第6場 小さな救済 ―呼吸の祈り―
夜明け前の、冷たい風が吹く小屋の中。
息の浅い音が、布団の下からかすかに漏れていた。
幼い少年――トマス。
村で一番元気だった子が、数日前から倒れ、
今は顔色を失っている。
「薬が……ないんです……!」
母親が泣き崩れるように言った。
「お嬢様、どうか……何でもします、あの子を……」
エリザベートは、静かに頷いた。
彼女の動きはゆっくりで、しかし一点の迷いもない。
「泣かないでください。涙は呼吸を乱します。」
母親がハッと息を呑む。
その隙に、エリザベートは少年の枕元へ進み、膝をついた。
指先で彼の手を包み込む。
小さな掌は、氷のように冷たかった。
「呼吸を整えましょう。生きるために、まずは動くのです。」
彼女は自分の胸に手を当て、
ゆっくりと、静かに吸い込む。
――すぅ……
それから、吐く。
――はぁ……
息の音が、部屋に響く。
まるで祈りの旋律のように。
少年のまつげが、わずかに揺れた。
「……息が……」
母親が囁く。
「真似をしましょう。息を、合わせて。」
エリザベートが導くように言うと、
周りにいた村人たちも、戸惑いながら息を吸った。
ひとつ。
ふたつ。
やがて、十人近い人々が、同じ呼吸をしていた。
静かな、温かな空気が満ちていく。
トマスの胸が、かすかに上下する。
そのたびに、か細い声が漏れた。
「……あったかい……」
その瞬間、母親の目から涙があふれた。
それは、悲しみではなく――安堵の涙。
「お嬢様……まるで、奇跡のようだ……!」
エリザベートは微笑まず、ただ少年の額に手を置いた。
「奇跡ではありません。習慣です。」
焚き火の光が、彼女の横顔を照らす。
その影はまるで、静かに息づく祈りの女神のようだった。
その日以降、グランツの村では、
病人が出ると「呼吸の礼拝」が行われるようになった。
人々は信じた――
筋肉の動きと、呼吸の律動こそが、
生命を支える最も古い祈りなのだと。




