009
王都での滞在を終え、アレンはセレスティアと共に、公爵家の馬車で帰路についていた。工房での日々は、アレンにとってかけがえのない時間だった。アレンはマナスコープという具体的な成果を手に入れ、自身の研究が机上の空論ではないことを証明できた。
アレンたちが馬車に乗った後、リアは大きく手を振って見送った。
「アレン様! またすぐに手紙を書くわね!」
「ああ、リア! 僕も新しい発見があったらすぐに知らせるよ! 君も頑張って!」
「マナスコープ」に関する技術は、ほとんどが伯爵家の工房で練られたものだ。アークランド伯爵は自身の名の下に技術を工房で秘匿するように命令したが、この技術を「子供の遊び」で済ませる気はなさそうだった。少なくとも、公爵と伯爵の間では「マナスコープ」を利用した研究に関する取り決めが書簡で交わされているとのことだ。
「リア様も、アレン様と離れるのは少し寂しそうでしたね」
馬車が出発してからしばらくして、セレスティアが静かに言った。その声には、どこか優しい響きが含まれている。
「そうだな。でも、大丈夫。僕とリアは同じ方向を向いているから、必ずまた会うことになる」
アレンはそう言い切った。彼女の持つ純粋な魔法の才能と、アークランド伯爵家の技術力が合わさればきっととんでもない傑物が出来上がるだろう。次に会えるのがいつになるかはわからないが、リアの将来をアレンもセレスティアも楽しみにしていた。
公爵家に戻った日の夕食は、いつもより賑やかだった。公爵夫妻は、王都でのアレンの様子をアークランド伯爵の書簡で知っていた。公爵夫人の方は我が子の活躍が純粋に嬉しいといった感じだったが、父の方はやや複雑そうな表情だった。
「アレン、アークランド工房での滞在、ご苦労だったな。アークランド伯爵から『マナスコープ』に関する報告は受けている」
「はい、父上。マナスコープのおかげで、魔法にも明確な法則を持つ現象であることがはっきりと分かりました。異なる属性の魔法は、それぞれ異なる波としてマナスコープに映し出されました。これは、僕の研究の初めての成果です」
「ああ。その『マナスコープ』とやらが本当に魔法を解き明かすことになれば、それは確かに画期的なことだろう。アークランド伯爵も、お前の研究には並々ならぬ関心を抱いているようだった」
公爵はそう言いながら、以前にアレンの描いたマナスコープの設計図を置いて机を軽く叩いた。続く彼の言葉は、アレンを叱責するものでも、否定するものでもなかった。
「アレン、セレスティアとともに後で執務室に来なさい」
「え? あ、はい、わかりました」
食後、執務室の扉をノックすると、中から重厚な公爵の声が聞こえてくる。
「入れ」
中に入ると、公爵はいつものように執務机に座り、書類の山に囲まれていた。セレスティアはアレンの背後に控える。
「アレン、そろそろお前も七歳になる」
公爵は静かな、しかし確固たる声で言った。
「はい、父上」
アレンは公爵の次の言葉を待つ。七歳にというのは、この国の貴族にとって一つの区切りの年齢だ。王都に住む貴族たちの子女は王立学院の初等部に入り、13歳からの中等部に進学できるかどうかの苛烈な競争をすることになる。王都に住むリアもそうなるだろう。
一方で、自領に住んでいる貴族はその地方の学院に通わせることも多い。とはいえ、アレンほどの──例えば伯爵以上の身分のものは、個人に特別な教師をつけて中等部の入学まで勉強や鍛錬をするのが普通だった。
「公爵家の次男として、魔法や学問は問題ないだろう。いや、正直に言えばお前は優秀すぎるぐらいだ」
その公爵からの、直線的な賛辞にアレンは目を丸くした。まさか父親からそこまで評価されているとは思ってもみなかったのだ。
「だがアレン、お前は長兄と同じく王立学院に中等部から通わせるつもりだ。そしてそれと同時に、お前は『公爵家の次男』としてこれから社交界にも出ていくことになる。そのための武術や礼法も訓練を、明日からしてもらう」
公爵の言葉はアレンにとって非常に重いものだった。少なくとも、公爵家にいることによる恩恵を受けているアレンにとって、「貴族として」あるいは「公爵家として」の責任は回避できないものである。
