006
応接室でのリアとの会話を終えたアレンは、興奮を抑えきれずに書斎へ駆け込んだ。机には先ほどまで広げていた導魔石と実験ノートが置かれている。アレンは新しい羊皮紙を広げると、ペンを握りしめた。
(リアのお父さんが、職人さんを紹介してくれるかもしれない……! これは絶好の機会だ)
頭の中では、すでに新しい魔力測定器の構造が鮮明に描かれていた。薄く加工した導魔石の板を何枚も重ね、その間にマナの流れる層を作る。特定の波長のマナだけを透過させるフィルターのような仕組みを加え、その干渉パターンを記録する……まるで、地球で使っていた分光器や検出器の設計図を再現するかのようだ。
しかし途中まで書いてアレンは気づいた。そんな精密な機構を組むことができるのは、あくまで地球の技術レベルでの話だ。この世界で使える素材や技術の限界を考慮し、アレンは頭を切り替えた。まずはもっと単純な構造から始めるべきだろう。
(そうだ、X線回折の検出器みたいに、平面上に導魔石の結晶を均一に並べた膜を作るんだ。そして、その膜を通過するように魔法を発動させる。そうすれば、膜の表面に浮かび上がる光の濃淡や模様の変化を観測できるはず……!)
思考を整理すると、アレンは迷いなくペンを走らせ始めた。紙の上には、導魔石の粒子を透明な樹脂のようなもので固定するイメージ図、マナが通過することによる発光、そしてそれを記録するための簡易的な目盛りや格子が描かれていく。残念ながら絵心は持ち合わせていなかったアレンの作った図面は、まるで子どもの落書きのようにも見える。しかしその線の一本一本には、確かな自信による裏付けがあった。
設計図の片隅には、導魔石の薄片を製造するための指示も書き加える。極めて薄く、そして均一に削り出す技術が必要だ。さらに、その薄片を固定する透明な素材。この世界ではガラスが一般的な透明素材だが、加工が難しく高価だ。何か代替になるものはないか。
(うーん、やっぱり工房で相談するのが一番か)
アレンはしばらく頭を悩ませた後、セレスティアに声をかけた。
「ねえ、セレスティア。僕、工房に行ってみたいんだけど。公爵家のお抱えの職人さんたちに会って、ちょっと聞いてみたいことがあるんだ」
「工房、ですか? アレン様が?」
セレスティアは目を丸くした。公爵家の子息が、職人のいる工房に自ら出向くなど、前代未聞のことだったからだ。
「うん。ちょっと、この絵を見てもらいたいんだ。こういうのがどこかで作れないか、相談したいんだけど……」
アレンは自分が描いた設計図をセレスティアに見せた。彼女はその図面に驚きつつも、それがアレンの熱意から生まれたものであることを理解した。
「ですが、アレン様……お一人で職人の方々とお話になるのは、少々難しいかと。私がご説明の補助をさせていただきますが、まずは旦那様にご許可をいただいた方がよろしいかと存じます」
「そうか……うん、わかった。じゃあ、セレスティア、僕の説明を父上に伝えてくれないかな? もしダメだったら、リアに相談して、アークランド伯爵の職人さんを紹介してもらうしかないし……」
アレンがそう言うと、セレスティアは少し困った顔をした。その物言いは公爵家の職人より、他家の職人を優先すると言っているように聞こえてしまう恐れがあった。だが、アレンの純粋な探求心の前には、貴族社会のしきたりなど、些細な問題でしかなかった。
「……承知いたしました。私が、旦那様にご説明させていただきます」
セレスティアは深々と頭を下げると、書斎を後にした。
その日の夕食後、アレンは父である公爵から呼び出しを受けた。書斎で描いた設計図と、セレスティアからの説明が、父に届いたのだろう。アレンは少し緊張しながら、公爵の執務室の扉を叩いた。
「入れ」
父の声に促され、中へ入る。公爵は執務机に座り、アレンの描いた羊皮紙を広げていた。その表情は厳しくも穏やかで、アレンの意図を測りかねているようにも見えた。
「セレスティアから話は聞いた。この妙な絵は、お前が描いたのか?」
「はい、父上」
「……導魔石を薄く加工し、それを並べて、マナの流れを映し出す装置だと?」
