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5-2 匿名ラブレター(後編)

 「……オーシン!」

 ドアが勢いよく開く音に思わず肩が跳ねた。振り向くと林千柚だった。

 学校名入りのバド部のドライTとショートパンツ。前髪は汗で額に貼りつき、息は上がりっぱなし。練習を終えるや否や全力で駆けてきたのだろう。


「な、何の用だ?」


 答えずに一歩で間合いを詰め、俺の肩をがしっと掴む。至近距離で、上気した頬や鎖骨を伝う汗がはっきり見えた。

 しゃべるかと思えば、彼女はその姿勢のまま天井を仰いで何度も呼吸を整える。


「オーシン!」鋭い眼差し。――ああ、体力を使い切って“賢い千柚”に戻ったな。


「体力温存のために、要点だけ言え。」


「さっきの“あの三文字”、どこで見たか思い出した!」

 汗が俺の腕に落ちても、気持ち悪いと叫ぶ暇はない。耳をそばだてる。


「そ、その文字は卒業アルバム! 手紙の字がモノクロだからピンと来なかったけど、あのフォント、卒業アルバムのやつ……」


「中学……一つ上の学年のか?」

 推理メモの余白に〈卒業アルバム〉と書き加える。


 彼女は肩から手を離し、頭をかいた。

「はは……どの学年かは忘れた。」


 ……戻ったな。


 その時、スマホが何度も震えた。郭慈軒からのメッセージだ。

「画像が……多いな。」


 雑誌と手紙の活字を照合したスクショが八枚届いていた。


 Cicilia Guo:まだ見つけてない字もあるけど、大半は拾えた。地理・英語・ビジネス系の雑誌で使われる体裁の活字よ。

 :助かった。大きな手掛かりだ。

 Cicilia Guo:適当にめくったら出てきただけ。私には朝飯前。


 ……家に帰るなり総当たりで探してくれたくせに、強がる。

 メモに〈地理・英語・ビジネス雑誌〉も追記。


 卒アルは(外していなければ)辰澤の学年のもの。どの家にも一冊はあるはず。雑誌も手に入りやすい。

 ――これを使って匿名のラブレターを作るのは誰だ?


 ぐう、と腹が鳴る。頭を使いすぎた。今日はここまでにしよう。

 両親は外出で、夕飯は自分で調達だ。


「……ハンバーグが食べたくて来たってわけ?」


 そう、俺は「おいしい屋」に来ていた。郭慈軒は厨房でバイト中。


「コックコート、見慣れないな。」

 男女共通の白いコック服。ホールみたいに男女で制服が分かれていない。


「余計なお世話。せっかく協力してあげたのに、私のこと見に来たわけ? それと、バイトの件、誰かにしゃべってないでしょうね?」


 客に説教している図にしか見えない。クレーム入れたらサービス一品、いけるか?


「他には話してない。知ってるのは葉子薰だけだ。あいつが“なんでそんなに自分を嫌うのか教えろ”ってしつこくて、頼まれたからだ。」


「ふん、彼女には忠犬ね。」

 露骨に機嫌が悪い顔。


「誤解だ。ほとんど脅されてるのと同じだった。脅迫されて従うのは忠義とは言わない。」


「……そう。」

 あっさり信じられても、それはそれで困る。


「で、うちの雑誌、半分ももって来て何してんの?」


 確かに言うとおり、客用の雑誌を山積みにしている。

「送ってくれた画像と照合だ。シリーズごとに書体が違うんだな。」


 娯楽、ファッション、旅行。本文の明朝体を除けば違いは分かりやすい。


「気に入ったなら、来月入れ替えるときに取っといてあげる。」

 そう言ってふんと横を向くと、「同級生が来たなら顔出せ」と店長に言われただけ、と任務完了の顔で厨房に戻っていく。

 髪をすべて収めるコック帽なのに、つい癖で“髪を払う”仕草をしてしまうのが可笑しい。撮っておけば脅しのネタになったのに。


 ──翌朝。七時前に学校で溫苡蓉と待ち合わせた。管制棚に、中学の一学年前の卒業アルバムがあると知っていたからだ。


「かくも早く呼びつけたのは、この櫃を開けさせるためであるな?」


「昨日、林千柚が言ってた。手紙の『沈辰澤』の三文字、多分この卒アルのフォントだ。」

 重い冊子を左手に支え、ページを繰る。


「あなた、この学校の持ち上がりじゃないの? アルバム、買ってないの?」


「中学は別の学校だ。」理由は省く。


「なら誰かに借りれば?」

 落ち着かない様子で周囲を見回す溫苡蓉。人に見られるのが怖いのだろう。

 彼女を呼んだのには理由がある。


「家にあるか?」


「……買ってない。」


「買う気はあったのか?」


「なくはないが、家に置き場がなくて。」


 俺も買っていない。理由は、みんなとはたぶん違うが。


「本人に借り歩くと気づかれる。手を打たれると厄介だ。……あ、あった。」


 沈辰澤の卒業写真。

「今と大差ないな。」まあ、卒業からそう時間は経っていない。


「否。髪の長さ、今は昔に勝る。」

 鼻を高くして腰に手を当て、けらけら笑う。――なぜお前が誇らしげなんだ。


 写真の名前と手紙の三文字を見比べる。確かに同じ書体。だが手紙の方は、汚れが目立つ。

 ……ん? ページの縁にも、蟻のような黒点の汚れ。


 だが、このアルバムの「沈辰澤」にはその汚れがない。

 つまり、同じ汚れのあるアルバムを持っている人物を見つければ、匿名者に辿り着ける――はずだ。


「きゃあっ!!」

 突然の大声に鼓膜が軋む。


「なんで急に叫ぶ。」


 彼女は指で汚れをこすった。消そうとしているらしい。

「この棚の本は“保存用”。汚したのが見つかったら、調査されるやもしれぬ……」

 珍しく取り乱している。


「そんなにマズいのか。」


 指腹でそっと擦っても、びくともしない。諦めて手を離す。


「わたくしが鍵を開けたことは秘せ。よいな?」

「わ、分かった。」頼んだ手前、当然だ。


 アルバムの埃を軽く払って元の位置へ。鍵を閉め、カウンターの引き出しに戻す。最初から何もなかった顔で。


「せっかく来たし、一冊借りていくか?」

 時計を見て彼女が苦笑する。「いや、この時間に図書室へ来る者などおらぬな……」


 貸出――か。


 貸出。


 貸出……。


「うわっ!」


「な、何よ今度は。」ポニーテールが三回しなる。


「な、何でもない。手掛かりが見つかった気がしたが、勘違いだった。」

 頭をかいてごまかした。


 図書室を出ると、一人で反対側の階段へ。紙とペンで仮説を書き殴る。


 ――そうか。そういうことか。


 どうりで、ずっと何かが噛み合わないわけだ。

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