表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/31

3-3 心のイリュージョニスト

 家を出ていくつか通りを抜け、脇の路地を曲がった先が、今日僕が勧める店だ。


「ここ、来るのは久しぶり。前は家でご飯作らない日で、何を食べるか決められない時に来てたんだ。」

 ほぼ一年ぶりだが、相変わらず変わっていない。路地裏なのに、席数は百近くもある。


 フロアには店員が二人。日曜日だからか、店内はあっという間に人で溢れて、もう少し遅かったら席がなかったかもしれない。


「き、聞いたことある……路地裏の隠れた店は、だいたい美味しいって……」徐亜鈞はそう言いながら、いちばん奥の席へと歩いていく。


 店が死ぬほど忙しいのに、僕たちが座ると、店員はすぐにメニューを持って小走りでやって来た。

「ちょうど十一時にお入りいただいたので、朝食メニューとランチメニュー、どちらもご注文いただけますよ。」


 サービス業の教科書どおりの笑顔でそう告げる彼女の胸元は、せわしない呼吸で上下している。


「わあ……将来の仕事から外食業界は全力で外すわ……」店員が去るや否や、林千柚が感嘆する。


「ぼ、ぼく……人類と対面しない仕事が、いい……」――人類って言うなよ。


「珍しいね、こういう店で時間帯でメニューが分かれてるなんて。」


 葉子薰は手にした朝食とランチのメニューを見比べて、完全に迷子になっている。


 分かる。選択肢が増えるほど、決めるのは難しくなる。


「朝食メニュー、意外と品数少ないね。」


 隣の沈辰澤と一冊のメニューを一緒にのぞき込む。――近い……。


「朝の時間帯って人手が少ないし、通勤通学で急ぐ人が多いから、あらかじめ仕込める丼とかカレーみたいなメニューだけなんだ。」


 他のみんなが決まったか確認しようと顔を上げたら、葉子薰はまた「心のイリュージョニスト・シェニー」の動画を見ていた。タイトルは――「心のイリュージョニストが教える、カップルの亀裂の繕い方!」。


 『その時は、相手の視線があなたに向いた瞬間、全身で飛びついてぎゅっと抱きしめて。そしたら、さっき教えたこの言葉――「あなたへの想いは一度も変わっていない。あの件で私たちの関係が変わってほしくないの……」――を言うの。これで相手は別れ話なんて即撤回、めでたくヨリを戻せます!』


 画面の中の、相変わらず大仰なサングラス女は、なんとアニメキャラの抱き枕で抱きしめ方を実演している。しかも色っぽい表情の半裸男性キャラで……。


「こ、これ……メガチーズハンバーグ、めっちゃ美味しそう……」


「欲を抑えきれず、かえって心を縛る――何の得がある? 食べたいなら頼めばいい。」――この前ファストフードでいちばん悩んでたの、君だよね。


「で、でも……最近ちょっと貯金増やしたくて……この前つい使いすぎちゃって……」


「おお? 亜鈞、何か買いたいものがあるの? 新しい服? スカート? スカートだよね? 亜鈞は可愛い系が似合うと思うんだよなぁ。たとえばピンクのフリルブラウスに、ミルクティー色のハイウエストプリーツとか。」


 林千柚の口上を聞いただけで、徐亜鈞は隅っこで震え始めた。――まずは前髪で目を隠さないところから、だな。


「ふふ。」沈辰澤がキラッと笑いかける。「亜鈞は何を着ても可愛いよ。それに、本当に欲しいものがあるなら、貯金するって“それを大事に思ってる”ってことだし、手に入れた時、いっそう大切にできる。いいことだと思う。」