公爵は眉をひそめた。それもそのはずで、魔法の奇跡を数値で測ろうなどという発想は、この世界の常識からかけ離れている。勿論この世界にそういった趣が存在しないこともないが、それは王立学院やそこに所属する研究機関のすることだ。少なくとも6歳の子供が自然と考えつくものとは思い難い。
「はい。魔法には、きっと法則があります。それを知ることができれば、もっと誰でも魔法を使えるようになるし、もっと世の中の役に立つはずです。僕はそれを目指したい」
アレンは自分の考えを、子供にもわかるように、そして最大限の熱意を込めて語った。
公爵はしばらく沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。
「……お前の奇妙な探究心は、先代の公爵によく似ているな。彼もまた、既存の概念に縛られず、常に新しい道を模索する者だった」
アレンは驚いた。公爵が自身の研究を理解しようとしてくれていることに。この世界の状況を鑑みると、何なら危険思想として扱われてもおかしくないものだというのに。
「だが、アレン。この世界の魔法は、女神ステイシアが与えし奇跡であり、神聖なものとして扱われている。それを解き明かそうとするお前の研究は、教会から異端と見なされる可能性も孕んでいる」
「それは承知の上です。ですが、父上。仮に魔法が本当に女神ステイシアの奇跡であったとしても、そこに法則がない理由にはなりません。例えば、水が上から下に流れるのが当たり前なように。それを理解することで、水車を作ったり、川の水を畑に引いたりできる。魔法も同じじゃないでしょうか?」
アレンの言葉に、公爵は少しだけ目を細めた。彼の言葉には、単なる子供の好奇心とは異なる、確かな信念が宿っているように感じられた。
「……なるほど。お前の言い分も理解できなくはない。いや、6歳にしては聡明すぎるぐらいだ。……しかし、この国の秩序は、教会の信仰の上に成り立っている。それに反するような行動は、慎重に行わなければならん」
公爵は、アレンの設計図をじっと見つめ、思案に暮れているようだった。
「……分かった。お前の熱意は認めよう。工房の職人たちに、この絵を見せ、相談してみる許可を出そう」
「本当ですか!」
「ただし、だ。彼らには『アレンの遊びのため』だと伝え、くれぐれも、教会や他家の耳に入らぬよう細心の注意を払え。これ以上、妙な噂が立つのは好ましくない」
「はい、父上! ありがとうございます!」
アレンは、心の中でガッツポーズをした。父の許可が得られたことで、大きな一歩を踏み出せる。
「それと……リア=アークランド嬢のことだが」
公爵は、不意にリアの話を持ち出した。
「彼女の父、エルン伯爵は王国の防衛において非常に重要な役割を担っている。そして彼女は、王立魔導学園への進学も視野に入れている才女だと聞く。お前と同じく魔法に興味があるようだから、良き友人となり、共に学びを深めることができれば、公爵家としても喜ばしいことだ」
公爵の言葉には、アレンとリアの交流を単なる子供の遊びとしてではなく、将来の公爵家とアークランド伯爵家、ひいては王国の関係を強化する布石として捉えている意図が透けて見えた。アレンは、そうした政治的な思惑があることを理解しつつも、リアとの出会いが自身の研究にとって大きな意味を持つと思っていた。
「はい、父上。リアとは、良い話ができそうです」
アレンはにこやかにそう答えた。
翌日、アレンはセレスティアと共に、公爵家の敷地内にある工房を訪れた。
工房は、木と金属の混じった独特の匂いが充満しており、ハンマーの音が小気味よく響いている。中では、無骨な体格の鍛冶師や、繊細な作業をする細工師など、様々な職人たちがそれぞれの持ち場で作業に没頭していた。
セレスティアが責任者の老練な職人に公爵の許可を伝えると、職人たちは一様に目を丸くした。
「アレン坊ちゃまが、この工房に……? しかも、何か作ってほしいと?」
老職人は驚きと困惑が入り混じった表情でアレンを見た。普段、彼らが公爵の子息と直接言葉を交わすことなど皆無に等しい。
「ええ。このアレン様の『遊び』に、どうかお力添えをお願いします」
