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5-5 匿名ラブレター(後編)

 俺は欄干にもたれ、空を仰いだ。雲が月を呑み込み、何も見えない。まるで今の状況のように。彼らが光の中にいる一方で、俺が向かうのは限りない闇だけだ。


 ここでは時間が止まったようで、すべてが静止している。


 みんなを嫌っているわけじゃない。だが、この誕生会はやはり好きになれなかった。


 最初から期待など、抱いていなかったのだ。


 目を閉じ、胸の奥でざらつくこの嫌な感情を、少しでも薄めようとする。


 エアコンの稼働音、車の走行音、階下のテレビの音――


 そして、スライドドアが開く音。


 誰かが近づいた気配に目を開けると、夜風に揺れる髪が月光を受けて瞬き、世界に色が戻った。


 いつの間にか雲が割れ、月光がベランダを照らしている。


 葉子薰が欄干に手を添え、音もなく俺の隣に立った。俺の真似をするように空を見上げている。


「中では、みんなトランプしてる。」彼女が言う。


「君は行かないのか?」


「あなたがここで何してるのか気になって。……夜景、見てたのね。」


 夜色を映した彼女の瞳は、幾重にも光を帯び、俺は本能的に視線を外せなくなる。


「あなた、ずっと嘘をついてきたでしょう?」


 息が止まり、反射的に顔を背ける。「……何の話だ。」しらばっくれることで逃げ切れると思っていた。


「亞鈞の件、千柚の件、シェニーの件、慈軒の件。どれも納得のいく推理を出したけど……何かが違う気がしてた。


 でも王郁靜の件で確信したの。あなたは全部わかっていて、都合の悪い部分を“整えて”いた。――みんなが望む結果に。」


 覚悟はしていたが、いざ言葉にされると胸の奥が冷たくなる。


 俺がついてきた嘘を、彼女はすべて見抜いていた。


 きっとあの日、あの場で突発的に動いた報いだ。


 俺という愚かな人間に、天が下した罰。


「謝っても、もう許されないことはわかってる。でも……」せめて、嫌わないでくれ。


「“嫌われるとわかってても、それを選ぶことに意味がある”――昔、そう言ったの覚えてる?」


 彼女はそっと髪を押さえ、月光を受けて笑った。


 俺は頷く。


「必要もない嘘をついて、バレる危険を冒してまで、本人にも気づかせずに真実を包んだ。


 ――それは、何のため?」


 答えられない。


「人を守ろうとする、その優しさが、好きだよ。」


「でも、俺は君の告白のチャンスを壊した。」胸が熱くなり、言葉があふれる。「守るためじゃない。ただの打算、自己満足だ。」


 今度は彼女が沈黙した。


「俺は、君が沈辰澤に告白するのが嫌だった。それだけなんだ。」


 感情を抑えきれずに吐き出す。


「だから、あの日――勝手に体が動いた。君の計画を壊したくて。」


 場違いだ。なぜこんなことを口にしている?


