14.盤上にて競合する
合同打ち上げは、駅前の居酒屋を貸し切って開かれた。
入口の引き戸を開けると、おいしそうな油やタレの匂いや、煙草の苦い香りが一気に押し寄せる。次いで、賑やかな声に、グラスの音。壁には短冊メニューが並んでいる。すでに商品開発部と宣伝部の面々でごった返していた。
わたしは、維木課長の一歩後ろにぴったりと張り付いて暖簾をくぐった。
(下座に滑り込んでやり過ごそう……)
そうして、紋切り型みたいな若手女いじりを捌き、にこやかにお酌をして穏便に終えるのだ。飲み会のコミュニケーションには作法がある。つまり、アルコールを物ともしない恵まれた肝臓さえあれば、対策は極めて容易である。仕事と考えれば、正解を当てるだけで心象が良くなるボーナスタイム。飲み代は会社持ちだし、ほどほどに楽しんでやろうと思っていた。
しかし、その計算は早々に崩れ去った。
「維木課長! ささ、奥へどうぞ」
商品開発部の課長が立ち上がり、一番奥の上座へと手招きする。
維木課長は「どうも」と短く返し、躊躇なく奥へと進む。
視線が一斉にこちらへ向いた。普段は滅多に飲み会に顔を出さない維木課長の登場に、座敷の空気がほんの少し引き締まる。そして、当の課長は、下座で立ち止まろうとしたわたしを振り返った。
「形桐、来い」
「え? いや、わたしは新参者ですし、入り口のほうで……」
「開発の責任者たちに顔を売る機会だ。横に座れ」
そう言って維木課長は、奥の上座を顎でしゃくった。
(えー! 嫌なんですけど!?)
だが、反論の余地はなかった。
わたしは商品開発部の視線を一身に浴びながら、座敷の奥深く、最も居心地の悪い上座へと連行された。強烈に明るいスポットライトのど真ん中に。
「維木課長が直々に連れてくるとは珍しいね」
周囲から飛んでくる値踏みするような視線。それは維木課長が認めたキーマンに対する興味と探りの目だった。それはありがたいのだが、ひどく居心地が悪い。
最悪なことに、通された席の斜め向かいには、相果主任が座っていた。目が合うと、彼は「奇遇ですね」とでも言うように微笑んだ。社交辞令の笑みだった。
わたしはひきつりそうになる頬に力を込め、必死で営業スマイルを顔面に貼り付けた。
「……。えーと……。お疲れさまです!!」
メニュー表が回ってくる。名嘉城くんが「とりあえず生を頼んどきますね」と幹事らしい声を出し、現原くんが「主任、灰皿こっち置きますね! 課長、おしぼりをどうぞ!」と完璧な若手ムーブで場に馴染んでいる。
「今回のリブランディング、よく回したな。お疲れ。――乾杯!」
「乾杯!」
商品開発部の部長が述べる乾杯の音頭に、グラスが一斉に上がった。
泡が喉を通ると、これまで溜まったストレスも洗い流されるような心地がして、身体が軽くなったような気分になる。
わたしがグラスを空にしたところで、相果主任が、静かに話しかけてきた。
「印刷に回した店頭用のPOPですが、火曜には倉庫に入りますよ」
仕事の話題だ。ありがたい。攻略対象が並ぶ居心地の悪いこの空間で、実務の話ほどすがるのに丁度いいものはない。――話相手がまさにその〈攻略対象〉本人である、という一点に目を瞑れば。
「予定通りですね。水曜までには、わたしから各支店への発送手配をかけておきます」
自分のタスクを宣言して、この場の主導権(と、自分の精神的な陣地)を確保しようとした。ところが。
「それは大丈夫です。新商品の初回納品分に同梱するよう、物流側に手配を済ませておきましたので」
……根回しが早すぎる。
仕事相手としては最高だ。だが、今のわたしからやるべき仕事を奪わないでほしい、というのが正直な気持ちだった。
ただでさえ予測不能なこの盤上で、唯一コントロールできる手札を失いたくない。手持ち無沙汰は余計な思考を呼び寄せて、自分の立ち回りを振り返っては不要な自己嫌悪に陥ってしまう。精神衛生上、非常によろしくない。
「そ……それは、助かります。じゃあ、来週の宣伝部側の作業は……」
なんとか別の段取りをひねり出して、自分のペースを取り戻そうと口を開きかけた瞬間だった。
「おーい、形桐!」
名嘉城くんが、瓶ビールを片手に下座からこちらへズカズカと寄ってきた。
