへらした笑みが消えた。


「失礼しました。悪ノリが過ぎましたね」


 彼はスッと真顔に戻り、殊勝に頭を下げた。

 その様子をチラ見しながら、わたしは内心で深くため息をついた。


(こういう場面での立ち回りは、素直にかっこいいんだけどなぁ……)


 (つな)()課長がラインを引いた瞬間に、彼もまた仕事の顔に切り替えたのだ。この引き際の速さ、プライドに囚われない理知的な臨機応変さが名嘉(なか)(じょう)くんの賢さであり、(つな)()課長が一目置く理由でもあるのだろう。


 それよりも。

 攻略対象が並列に存在しているせいで干渉し合い、行動がどんどん複雑になっている。四人同時に絡むシーンなど、ゲームにあっただろうか? 四人で勝手に応酬し合うシーンなどなかったはずなのに。


 ここは疑似にしろ現実なのだ。――現実のように、生きてしまえる世界だ。

 だからこそ、早く帰らなければ。


(今はまだ猶予がある。急いで決める必要はない。まだ。だけど……)


 選びたくない。

 それが本音だ。だが、盤上に置かれているのはわたしも同じだ。同じ盤面に存在する以上、動かないこともまた自由意志の選択とみなされる。

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