「ふ~ん? どうして嫌だったの?」


 彼女は一歩近づき、挑むような笑みを浮かべる。「弁解、聞いてあげる。」


「そ、そんなの……好感度が足りないうちに告白しても、振られたら終わりだろ!? 一度拒まれたら八割は復活できないって聞いたことあるし!」


 顔が熱い。


「ぷっ……」彼女は吹き出した。まるで冗談でも聞いたかのように。


 ――馬鹿だ、俺。


 だが、もうここまで来たら馬鹿でいい。


「これ。」


 ポケットから小さな包みを取り出し、彼女に渡す。


 彼女は慎重にリボンを解き、中から取り出した。紫と青のグラデーションがかかった三色スミレの髪留め。


「……綺麗。これ、私に?」宝物のように両手で包みながら尋ねる。


「前に髪留めなくしたって言ってただろ。……あ、でも、これは沈辰澤のプレゼント探してる時にたまたま見つけて――」


「ありがとう。すごく気に入った。」


 世界が彼女の笑顔で止まった。呼吸を忘れる。


 彼女はためらいなく髪留めを留める。鏡も見ず、指先で髪を整えて俺に向き直る。


「どう? 似合う?」


 胸の中が熱く、何も言葉が見つからない。


 それでも、やっと出たのは二文字だった。


「悪くない。」


「悪くない、だけ?」


 大げさに目をぱちぱちさせ、ポーズを決めてくる。そのぎこちなさに笑いがこみ上げる。


「だめ、笑いすぎて涙出た。」


 袖で涙を拭った瞬間、彼女が小さな紙袋を差し出した。リボン付きの可愛い包装。


「沈辰澤へのプレゼント……まだ渡してなかったのか?」


「おかしい?」


「少し。……で、なんで俺に?」


 受け取るのをためらうと、彼女の視線が“早く取れ”と訴えてくる。


 仕方なく受け取り、開ける。


 中には、白地に緑の葉の模様が散ったハンカチ。


「次に女の子が泣いたら、ティッシュじゃなくて、これを渡すの。」


 唇は笑っているのに、目は全然笑ってない。――この人、根に持つタイプだ。


 嬉しい。でも、やっぱり疑問が浮かぶ。


「なんで、俺に?」


 彼女は小さく微笑んだ。


「お・た・ん・じょ・う・び・お・め・で・と。」


 たった一言で、頭の中が真っ白になる。


 この会が始まってからずっと、逃げ出したいと思っていた。


 これは沈辰澤のための誕生日会。


 ――李奧辛の、ではない。


「どうして、俺の誕生日を知ってる?」学校では誰にも言っていないのに。


 彼女は背後で手を組み、月明かりを髪に宿した。


「どうして私が君を無理やり呼んだのか。どうして君の誕生日を知ってて、みんなには言わなかったのか。――わかる?」


 軽く腰をかがめ、上目づかいに覗き込む。からかうような光と、真剣なまなざしが交錯する。


 言葉が出ない。


 簡単な答えなのに、あり得ない答え。


 彼女の顔が近づく。俺は逃げない。喉を鳴らす音まで聞かれてしまう距離。


「女の子の策を甘く見ないでね。いつか痛い目見るよ?」


 唇からふわりと香る甘い匂い。勝ち誇った笑み。


 ……降参だ。


 俺は彼女の肩をつかみ、距離を保つ。


「もしこれが罰ゲームなら、二回まばたきしてくれ。」


 彼女は一瞬固まり、すぐに呆れ顔になる。


「うんうん、そうよ。罰ゲームで、あなただけが誕生日を知られてると装って、女の心機を見せつけようとして、全部演技。ほんと、そう。」


 ……徐亞鈞みたいな早口芸を、いつの間に覚えたんだ。


「はは、やっぱりね。」俺は頭をかいた。逃げた。最低だ。


 彼女は再び俺を見る。その瞳は星を宿していた。


「最初に“配角行為守則”の話を聞いたとき、ずっと考えてた。あなたがそれにこだわる理由。何を得たいのか。……でも違った。


 本当に探すべきは、“何があなたをそうさせたのか”だったの。」


 彼女は静かに続ける。


「現実の痛みから逃れるために、“別の自分”を想像して心を守る人がいる。あなたもそう。自分を脇役に見立てて行動原則を作ったのは、苦しみをやり過ごすため。


 それは多重人格じゃない。ただの防衛本能。だから私は気づけなかった。」


 そこまで見抜くとは思わなかった。


 けれど不思議と、不快ではない。むしろ心が軽くなる。