セレスティアは、公爵から伝えられた言葉をそのまま口にした。アレンは、その「遊び」という言葉に少々歯がゆさを感じながらも、今は職人たちの協力を得るのが最優先だと自分に言い聞かせた。アレンは、丁寧に描いた設計図を老職人に差し出した。
「えっと、この絵みたいに、導魔石を薄く削って、それをこの板にこうやって並べたいんだ。そしたら、魔法の光が映って綺麗に見えると思うんだよね!」
アレンは、精一杯、分かりやすい言葉で自分のアイデアを説明した。老職人は、羊皮紙を広げ、やや稚拙ながらも明確な意図が込められた絵をじっと見つめた。他の職人たちも、手を止めて興味深そうに集まってくる。
「導魔石を……こんなに薄く、均一に削るだと? 坊ちゃま、それは並大抵の細工ではございませんぞ。あの石は脆く、刃を入れればすぐに砕けてしまう」
一人の細工師が難色を示した。
「それに、これをこの透明な板に貼り付けるのか? どんな接着剤をお使いで?」
「透明な板も、この大きさで歪みなく、しかも衝撃に強いものとなると、非常に高価なガラスになるが……坊ちゃまのお遊びにしては、少々贅沢すぎるのではないか?」
職人たちから、次々と技術的な問題点や費用に関する懸念が上がった。アレンは、彼らの言うことがもっともだと理解した。彼の設計は、この世界の技術レベルからすれば、かなり無理のあるものだったのだ。
「……でも、魔法を本当に理解するためには、これが必要なんだ! お願いします、力を貸してください!」
アレンは、必死に頭を下げた。職人たちは、子供の真剣な眼差しに、困惑しつつも、どこか引きつけられるものを感じていた。老職人は、静かにアレンの設計図を畳み、他の職人たちを見回した。
「……坊ちゃまの遊びに、公爵様がわざわざお許しを出されたのだ。我ら職人が、公爵家のご子息の願いを無下にできるものか」
そう言うと、老職人はアレンに向き直った。
「坊ちゃま。この絵の通りに作るのは、今の我らには難しい。だが、一つだけ方法がある」
「本当!?」
「うむ。導魔石を粉状にし、それを特殊な液体に混ぜて、透明な板に塗り広げる、という技法がある。そうすれば、薄く均一な膜を作ることはできよう。しかし、その液体は少々特殊なもので、公爵家には在庫がない。それに、その技法に長けた職人も、我らの中にはおらぬ」
老職人の言葉に、アレンは顔を上げた。
「その特殊な液体と、その技法に長けた職人さんを知ってるってこと?」
「それは……王都の魔導具師ギルドに所属する、一部の職人だけが扱う技術だと聞く。特に、軍用の魔道具も作っているアークランド伯爵家御用達の工房には、その技術を持つ者がいるはずだ」
老職人の言葉は、アレンの思考と完全に合致した。リアの父親が防衛関係の要職に就き、魔導具開発にも携わっているという話も繋がる。彼は、この世界の魔法を解明しようとするアレンにとって、まさに彼らは最適な協力者だったのだ。
(やっぱり、リアに頼むしかない!)
「ありがとうございます! すぐにアークランド伯爵に相談してみます!」
アレンは職人たちに深々と頭を下げると、急いで工房を後にした。職人たちは、去っていくアレンの小さな背中を、呆れたような、しかしどこか穏やかな表情で見送っていた。
その日の午後、アレンはリアへ手紙を書いた。工房での出来事と、導魔石の薄膜加工の件、そしてエルン伯爵の紹介で職人をお願いしたい旨を、熱意を込めて綴った。もちろん、その内容はセレスティアが修正し、最後に公爵が検閲することで公爵家としての正式な依頼に沿う形に落ち着いたが、アレンの純粋な思いはきちんと伝わるように配慮された。
数日後、アークランド伯爵家から返事が届いた。
手紙には、リアからの返信と、エルン伯爵から公爵への書簡が同封されていた。リアからの手紙には、アレンの設計図と熱意に感動したこと、そして「父上にアレン様のお願いを伝えたら、喜んで協力してくれるって言ってたわよ!」という喜びの言葉が綴られていた。エルン伯爵の書簡には、娘の友人からの依頼ということで、公爵家への協力の意が丁寧に記されており、魔導具加工に長けた職人を紹介することを約束する内容が書かれていた。
「良かったですね、アレン様。これで、念願の装置が作れますね」
セレスティアは心底嬉しそうに言った。
アレンもそれに対して、「うん、これでまた一歩前進だ」と頷いた。