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4-4 匿名ラブレター(前編)

 七時十五分。自分の席に座った俺は、今日どんな顔で葉子薰に向き合うべきか考えていた――が、彼女の鞄はあるのに、本人がいない。


「はぁ~葉子薰に会いたい~。なんでまだ戻ってこないの~」耳元で鬱陶しい声。呂彥凱のバカだ。


「そう」 反論すれば思うつぼだ。何でもない風を装うのが、奴を黙らせる正解。


「つまんねーやつ」


「で、用は?」国語の教科書を取り出し、用がないなら失せろという合図を送る。


 呂彥凱が顎で反対側を指す。視線を追うが、要領を得ない。


 沈辰澤が女子に囲まれている――そんなもの、毎日見る光景だ。


 違う。女子だけじゃない。


 クラスの大半が、男女問わず沈辰澤の席に群がっている。


 妙な光景に、思わず口をついた。「何があった?」


「沈辰澤、ラブレターもらったって。机の中に入ってた」


 ラブレター――!?


 驚いたのは、彼に想い人は多いが、互いに牽制し合って誰も仕掛けてこなかったからだ。ラブレターが出たということは、その均衡が破られる。


 問題は――誰が出したか、だ。


 『沈辰澤が好きなら、直接告白しろよ。敵情視察とか、臆病の言い訳だろ? なんで他人を巻き込む』


「……葉子薰?」

 俺の独り言を拾って、呂彥凱が食いつく。「え、葉子薰なのか?」


 その声に、何人かの視線がこちらへ向く。いま“ラブレター”の話題には皆が過敏だ。


 これがゴシップの力。


「知らねーよ。ただの当てずっぽう」



 陳宏寬も参戦してくる。「いや……朝、葉子薰が沈辰澤の席のあたりでコソコソしてたって。たぶんそのとき忍ばせたんだよ」眼鏡を押し上げ、目が妙に輝いている。


「そんなに群がってるなら、誰かに『差出人は?』って聞けばいいだろ」


「お前が行けよ」 呂彥凱の“分かってる”顔が、逆に混乱を深める。


 じゃあ何で俺に聞く。


「俺はヤダ。お前が答え知ってるんだろ」


 呂彥凱は俺を焚きつけるのを諦め、ずかずか沈辰澤のところへ行くと、彼の手にある“ラブレター”をひったくって戻ってきた。取り上げられた沈辰澤は、困ったように笑うだけで抵抗しない。


 バスケなら、視線は最も背の高い選手じゃなく“ボール”に集まる。


 今の“ボール”は、俺の手にあるラブレターだ。クラス中の視線が一斉に集まる。


 熱い視線を無視して、“一度見るくらい死にゃしない”と封を開けた。


 ラブレターにしては――でかいな、用紙が。


「え?」


 俺の反応に、呂彥凱がニヤつく。「分かっただろ?」


 分かった。


 なぜ、さっき自分で見ろと言ったのかも。


 ――


 沈辰澤:

 わたしはずっとあなたが好きでした。

 この手紙が届くか分からないし、あなたが来てくれるかも分からない。

 でも、勇気を出して、この気持ちを直接伝えたいです。

 もし話を聞いてくれるなら、

 十月十一日の放課後、

 専門校舎のアクティビティホール側、あの楓香の木の下で――

 待っています。


 ――


 A4に書かれた“ラブレター”。ただし、内容はすべて不特定の新聞や雑誌から切り抜いた文字の貼り合わせ。名前も連絡先もなし。言ってしまえば“犯行予告風”のラブレター。


 冒頭の「沈辰澤」は同じ白黒で同じフォント。しかも少し汚れて見え、誠意というより不穏。途中の「願意(=願ってくれるなら)」も同じ問題を抱えるが、フォントは最初の三文字と別。どこから集めたかは気になるが、今は源泉より意図だ。


「どう思う、奧辛」


 いきなり沈辰澤に振られて、言葉が出ない。「どうって?」


「みんなは“悪ふざけ”の可能性を言ってる」



「情書とは、心を託す文なり――もし真情ならば、堂々と名を記し、胸の内を直に述べるべき。名を秘し姓を潜めて、どうして信が立とうや」

 温苡蓉は淡々と、だが微かな皮肉を滲ませる。「言いたいのに、人目が怖い。署名もできず、それでも来てほしい――信じていいの?」


 つまり「イタズラだと思う」ってことだろ。


「でも……さっきあなた、子薰の名前を口にしたでしょ。私たちも“可能性ゼロじゃない”って思っちゃって……でも、なんで匿名で? ああもう、頭痛い!」 林千柚、体力が有り余ってる時の“バカモード”。