 ――いいこと言うな。


 僕は沈辰澤を嫌いになったことはない。むしろ、わりと好感を持っている。


 もし僕の趣味が男だったら、この争奪戦に参戦していたかもしれない。


「そ、そうなんだ……辰澤は“努力して手に入れた物のほうが、気持ちがこもる”って思うんだ?」


「ん? うん……そうだね。」


 ――なるほど。


 僕はメニューを置き、葉子薰の見ていた動画を止め、彼女の手を取って立ち上がる。


  「ちょ、ちょっと、なに?」彼女のうろたえは無視して、そのまま席を離れる。


「どこ行くの?」林千柚が死角から顔だけ出して尋ねる。


「葉子薰がうちに忘れ物。取りに行ってくる。」


 当の本人は「忘れてないけど?」という顔。


「……あ、そうだ。」振り返って林千柚に声をかける。「ハンバーグ定食を二つ、頼んどいて。すぐ戻るから。」


 強引に連れ出したが、彼女に抵抗の気配はなく、途中で手を放してもそのまま付いてくる。



 店の外に出るなり、彼女は僕を壁際に押しやった。さっきの僕より、今の彼女のほうがよほど押しが強い。


「何がしたいの?」眉を寄せて、少し不機嫌そう。


「分かった。」


「なにが……え、分かったの!?」


 彼女は、僕が“何に”気づいたか、もう分かっている。僕も、彼女が分かっていることを分かっている。――説明は省ける。


「――あの日、郭慈軒に『どいて』って言われたこと、覚えてる?」


「『どいて』って言っただけでしょ?『失せろ』なんて言ってないよ? 人を悪く言っちゃダメ。」腰に手を当てて、ぴしゃり。


「はいはい……で、その日の彼女の朝ごはん、覚えてる?」


「朝ごはん……」さっき、それとなくヒントは出しておいた。「ハンバーグ!?」ぱっと瞳が光る。


「そう。ハンバーグ。しかも、この店の。正確には――店に置き忘れて冷蔵庫に入れてあった“まかない”だ。」


「まかない? ここで働いてる誰かが、慈軒の知り合いってこと?」


「違う。ここで働いてるのは“慈軒本人”。で、まかないをもらった。――あの日彼女が食べてたハンバーグとサラダ、それがそれ。」


 葉子薰が混乱しかけているのを見て、僕は話を整理して続ける。


「この店は二十四時間営業。だからメニューも朝・昼・夜・深夜で切り替わる。さっき言ったけど、朝は仕込み済みのメニューしか出ない。」


 彼女はこくりとうなずく。


「なのに、彼女は“朝、運転手にここへ朝食を買いに行かせた”と言った。だったら、朝メニューにないハンバーグをどうして食べられる?」


 大きく見開いた瞳――彼女は問題点に気づいた。


 そう、郭慈軒は「みんなに嘘をついた」。


 そして、なぜ嘘を――それが、葉子薰の次の疑問だろう。


「みんなにバイトを隠すため。……でも、彼女が“本当に隠したい相手”は、沈辰澤ただ一人。」


「辰澤に? 待って……そもそも、なんで慈軒はバイトを?」


「僕の知る限り――“辰澤の誕生日”に向けて、何人かがこっそり準備してる。温苡蓉は手料理を考えてるし、徐亜鈞はテストのご褒美の小遣いを狙ってる。慈軒も例外じゃない。もちろん、誕生日プレゼントを買いたい。」


「でも……」


「――“お嬢様”なのに、プレゼントを買うお金が足りないなんて、おかしいよね?」


 入口に目をやり、誰も出て来ないのを確かめてから、僕は人差し指を立て、彼女の胸元へぴたり――

「答えは……“気持ち(こころ)”。」


 彼女は僕の指先を見つめる。返事はしない。僕は続ける。


「さっき辰澤も言ってた。“貯める”って、大事に思ってる証拠。自分の手で稼いだお金で買ってこそ、想いがこもる――慈軒はそう考えた。だから皆に隠して、ここで働いてる。」


 さらに付け加える。


「それに、学校から離れた場所を選んだのは、知り合いに見られたくないから。さっき君にきつく当たってすぐ帰ったのも“演技”。――ランチのピークに入るから、バイトに戻らなきゃいけなかった。」


