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007

 アークランド伯爵家からの返信を受け取ってから数日後、アレンは王都へと向かう馬車の中にいた。セレスティアが隣に座り、出発前にアレンの母から渡された焼き菓子をアレンの口元に運んでくれる。本来であれば、公爵家の次男がたった一人(もちろん護衛はいるが)で他家を訪れることは異例中の異例だ。しかし、公爵がエルン=アークランド伯爵との間で話を通し、今回の訪問は「子供たちの遊びの延長」という名目で、厳重な警備のもと、公式にではなく、秘密裏に行われることになった。


(リアの言っていた職人さんってどんな人だろ……? 検出器の内容、理解してくれるかな?)


 アレンの胸には、期待とわずかな不安が入り混じっていた。これまでの1年間で培ってきた「魔法物理学」の基礎を、いよいよこの世界の技術と融合させる時が来たのだ。

 馬車は王都の賑やかな大通りを抜け、貴族街の一角にあるアークランド伯爵家の屋敷へと到着した。屋敷はシルフォード公爵家ほどではないが、重厚な石造りで、王都の要職にある伯爵家の威厳を示している。


 屋敷の門が開くと、中庭にはすでにリアとエルン伯爵の姿があった。リアは前回会った時と同じ銀色の髪を風になびかせ、アレンの馬車を見つけると、子供らしい笑顔で手を振った。エルン伯爵も、軍服姿で厳かにアレンたちを迎えた。


「アレン様、ようこそおいでくださいました」

「エルン伯爵、本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 エルン伯爵は恭しく頭を下げ、アレンも貴族の子息としての礼儀をもって答える。


「アレン様! リア、待ってたよ!」

「リアも元気そうでよかったよ。父上と母上にお菓子をもらったから、後で一緒に食べようか」


 アレンがそう言うと、リアは目を輝かせた。セレスティアが公爵夫人から預かった菓子箱をリアに手渡す。


「アレン様も、長旅でお疲れでしょう。すぐに工房へ向かわれますか?」

「はい、ぜひお願いします。早く職人さんにお会いしたいです」


 アレンは迷わず答えた。


「かしこまりました。では、こちらへ。この先に、我が家が契約しております魔導具職人たちの工房がございます」


 エルン伯爵の案内で、アレンたちは屋敷の裏手にある小さな建物へと向かった。外見は質素な石造りの平屋だが、中からは金属を叩く音と、わずかに魔力が混じったような独特の匂いが漂ってくる。


「ここが、アークランド工房でございます。責任者のグエンが中で待っております」


 エルン伯爵が扉を開けると、そこは公爵家の工房とはまた異なる雰囲気をまとっていた。

 工房の中は、緻密な細工が施された魔道具の部品や、見たこともない奇妙な器具が所狭しと並べられている。奥では、複数の職人が黙々と作業しており、その手つきはどれも正確で、無駄がない。彼らは皆、軍の魔導士が使うような、より実用的な魔道具の製作に特化しているようだった。


 工房の奥から、一人の老人がゆっくりと歩み出てきた。細身で、背はやや低いが、鋭い眼光は知性を感じさせる。顔には細かな皺が刻まれ、その手のひらは長年の作業で厚く硬くなっている。


「グエン、この方がシルフォード公爵家のご子息、アレン様だ。先日、リアから話があった件で、ぜひお力添えをお願いしたい」

「わたくしがこの工房の責任者、グエンでございます」


 エルン伯爵がアレンを紹介したのに合わせて、アレンも答える。


「アレン=シルフォードです。グエンさん、お力をお借りしたいことがあります」


 アレンは自分の描いた設計図の羊皮紙を差し出した。

 グエンは無言で羊皮紙を受け取ると、そこに描かれた図面と、検出器の概念図を凝視した。リアも興味津々といった様子で、アレンとグエンのやり取りを見守っている。


「これは……導魔石を薄い膜状に加工し、これを平面に並べる、と……?」


 グエンは眉間に深い皺を刻んだ。その声には、明らかに困惑の色が浮かんでいる。


「はい。こうすれば、マナの流れがどうなっているのか、よく見えるようになると思うんです。そうしたら、魔法の理解が進んで、いろんなことに使えるはずなんです!」


 アレンは、身振り手振りを交えて熱弁した。


「アレン様……導魔石をこれほど均一に薄く削り出すのは、至難の業。我ら工房の技術を持ってしても、容易ではございません。しかも、これほど精密な配置で並べるとは……」


 グエンは首を横に振った。彼の言葉は、公爵家の職人たちが示した懸念と全く同じだった。


「公爵家の職人さんも同じことを言っていました。でも、グエンさんなら、きっとできるって、エルン伯爵が……」


 アレンは、期待を込めた眼差しでグエンを見上げた。「ここまで来て諦められない」という気持ちもあるだろう。グエンはエルン伯爵に視線を向けた。エルン伯爵は小さく頷き、グエンに目配せを送る。


「アレン様のおっしゃることは、我ら職人には理解しがたい発想でございます。しかし、伯爵様が請け負った依頼。それに、この設計図には、何かただならぬ『意図』が隠されているように見えます。……アレン様、これは何の目的でございますか?正直に申し上げて私には、これが 単なる遊びとは到底思えませぬが」


