終章:沈黙の祈り
―筋肉は神に近づくための形―
終章・第1場 静かなグランツ領
――春。雪解けの風が、北の大地を柔らかく撫でていた。
陽光に濡れた畑の上で、村人たちが列を成す。
誰も言葉を発しない。
ただ、鐘の音が一度だけ鳴ると、全員が同じ動作で深く息を吸い、ゆっくりと腕を上げた。
その動きは祈りにも似て、しかし祈りではなかった。
かつては“奇異”と呼ばれた行為も、今では生活の始まりを告げる合図となっている。
朝の空気が肺を満たし、筋肉が呼吸するたび、村のあちこちで土の香りと生命の熱が溶け合っていく。
その中央に、エリザベート・グランツが立っていた。
白衣の上に薄い外套を纏い、腰には農具。
背筋はまっすぐで、目を閉じたまま動かない。
ただ、立っているだけで、周囲の空気が凛と整う。
彼女の瞳がゆっくりと開く。
その眼差しは柔らかくも深く――かつて王都の崩壊を見届けた者だけが持つ、静かな強さを宿していた。
「今日も、正しく在りましょう。」
その声は小さく、しかし村中に響いた。
誰も返事をしない。
代わりに、全員が背筋を伸ばし、動き始める。
鍬を振る音。
息を整える音。
それらがひとつになり、まるでひとつの大きな心臓が鼓動しているかのようだった。
――もう、誰も飢えていない。
――誰も祈りの言葉を必要としていない。
ただ、呼吸があり、筋肉があり、
そこに“生”が在った。