「なに? お偉いさんに囲まれて固まってんの?」
「お疲れ、名嘉城くん」
名嘉城くんは当然みたいに、相果主任の隣に座った。パーソナルスペースなどお構いなしだ。
「あ、主任もお疲れさまです。今回はいろいろ手回しどうもです!」
友好的だ。強引な割り込みを成立させるほどに。
相果主任はそんな名嘉城くんを歓迎するように微笑み、短く頷いた。
「お疲れさま。名嘉城の確認作業が早かったので、こちらも助かりましたよ」
そのとき、名嘉城くんが空けたわずかな隙間を縫うように、「ちょっと名嘉城さん、すんません!」と現原くんが顔を出した。
「先輩! もう空いてるじゃないっすか。注ぎますよ!」
「あっ、うん。ありがとう、現原くん」
現原くんがわたしのグラスに瓶ビールを注ぐ。瓶の口をグラスの内側に沿わせて注ぎ、ビールの泡をきれいに立てる。めちゃくちゃにこなれていた。
名嘉城くんがすかさず「ビール注ぐのうまいな、現原!」と褒めてから、わたしにも笑いかけた。
「形桐も大変だったろ。文章、結構変わってたじゃん」
「まあね。板挟みになっちゃって」
「あんた、昔からほんとそういう貧乏くじ引くよな」
名嘉城くんは笑う。軽い調子で、わたしの苦労を共有できるものとして、同期のノリで扱う。それが、彼の距離を詰めるやり方なのだ。
わたしにとっては当たり前だが、そう思わない人がいたらしい。現原くんがビックリしたように声を上げた。
「え!? 形桐さん、貧乏くじ引かされたんですか? おれ、なんか代わりますよ?」
「そんな大げさなものじゃないわよ。気にしないで、現原くん」
ゲームの中のヒロインなら、こういう雑談で特定の誰かの好感度を上げるのだろう。だが、今のわたしには、誰かの好意に応える踏ん切りがつかない。
わたしはなんとか場を中和しようと、グラスを持ち上げた。
「とりあえず、改めてみんな乾杯しよ!」
わたしは笑って、話題を回した。案件の愚痴。撮影のドタバタ。
「そろそろ夏商戦も本番よね。秋の準備もあるし。名嘉城くんは来週も忙しいんじゃない?」
話題を仕事に寄せる。距離を保つための調整だ。そして、名嘉城くんはそういう機微によく気が付く。案の定、「こわー」と笑った。
「すーぐ仕事の話かよ。ほんと変わんねえな」
「別にいいでしょ」
会話は、わたしと名嘉城くんが中心になる。現原くんが「同期っていいっすねー」と少し羨ましそうに茶化す。
「で、形桐は彼氏とかいないわけ?」
名嘉城くんが、ふいに爆弾を投下した。
ピタ、とわたしの周囲半径一メートルの空気が、一瞬だけ止まった気がした。
現原くんが「えっ?」と目を丸くして、わたしの顔をまじまじと見る。
相果主任の視線が、こちらへ一度だけ向いて、すぐに逸らしてしまう。見たことを隠すみたいだった。
我関せずという感じでメニューをめくっていた維木課長が、パタンと音を立ててメニュー表を閉じた。
「名嘉城。くだらん話題でうちの担当を消費するな」
冷たい声だった。瞬間、名嘉城くんの顔から、同期に向けたへらへらした笑みが消えた。
「失礼しました。悪ノリが過ぎましたね」
彼はスッと真顔に戻り、殊勝に頭を下げた。
その様子をチラ見しながら、わたしは内心で深くため息をついた。
(こういう場面での立ち回りは、素直にかっこいいんだけどなぁ……)
維木課長がラインを引いた瞬間に、彼もまた仕事の顔に切り替えたのだ。この引き際の速さ、プライドに囚われない理知的な臨機応変さが名嘉城くんの賢さであり、維木課長が一目置く理由でもあるのだろう。
それよりも。
攻略対象が並列に存在しているせいで干渉し合い、行動がどんどん複雑になっている。四人同時に絡むシーンなど、ゲームにあっただろうか? 四人で勝手に応酬し合うシーンなどなかったはずなのに。
ここは疑似にしろ現実なのだ。――現実のように、生きてしまえる世界だ。
だからこそ、早く帰らなければ。
(今はまだ猶予がある。急いで決める必要はない。まだ。だけど……)
選びたくない。
それが本音だ。だが、盤上に置かれているのはわたしも同じだ。同じ盤面に存在する以上、動かないこともまた自由意志の選択とみなされる。




