第5場 訪問:役人の視察 ―沈黙の秩序―
数週間後。
雪が解け、グランツ領にようやく春の兆しが差し込む。
その朝、王都の紋章を掲げた馬車が、村の道を進んでいた。
揺れる金の飾り、磨かれた靴、鼻を覆う香油の匂い。
そこに座るのは、王国行政局の視察官――リュディガー・ハウエン。
彼の任務は、領地の再生状況を確認し、王へ報告すること。
だが、彼の目に映った光景は、報告の言葉を失わせた。
――村中の人間が、動いていた。
畑で、雪解けの土を耕す者。
広場で、薪を割る者。
井戸端で、桶を担ぎ、腕を張る者。
そのすべてが、同じリズムで。
同じ呼吸で。
まるで、無言の合唱のように。
筋肉が、整っていた。
老いも若きも、肩と背に明確な線を刻み、
ひとつの種族のように同じ姿勢をしている。
リュディガーは震える声で呟いた。
「なぜ民が……全員、筋肉を……?」
返答はなかった。
代わりに、畑の中央で鍬を振るう女の姿が見えた。
エリザベート・フォン・グランツ。
その背筋は真っ直ぐに空を指し、
一切の誇張もなく、ただ「均整」の象徴のようだった。
視察官は馬から降りる。
靴が泥を踏み、音を立てた瞬間――
村全体の動きが、同時に止まった。
静寂。
息を呑むほどの秩序。
やがて、彼女が振り返る。
瞳は静かに澄み、微笑すらない。
「王都より、お越しくださり感謝いたします。」
リュディガーは慌てて言葉を探した。
「い、いや……これは、一体……? この人々は、何をして……」
「これが私たちの“秩序”です。」
その言葉には、疑問を拒むような強度があった。
信仰でもなく、命令でもない。
ただ、確立された“存在の姿勢”。
風が吹き抜ける。
再び、村人たちは一斉に鍬を振り始めた。
リュディガーの目には、それが祈りの儀式のように映った。
その後、視察官は何も言えず、
一礼だけして村を後にした。
王都に戻り、彼が提出した報告書にはこう書かれていた。
『領地は穏やかである。理由は不明。』
その報告書は、王国の記録庫の片隅に保管され、
誰の目にも留まらなかった――
ただ、数年後、“筋肉による再生領”として再調査されるまでは。