「転校初日に、記憶力がいいって言っただろ。観察力までとは思わなかった。」


「だって、ずっと見てたから。……いや、席が前だから視界に入るって意味!」慌てて補足する。


「その通りだ。俺はそうやって、自分を保ってた。」


 拳を握りしめたまま、腕が震える。


 彼女はそっと俺の手首を包み、握り込んだ拳を一つずつほどいていく。


 彼女の指先はまるで鎮静剤のようで、触れられた瞬間、すべての緊張がほどけた。


 そして、そっと俺の手を取る。誘うように、絡めるように。


「どんなに“別の自分”を装っても、身体は嘘をつかない。」


 彼女は視線を下げ、指先を見せる。「手のひらに汗、鼓動が速く、握る力が強くなって、少しずつ距離が縮む。目だけが逃げてる――それが嘘の証拠。


 他人を信じられないなら、たまには自分を信じてみて?」


 銀の光を宿した睫毛が瞬き、沈黙の間に落ちた。


 頑なでいると多くを失う。けれど、譲ったところで何も変わらない。


 素直になることが、こんなに難しいのに、彼女の言葉一つで、なぜか簡単に思えてしまう。


「俺は臆病で、自分を信じられない。」


 手を離し、消えかけた温もりを握りしめる。


「でも、君は信じられる。信じたい。」


 もしこれを他の誰かに言ったなら、違う結末だったろう。


「うん、任せて。」彼女は笑い、スマホを取り出すと俺を引き寄せた。


「ね、写真撮ろ。」


 な、なんで? 写真なんて初めてだ。何すれば? ピース?


「ほら、四本指を揃えて、親指をこう曲げて――はい、それを真ん中で合わせるの。」


 言われるままポーズを取る。……何だこれ、流行ってるのか?


「じゃ、笑って。3、2……」


 横目で見ると、彼女も同じポーズ。合わせると、ハートの形になっていた。


「1!」


 シャッター音。俺はすぐ背を向ける。背後で悲鳴。


「ちょ、ひどーい!」


 彼女はスマホを振り回して抗議。


 俺は、最後の瞬間にハートを“親指グッ”に変えたのだ。


「は、はは……」と笑いかけたその時、ドアが開き、林千柚が顔を出す。


「子薰、代わって! もう漏れそう!」


 脚をクロスして小刻みに跳ねる姿が切実だ。


「わかったわかった、早く行って。」


 彼女は笑いながらドアへ向かう。俺は咄嗟に呼び止めた。


「待って!」


 振り返る。


「髪留め、その……」


「“あなたからもらった”って言わなきゃいいんでしょ?」


 悪戯っぽく笑い、「でもハンカチは“私から”って言っていいからね~」


 そう言ってドアを閉める。


 再び静寂が戻る。


 ……この柄、持ち歩くの勇気いるな。


 みんなが再び騒ぎ始めても、俺は外に残ったまま、心を落ち着けていた。


 ほどなくスマホが震え、通知を見る。――葉子薰のSNS投稿。


 嫌な予感しかしない。開く。


 やっぱり。投稿から一分も経たずに“いいね”が倍々に増えている。


「……」


 そこには、さっきのツーショット。


 彼女はいつもより眩しい笑顔で、俺はまぬけな顔。


 手の形が左右逆で、まるで“完成したハート”のように見える。


 『忘れないで。あなたの物語の主役は、あなた自身。』

 #誕生日おめでとう #オーシン家のベランダ #プレゼント


 ……この文面、この写真。この誤解を避けるのは不可能だ。


 明日の教室が目に浮かぶ。


 人だかり、質問の嵐――「付き合ってるの?」「なんで家に?」「誰の誕生日?」「どんなプレゼント?」


 面倒だが、俺なら何とかできる。


 彼女以外の全員を納得させる、“推理”を演じればいい。


 ハンカチを丁寧に畳んでポケットにしまい、ぼやけた夜の中へと目を細める。


 ――まるで、過去の自分に別れを告げるように、二度まばたきしてから、ゆっくりと部屋へ戻った。

 この学園ラブコメは、まだ終わらない。


 葉子薰はきっと、また理由を作って俺を巻き込むだろう。


 だからこれからも――


 虚飾の推理で、命をつなぐように、生き延びていく。

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