「わ、わたしは……」徐亞鈞は言葉にならない。


「さっきのはただの推測で、俺は葉子薰が書いたとは思ってない」必死で線を引く。


「なら、イタズラでしょ。あの女、ああ見えて小心じゃないし」 郭慈軒が援護するのは、最近の一時的な雪解けのせいだろう。納得するには根拠が足りないが。


「本人に聞けば?」と俺。


 皆が言い淀む顔をした時点で、俺の知らない事情があると分かった。


「子薰、今日は校外で大会。すぐには戻らないと思う」沈辰澤。


「大会?」彼女から聞いたことはない。――いや、自分で距離を置くと言ったんだ、知らなくて当然か。


「うん。全国高校英語ディベート」


「おお?」


 葉子薰がガチの学力勢なのは知っているが、それでも驚く。


「それと、よく考えたら本人に聞くべきじゃないね」沈辰澤は手紙をしまう。「匿名にしたってことは、“知られたくない”って意思表示。無理に炙り出すのは、礼を欠くし、その気持ちに泥を塗る」


 筋が通っている。反論の余地は少ない。


「じゃ、そういうことで」両手を上げ、俺は引くことにした。


 もともと、この沼に入る気はなかった。彼がそう言うなら、肩の荷が下りる。


 温苡蓉たちも彼の決定を尊重し、これ以上は触れない空気になった。


 席に戻って国語を開くが、復習する気は霧散した。


 ――ラブレター、ね。


 もし葉子薰の告白が実って、学園ラブコメがここで幕を引くなら、それはそれでいい。

 もう俺を煩わせることもない。俺は安心して“自己のない脇役”に戻れる。


 葉子薰が凱旋したのは昼休み。教室はもう各々のグループで賑わっている。


 それでも、彼女の登場は場をさらう。


「辯論してるとこ、超カッコよかった!」

「おめでとう、子薰!」


 人の波が彼女を中心に渦を巻く。手の金色のトロフィーが、結果を物語っていた。


 俺は心の中だけで祝って、あの“万民歓呼”の輪には入らない。


 人が引いた頃、背中を指でつつかれた。


 振り向くと、近くで見るトロフィーは思ったより大きい。


「“ふつうの同級生”でも、『おめでとう』くらい言うでしょ?」 微笑みに、ちょっと得意気な角度が混ざる。


「お、おめでとう」


 おとといの、あの心細い顔を見ていなければ、俺は無視していただろう。これは同情だ。単なる同情。


 ため息をひとつ。どうやら彼女は、俺の反応が期待外れで不満らしい。


 頼む、あれだけ突き放したのに、今さら何事もなかった顔で話せって? 無理に決まってる。鳥肌が立つ。


 匿名の手紙のせいか、沈辰澤も温苡蓉たちも、今日は彼女に寄っていかない。他のクラスメイトも、“その話”を彼女に振らない。


 ――さすが沈辰澤。一言で場を鎮めた。


「アザー――どうしたの? 上の空だよ」

「いや、ちょっと。小柔の料理、また腕上げたなって。手作り弁当で紅焼獅子頭とは……」

 紅焼獅子頭くらいはまだ可愛い。先日は“マサラ何ちゃらのラムシチュー”まで食っていた。


 夏欣柔は、今や毎日弁当を届けるだけでなく、ここ数日は彼の隣で一緒に食べている。


 ――大本妻の風格、強すぎ。


 気のせいかもしれないが、沈辰澤と話す合間、彼女の視線がときおり別の方向へ滑る。葉子薰が声を上げたり大きく動くたび、視線がすっと吸い寄せられ、微かな敵意が滲む。よく見ると、瞳の底に深い暗流。


 この圧を悠々と突破して話しかけられるのは、林千柚だけ。というか、彼女は“圧”を視認できていない。


「夏欣柔のお弁当、毎回おいしそ~! 私も食べたい~!」


「どうぞ――“私の弁当から”好きなだけどうぞ~~ふふ、ふふふふ」


 胃が痛い。


 林千柚は、やがて夏欣柔側の人間になって、沈辰澤の周りで“間者”でもやるのか。

 それとも、彼女の天然が“大本妻オーラ”を粉砕するのか。――正直、どっちでもいい。


 ただ、温苡蓉は「誕生日にご馳走を作る」って言ってたはず。胃袋で落とす作戦は理解できるが、夏欣柔という強敵を前に、料理を差し出すだけでも相当な勇気が要るだろう。


 ――別に、俺はどうでもいいけど。

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