 グエンの反応はこれまでの職人たちのものとはやや異なるものだった。それはこの設計図の本質に踏み込もうとするもので、彼は子供の遊びでは片付けられない、この図面が持つ意味を理解しようとしていた。

 アレンは一瞬躊躇したが、目の前の職人が、自身の探求を理解しようとしてくれていることを感じ取り口を開いた。


「これは……魔法の『法則ルール』を見つけるためです。魔法は奇跡のような力だ。だけど、ちゃんと理解すれば誰もが扱えるものになると、僕は思ってるんです」


 アレンは、グエンのまっすぐな視線に応えるように、この探求の本質となる言葉を放った。

 グエンの目がわずかに見開かれた。その表情に、わずかな驚きと、深い興味が浮かんだのを、アレンは見逃さなかった。リアも、アレンの言葉に目を輝かせている。


「法則……ですか。なるほど。であれば、これは確かに、並々ならぬ探求でございますな。……しかし、導魔石の薄膜化には、特殊な溶液と、それを均一に塗布する高度な技術が必要です。それは、我らも研究を進めておりますが、門外不出の技術です。他家に漏らすというのはいささか……」


 グエンは言葉を濁した。アークランド伯爵家が軍の要職についている以上、その技術は軍事機密に近いものなのだろう、とアレンは理解する。


「グエン。公爵閣下からの依頼だ。それにこの件は、私の名の下に厳重に秘匿される」


 エルン伯爵が、静かな、しかし有無を言わせぬ声で言った。グエンは一瞬たじろぎ、やがて深々と頭を下げた。


「……かしこまりました、エルン様。伯爵様の御意とあらば、私どもとしては従うのみでございます」


 グエンはアレンに向き直った。その表情には、先ほどの訝しげな色は消え、職人としての探求心と、わずかな好奇心が宿っているように見えた。


「アレン様の設計図、確かに承りました。この加工は困難を極めますが、我らが持つ最高の技術を尽くしましょう。ただし、一つお願いがございます」

「なんでしょう?」

「この技術は、いまだ完成には程遠い。失敗する可能性もございます。そして、何より、わたくしはアレン様のおっしゃる『法則』とやらを、この目で確かめとうございます。完成した暁には、ぜひ、その装置での観測に立ち会わせていただきたい。そして、その『法則』が何たるかを、この耳で聞かせていただきたい」

「もちろんですよ! もし僕の思い通りに動いたら、グエンさんにも見てもらいます!」


 アレンは嬉しそうに頷いた。


「リアも、その時は一緒に見せてもらうもんね!」


 リアも興奮気味にアレンの服の裾を引いた。


「ああ、もちろん! リアも一緒に見よう」


 こうして、アレンの「魔法物理学」を具現化する最初の共同研究が、アークランド工房の優秀な職人たちの手によって始まることになった。

 アレンは王都に滞在する間、毎日のように工房に通った。職人たちが作業する様子を食い入るように見つめ、疑問があれば臆することなく質問した。始めてみる技術の数々に、科学者としての好奇心が抑えきれなかったのだ。


「この液体は何でできてるんですか?」

「溶媒を混ぜる順番は、何か意味があるんですか?」


 最初こそ困惑していた職人たちも、アレンの純粋な探求心と、時折見せる的を射た質問に、徐々にその態度を軟化させていった。グエンは、アレンの問いかけによく答えていた。


「この溶液は、マナと親和性の高い樹液を特殊な触媒で加工したものだ。導魔石の粉末を均一に分散させ、光の透過性を保つために重要だ」

「この順番は経験則だ。ほかの順番だと、膜の強度が落ちたり、透明度が損なわれたりする。どうしてそうなるのかは……正直、わからん」


 グエンの言葉は、アレンにとって新たな発見の宝庫だった。この世界の職人たちは、膨大な経験と試行錯誤によって、理解はしていなくても感覚的に「知っている」ことが多かった。それらがアレンにとってはまた異なる形で見えている。


 工房での作業は順調に進んだ。職人たちは、アレンの示した設計図を基に、導魔石の微粉末を混ぜた特殊な溶液を、ガラス板に均一に塗布し、膜を形成する作業を繰り返した。幾度かの失敗と改良を経て、彼らはついに、アレンがイメージした「マナの干渉縞を映し出す膜」の試作品を完成させた。

 それは、大人の手のひらサイズほどの大きさの透明な板で、表面には導魔石の微粒子が埋め込まれた薄い膜が形成されている。光に透かすと、わずかに鈍い光を放ち、その表面はまるで星屑を散りばめたかのようだった。


「アレン様、これが……我々が作った”検出器”でございます」


 グエンは、誇らしげに、しかし緊張した面持ちで、完成したばかりの膜をアレンに渡した。アレンは慎重にそれを受け取ると、膜の表面を指でなぞった。その触感は滑らかで、導魔石が均一に分散されているのが分かる。


「……すごい! こんな短時間でできるなんて……」

「これは、アレン様の発想があってこそ。あとは、貴方が求める『法則』をこれが映し出すか、でございますな」


 グエンは静かに言った。その目は、アレンの次の行動に対して、期待を込めたものだった。


「ああ! 絶対にできるさ!」


 アレンは固く頷いた。これで研究は、いよいよ観測と実験の新たな段階へと突入する。王都の工房で、アレンにとって第一歩となる重要な装置が、ついに完成したのだった。

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