1-2 異香の彼女
「どいて、邪魔!」
放課後。僕は「脇役行動規範」に従い、クラスの半分が帰ってから教室を出るタイプなので、とりあえず雑巾を洗って干そうとしていた。
その瞬間、耳元でスピーカーを直に当てられたような高音の女子の声が炸裂し、心臓が止まりそうになった。
彼女は「ツンデレ系お嬢様」こと郭慈軒。
目つきは常に刃のように鋭く、表情には「世界中が私に二千万の借りがある」みたいなオーラが漂っている。
シャツはいつもピシッとアイロンがけされ、髪はマントのように長く、派手なリボンで結ばれている。歩くだけで目立つ移動式目印だ。
「……ごめん。」
悪くないと思っていても、謝って済むならそれでいい。
脇役行動規範:無用な争いは避ける、小事では怒らない、大事でも殴らない。
「ふん!」
彼女は武器になりそうな長髪を払い、去っていった。
嗅覚の鋭い僕にとって、あの強すぎる香水の匂いは毎回つらい。
郭慈軒はお嬢様らしく毎日車で送迎されており、放課後すぐに走るのは家庭教師の授業に間に合うためだ。
しかも、いつも一番に登校してくる。
沈辰澤以外にはほとんど愛想を見せない。
さっきの怒鳴り声はさすがに気分が悪かったが、まあ我慢の範囲内だ。
――無用な争いは避ける、小事では怒らない、大事でも殴らない。
クラスの人が半分ほど帰ったころ、僕もカバンを持って教室を出た。
NPCのように行動パターンが決まっている僕にも、小さな趣味くらいはある。
たとえば、本を読むこと。
小説、心理学、生物学、経営学、果てはファンタジー世界の地図まで、ジャンルを問わず手当たり次第に読む。
今日も放課後、僕は学校の図書館へ向かい、束の間のリラックスタイムを楽しもうとしていた。
放課後の図書館はもともと人が少ないが、今日は特に静まり返っていて、鼻歌が三周響きそうなほどだった。
……鼻歌?
誰かいる――そう気づいた瞬間、見覚えのある人物が隅の方でしゃがみ込み、サイダーを飲みながら本を読んでいた。
え、サイダー?
図書館に誰もいないと思ったのだろう。
僕の視線に気づいた彼女の表情は、まるで先生にスマホを見つかった生徒のように固まった。
「うわぁぁああ——」
シーッ、図書館では静かに。
まあ、今は他に人もいないし、いいか。
「き、君……クラスの……」
「李奧辛。出席番号16番。」
知り合いと言っても、知っているのは僕だけだ。
クラスメイトが僕の名前を覚えていないのは普通のことだ。
葉子薰みたいなのが異常なだけ。
目の前の小柄な少女は温苡蓉。
沈辰澤の周りにいる「文学少女」タイプの一人だ。
低めのポニーテールに、落ち着いた瞳。年齢の割に達観しており、文青というより老成した魂を持つ高校生。
「風清く日暖かにして、旧知を書閣に遇う――まこと幸なり。」
温苡蓉の声は穏やかで、文人らしい気品がある。
ただし、口元にはまだサイダーの泡がついていた。
「図書委員が図書館でサイダー飲むって、確かに幸せだね。」
ツッコミどころが多すぎて諦め、背を向けた瞬間――
「ま、待って! それだけは言わないで——!」
焦った彼女は立ち上がり、足でサイダー缶を蹴ってしまった。
琥珀色の液体が止められない勢いで流れ、読んでいたレシピ本に染みていく。
「わぁっ!」
慌てて拾い上げたが、すでに本は全滅。
「あなたのせいよ」と言いたげな視線を投げられた。
いや、どう考えても違うだろ。
とにかく急いで雑巾を取ってきて、本の水分を拭き取り、床をモップで拭いた。
幸い、今は誰もいない。
ただし、レシピ本だけはもう助からない。
「書香染みて色褪せ、
茶湯未だ飲まぬに涙垂る。
百味を煮んと欲すれど、空夢と化す、
残る我、狼狽して書を抱き帰る〜」
……脳みそまで本でできてるんじゃないか、この人。
やることはやった。僕に非はない。帰ろう。
と思ったら、彼女が袖を掴んできた。
「私、図書委員で……読書部にも入ってて……もし飲み物を飲んでたのがバレたらどうなると思う?」
涙目で見上げるその顔は、まるで村の希望を託された少女のようだった。
「たぶん……出入り禁止、永久に。」
適当に言った。そんな前例知らない。
彼女の顔から血の気が引いた。
……やれやれ。仕方ない、少しくらい助言してやるか。
「バレたくないなら、その本を借りて帰って、返却期限までに同じ本を買って入れ替えればいいじゃん。図書委員なら簡単だろ?」
その瞬間、彼女の瞳に光――いや、星が宿った。
「すごい! ありがとう……えっと……」
「李奧辛。出席番号16番。」
名前を確認する気すらない。
「恩人様! 今度何かあったら相談してね! 恩に報いるのは当然だから!」
「じゃあ、面白い本があったら教えてよ。」
図書委員なら、普通の人が知らない珍しい本も知ってるはず。これがいわゆる投資のリターンってやつだ。
温苡蓉が案内したのは、古文と四書五経が詰まった本棚。幻想、即死。
……買った株が即日ストップ安ってこういうことか。
「これ全部おすすめ。できれば一通り読むといいわ。」
保険の営業みたいな口調で本を勧めてくる。
「じゃ、あのガラス扉の棚は?」
「あれは管理対象の棚。図書委員と先生しか開けられないの。中には校史とか卒業アルバムとか、つまらない資料ばかり。」
……そう言われると余計気になる。宝箱っぽいのに。
「じゃあ、あの箱の中は?」
「毎月入荷する雑誌の古い号。地理とか経済とか、期限過ぎたら回収よ。」
「その棚、開けてもらえない?」
「諦めなさい、恩人様。話題を百回変えても答えは『ダメ』。」
……原則があるのかないのか。
結局、安全そうな科学本を借りて、しょんぼり退散した。




