第3場 始動:鍛錬という労働 ―動くこと、それが祈り―
翌朝。
雪はまだ深く、空気は刃のように冷たい。
それでも、村の中央にはひとりの女が立っていた。
黒髪を束ね、背筋を貫くように伸ばし、
白い息をまっすぐ前へと吐き出す。
エリザベート・フォン・グランツ。
その手には、鍬。
貴族の指に似つかわしくない、粗末で重い鉄の柄を、
彼女はまるで聖具のように両手で握っていた。
「動かない身体には、救済は宿りません。」
その声は凛として、冷気を割った。
村人たちは戸惑う。
貴族が畑を耕すなど、聞いたこともない。
その姿に、どこか恐ろしいほどの静けさがあった。
彼女はドレスの裾を結び、雪に沈む畑へ踏み出す。
そして、ためらいなく鍬を振り下ろした。
ザクッ――。
凍った土が割れ、白い息が舞う。
その一撃に、何かが始まった。
もう一度、もう一度。
リズムが生まれ、呼吸が整う。
彼女は汗を流していた。
だが、苦痛の表情はない。
まるで、祈りを捧げているかのように静かだった。
最初のうちは、村人たちはただ見ていた。
「お嬢様が……」「そんなことを……」と囁きながら。
けれど、やがて一人の若者が鍬を取る。
その手は震えていたが、彼もまた振り下ろす。
ザクッ。
次に、隣の老人が腰を上げる。
子を背負った母が続く。
鍬の音が、増えていく。
雪の下に眠っていた大地が、ゆっくりと呼吸を始めた。
「ああ……身体が、温かい……」
「動くと、空腹が……でも、気持ちが……」
誰かが笑った。
その笑いは、風に溶け、次の笑いを呼ぶ。
その瞬間、村に初めて“音”が戻った。
鍬の音、息の音、そして笑いの音。
それらすべてが、
まるで大地の鼓動のように響いていた。
エリザベートはその中心で、
静かに鍬を立て、空を見上げた。
「――良い姿勢です。筋肉が、目を覚ましています。」
その声に、誰もが背を伸ばす。
白い息が一斉に空へ昇る。
それは、祈りの煙のようだった。