「今までは護身程度の稽古で済ませていたが、これからは本格的な訓練を始める。セレスティア」
公爵が呼ぶと、控えていたセレスティアが一歩前に出た。
「王立魔導学園高等部の武術科を主席で卒業した剣士であるお前に、今まではアレンの護衛を任せてきた。そしてこれからは、これに加えてアレンに本格的な剣術の指導を任せる。遠慮なく、厳しく鍛えてやれ。作法やダンス、学問に関してはまた別の教師をつける」
「かしこまりました、旦那様。このセレスティア、アレン様への指南に全力を尽くします」
セレスティアは深々と頭を下げた。その表情には非常に凛々しく真っ直ぐとした目をしていて、横にいたアレンも思わずみほれてしまうほど「剣士」としての顔をしていた。
(というか、セレスティアってそんなに剣術凄かったんだ……)
普段は甲斐甲斐しく世話してくれる優しいメイドといった感じの立ち振る舞いだが、流石に1人で公爵子息の護衛を任されるだけの技術はあるらしい。
そうして翌日から、アレンの本格的な訓練の日々が始まった。日毎に違うが、剣術や礼儀作法、社交ダンスといった内容を容赦なく叩き込まれる。その中でも剣術はもっぱら、日差しが強すぎない午前中に行われた。
公爵邸の敷地内にある訓練場。普段は公爵家お抱えの騎士たちの訓練も行っている場所で、アレンはセレスティアと一対一で指導を受けることになった。
「アレン様、まずは剣の握り方からです」
セレスティアは木剣を手に構えるアレンに語りかける。
「剣は腕の延長ではありません。体幹で振るものです。足元から力を伝え、腰を回し、肩甲骨を意識して……」
彼女の指導は厳しく、そして明快だった。その一つ一つの動きは淀みがなく、まるで舞を踊るように美しい。アレンは言われた通りに木剣を握り、構えを作る。だが、その動きはぎこちなく、どこか不自然だった。
「もっと、重心を意識して」
セレスティアが指摘する。アレンは、つい頭の中で剣の動きを"考えて"しまう。腕をどの角度で振り上げれば最大の遠心力が得られるか、重心をどう移動させれば最も速く踏み込めるか──そんな理屈ばかりが頭を巡り、身体が硬直する。
「アレン様、動きが硬いです。理屈は一度忘れてください。剣は、相手との『間合い』、そして『呼吸』で決まります。もっと、無心で」
セレスティアはアレンの動きを止め、その構えを修正する。アレンは歯がゆさを感じた。頭ではやりたいことがあるのに、身体が思うように動かない。これほど明確に自分の「欠点」として突きつけられるのは前世まで含めても久々のことだった。
「反応が遅いですね。それでは相手の剣を受けきれません」
訓練中のセレスティアの言葉に容赦はなかった。彼女の木剣がアレンの木剣を軽く打ち、アレンの構えが崩れる。アレンは反論しようとしたが、確かにセレスティアの動きに全くついていけていない。
「ごめんセレスティア。もう一回……やってみる」
アレンは理屈を一旦脇に置き、セレスティアの動きをひたすら模倣することに集中した。素振りを百回、二百回と繰り返す。剣を振り下ろすたびに、身体の軸がぶれないよう意識し、足の踏み込みと腕の動きを連動させる感覚を掴もうとした。額には汗が滲み、木剣を握る手はまめだらけになった。
セレスティアはそんなアレンの様子をじっと見つめていた。
訓練が終わると、アレンは疲労困憊でその場に座り込んだ。
「お疲れ様でした、アレン様。慣れないことなので大変でしょうが、すぐに慣れますよ」
セレスティアが手拭いを差し出す。アレンはそれを受け取り、汗を拭った。
「ありがとう、セレスティア。剣術って奥が深いんだな。頭で考えるだけじゃダメだ」
「ええ。武術は身体で覚えるものです。けど、アレン様は覚えが早いのですぐに上達するでしょうね」
セレスティアの言葉は、アレンにとって何よりの励みになった。だが、普段のセレスティアがやっている"自主練"の動きを知っているアレンにとってはまだまだ先が長いことも分かっていた。
(きっと今セレスティアと戦ったら初太刀で一刀両断されるんだろうな……)