「じゃあ、怒ってたわけじゃないの?」


 彼女は僕をじっと見つめ、真偽を確かめようとする。僕はできるだけ誠実な顔で続けた。


「君が“お嬢様なのに、気持ちを見せてない”ように見えた――それで“目障り”って感覚になったのかも。」


「……気持ち。」


 彼女はその二文字を反芻し、物思いに沈む。


「それと――気づいてた? 彼女、他の人には冷たいのに、君には同じ調子じゃない。」


「……言われてみれば。」


「慈軒は典型的な“ツンデレ”。そういう態度は、たいてい“好きな相手”にだけ出る。」


 彼女は足の先から頭のてっぺんまで、一瞬で石像みたいに固まった。「す、好きな相手?」――誤解を招く言い方かもしれないが、まあいい。


「たぶん力加減を間違えたんだ。だから誤解になった。さっき僕に託した“謝って”って伝言――あれがツンデレの、どうしても正面からは謝れない感じ、だと思う。」


 説明を聞いて可愛いと思ったのか、あるいは誤解が解けたからか、葉子薰はふっと甘い笑みを浮かべた。


「でも、バイトしてるって言うけど……」――“今どこにいるの?”と聞く前に、彼女は自分で答えに辿り着く。


「このあと出てくる料理、もしかして一部は彼女の手かもね。」


「食べたい、彼女の作ったやつ!」つま先立ちになって、両拳をぎゅっ。突然の高揚に、僕は反射的に二歩下がる。


 ――よし、納得してくれたようだ。じゃあ戻ろう。


「アオシン。」


 店に入る直前、呼び止められる。


「まだ説明、いる?」――勘弁してくれ。


「“自分で稼いだお金で買ったプレゼント”って、やっぱり気持ちが強くなると思う?」頬を赤らめ、空気が少し甘くなる。


 ――そんなことまで僕に聞くな。


「“気持ち”は単純でも、複雑でもいい。けど――“好きな人の手から受け取る”って事実は、その“気持ち”なんかを軽く超えると、僕は思う。」


 立派なことを言ったけど、実のところ、そんな贈り物を受け取った経験はない。


「そっか。うん、ありがとう。」


 派手に感謝されるかと思ったが、彼女の顔には“誤解が解けた”というより、“真実に触れて嬉しい”という色が浮かんでいた。



 食事を終えると、葉子薰はトイレに行くふりをして、わざとキッチンの出入口の近くから中をのぞく。僕は揉め事を避けるため、そっと後を追う。


 案の定、コックコート姿の郭慈軒と目が合った瞬間、彼女は幽霊でも見たみたいな顔になった。


 葉子薰はにっこり笑って手を振る。「とっても美味しかった。ありがとう!」


 郭慈軒が反応する前に、葉子薰は離れていく。――これ、挑発と誤解されないといいけど。


 もちろん、“葉子薰が真相を知っている”と慈軒が判断した場合の話だが。



 ……さっき僕は、“慈軒は辰澤の誕生日プレゼントのためにバイトをしている”と言った。多分それは間違っていない。けれど、それだけでもない。


 まず、あの日の朝、僕が彼女をこの店の近くで見かけた時点で、彼女はすでに“まかないのハンバーグ”を手に持って店に入っていた。つまり、取りに来たのはそのハンバーグではない。


 “まかない”の件は事実。でもそれは前日の退勤時に持ち帰ったもの。本当に取りに戻った目的は“財布”――正確には交通カードの類だ。


 では、なぜ前日に忘れたものを、翌朝の登校前に慌てて取りに来たのか。


 ――さっき彼女が僕の家を出る前にスマホを見ていた理由、それは“時間の計算”だ。


 僕らがこの店に入るまでの間に、彼女は家へ戻り、着替えて出勤している。つまり、彼女の家は店から近い。ここをバイト先に選んだ、本当の理由だ。


 登校前に店に戻ったのは、家から店までは徒歩で往復できる距離だから。学校に行く時だけ、交通機関が必要――だからカードが要る。


 じゃあ、なぜ“家の運転手の車”に乗らない? 答えは簡単。運転手なんていない。


 彼女が毎朝いちばんに学校へ来るのは、バス通学を見られたくないから。放課後すぐに姿を消すのも、遠回りしてからバスに乗るためだ。


 第一回の読書会の時、彼女はメニューをほぼ見ずに「“6番セット、サイドはサラダに変更、サウザンは禁止。飲み物はホットのブラック”」と即答した。メニューを見ていた僕でさえ、サイド変更できるなんて知らなかったし、ドレッシングの種類なんてなおさらだ。――つまり、“庶民の味を試したい”という発言自体が嘘。


 要するに、彼女の家は“貧しいわけではない”が、演じているほど“裕福でもない”。本当に金持ちなら、彼女の性格からして読書会に二回連続で同じワンピースは着ないだろうし、わざわざ死ぬほど大変な飲食業で、唯一の利点が“まかない”という職場を選ばない。お嬢様が厨房に立つなんて、危険も多い。


 では、そこまで時間を読める彼女が、なぜあの日は登校が遅れたのか。


 ――僕が家を出たときに遭遇したということは、予定より遅く家を出た証拠。手には朝食用のまかない。家でゆっくり食べて、店でカードを取って、学校へ――という段取りが崩れた。寝過ごしたのだろう。だから朝食を持って飛び出し、結果的に僕より遅く学校へ着いた。


 それでもまだ足りないなら――彼女が葉子薰にあの態度を取り始めた“起点”を思い出せばいい。


 答えは、第一回の読書会の終わり。葉子薰が電話を受け、高級車で迎えられて去った、あの瞬間。あのときの慈軒の表情の変化は、今も忘れられない。


 だから、慈軒が葉子薰に厳しく当たる理由――僕の結論はこうだ。


「金持ちへの反発」――つまり、嫉妬に近い感情。



 その夜、僕の端末に、慈軒から個別メッセージが届いた。


 Cicilia Guo:私、あなたに“葉子薰に代わって謝って”って頼んだわよね。――あなた、彼女に何をどこまで話したの!?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