終章・第2場 王子の訪問
春の風が、穏やかに丘を渡っていた。
グランツ領の街道を、一台の馬車が静かに進む。
かつてこの道を通るとき、王都の使者は人々に怯えられた。
今は違う。
畑を耕す民たちは、汗を拭いながら微笑み、軽く頭を下げて見送る。
馬車の中、アラン王子はその光景を見て、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
どこか遠い世界のように思えた北の地が――
今は、最も“生きている”場所に見える。
やがて馬車が止まり、彼はゆっくりと外に降り立った。
以前よりも顔つきは精悍で、動きにも無駄がない。
鍛錬を重ねた者だけが持つ、自然な重心の安定。
館の前、春の光の中に立つひとりの女性。
エリザベート・グランツ。
かつて王都で「悪役令嬢」と呼ばれた彼女は、今、領地の“支柱”として立っている。
アランは一歩近づき、深く息を吸った。
そして、かすかに笑みを浮かべて言う。
「私はまだ、あなたのように強くはなれません。」
その言葉に、エリザベートも微笑む。
風が彼女の髪を揺らし、頬を撫でた。
「筋肉は、急がずとも育ちます。」
アランは少しうつむき、頷いた。
その顔にはもう、かつての迷いも傲慢もなかった。
ふたりの間に沈黙が落ちる。
しかしそれは、気まずさではなく――
互いが歩んだ歳月への、静かな敬意の沈黙だった。
鳥の声が響く。
エリザベートは背を向け、領地を見渡す。
「王子、あの頃の私たちは、焦っていたのかもしれませんね。」
「ええ。神を探してばかりで、自分の体の声を聞いていなかった。」
微笑み合うふたり。
過去の痛みは、もはや傷ではなく、鍛えられた筋のように彼らを支えていた。




