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003

 季節は初夏の気配を孕み、昼下がりの風が館の回廊を吹き抜ける。アレンが初めて書庫に入ってから更に半年ほどが経っていた。


 書庫の窓際に座したアレンは、今日もまた導魔石と向き合っていた。掌に握る小さな石の表面に、淡く揺れる光の波。その模様は、静かに脈動するようでもあり、微細な干渉が織りなす干渉縞のようでもあった。

 セレスティアによる半年ほどの手ほどきにより、アレンもこれぐらいの初歩的な魔法制御なら扱えるようになっていた。これでも相当に早いらしく、初めて成功させた時はセレスティアも、報告を受けた両親もかなり驚いていた様子だった。


(この石の表面に現れる模様は、ランダムではない……これはマナが流れていく流路を映し出しているように見える)


 導魔石の模様を、アレンは既に百個以上記録している。セレスティアが使える魔法の中でも、放出魔法、加速系、静音系、どれも微妙に異なる模様を持っていた。そして何より興味深かったのは、“同じ魔法”でも、術者の状態により微妙に模様が変わるという事実と、その違いが明らかに出力けっかにリンクしているということだ。


(やはり魔法には単なるON、OFFのようなスイッチではない、多様な"変数”があるんだろうな)


 魔法というものが可変性を持ち、内的状態──たとえば精神集中や情動に影響されるとすれば、それはどう理論的に扱うべきだろうか。よくあるのは条件を固定して1つの変数についてひたすら追求する方法だが、まずはそこから始めてみるべきだろうか。


「まぁ精神状態が影響するっていうのは、量子状態のような「観測によって揺らぐ系」に近い気もするけど……」


 ぶつぶつと呟く彼の目に、熱が宿っていた。

 そこへ、軽やかな足音が廊下から響く。扉が控えめに叩かれ、セレスティアの声が届いた。アレンは自分が書いていたノートを閉じる。


「アレン様、お散歩に出かけませんか? 旦那様の許可が取れましたので、本日は文具屋と、もう一つご紹介したい場所がございます」

「文具屋? ああ、紙とインクももう少ないしなぁ……うん、行こう」


 アレンは立ち上がり、書いていた羊皮紙と筆記具を片付けた。この世界で研究を続けるには、そういったものの確保も必要不可欠だ。


 とはいえ、領主である公爵家の息子だと分かれば町が大騒ぎになるのは必至だ。そこで、セレスティアが選んだ、あまり目立たない格好で外に出ることになった。護衛なので短剣は持っていくらしいが、せいぜい大商会の子息程度にしか見えないだろうとのことだった。

 準備を終え、セレスティアの案内で門を出る。いろいろな用事で親について外出することはあったが、セレスティアと二人で外に出るのは初めてだった。


「わぁ……すご……」


 石畳の舗道に、木造の家々。行き交う人々の衣服は質素だがどこか華やかで、活気に満ちた露店が路地を彩っていた。スパイスの香りと焼き菓子の甘い匂いが混ざり合い、旅芸人の笛の音がどこからか聞こえてくる。活気のある街の風景にアレンは思わず圧倒されていた。


「では行きましょう。アレン様、お手を離さないようにお願いします」

「うん、わかった」


 まずはセレスティアの案内で文具屋を訪れた。そこでは普段からアレンが使っている羊皮紙やインクを仕入れているらしく、セレスティアは店員と顔馴染みだった。アレンたちの服装からお忍びで来ていることに気づいたらしく、店員も気を遣ってくれて、長居することもなく店を後にした。


「とりあえずこれで向こう1ヶ月ぐらいは平気だね」

「そうですね、良かったです」


 文具店で必要な紙とインクを買い求めたあと、セレスティアは町外れへとアレンを導いた。先ほどの大通りの喧騒とは一転して、静寂に包まれたその小道には、時折猫の鳴き声が響くばかりだった。

 到着したのは、そんな町外れにポツンと放置された石造りの建物だった。


「ここです。かつて王立学院の研究分室だった建物……今は使われていませんが、管理を任されている知人に事前にお願いしておきました。中は少し埃っぽいかもしれませんが」

「研究分室……!? ってことは、ここは研究所だったのか?」

「はい。最近熱心に魔法の勉強をされているので、もしかしたら興味があるかと思いまして」

「もちろん、勿論だよセレスティア! ありがとう! 早く中に入ろう!」


 アレンが急かすと、セレスティアは苦笑しながら古びた木扉を開いた。その中は確かに廃屋同然だったが、アレンにとっては宝の山に等しかった。陽の光が差し込む薄暗い室内には、実験机、棚に積まれた巻物や書物、壊れかけた魔道具などが散在している。充満している空気には紙とインク、金属と焦げた木の匂いが混ざっていた。そのすべてが、かつてここに誰か(・・)がいたことを物語っていた。魔法に、人生を捧げてしまうほど熱中してしまうような人間が。


「……すごい。まるで、時が止まってるみたいだ」


 思わず目を輝かせながら、埃を払い、道具のひとつひとつに触れていった。計測器と思われる魔道具の針は止まったままだが、錆びついた機構の隙間からは工夫の痕跡が覗いている。手書きの記録帳には、かすれた文字で幾何図形と記号が並んでいた。


(これは……魔法陣の記録? 時間経過ごとに何かをずらして……条件を探っている……)


 ページの隅に書かれた数式は稚拙だったが、そこに込められた試行錯誤の熱は伝わってくる。今や忘れられた研究が、かつて確かにここに存在していた。


 そのとき、背後で木の床が軋んだ。反射的に振り返ると、扉の脇に一人の人物が立っていた。


 ――初老の男性だった。


 銀混じりの髪を無造作に束ね、くたびれた上着の袖を無精にまくっている。手には重そうな書物が抱えられており、顔立ちは穏やかながらも、目元には鋭さが宿っていた。


「……おや……キミが、“例の坊ちゃん”かい?」


 セレスティアが少し緊張したように背筋を伸ばした。俺が不思議そうにしていると、彼女は目の前の男性が何者かを紹介してくれようとした。


「この方は、元王立学院所属の魔法士官。現在はここの管理を引き受けておられます。名前は……」

「グレイ・マルヴィン。まあ、好きに呼んでくれて構わんよ」


 グレイはゆっくりと歩み寄ると、アレンの手元を見て目を細めた。


「……ほう、あの古い研究記録か。まだ読めるとはね……キミ、文字はもう読めるのか?」

「セレスティアに手ほどきしてもらったんだ。まだ難しいのは読めないけど、だいたいは」


 アレンがそう言うと、グレイは感心したように低く笑った。


「はは……感心、感心。最近の貴族の子供は文字の一つも覚えずに杖や剣ばかり振り回してると聞いたが、まさかこうも本に真っ直ぐに目を輝かせる少年がいるとはね」

「研究を……してたんですか? ここで」

「そうだとも。わしらは“魔法"を"技術"にすることを目指していたんだ。才能に頼らず、詠唱に頼らず、万人が使える魔法を――とな」


(……それは……!)


 それはまさしく、アレンが目指そうとしているものと同じ方向性のものだ。魔法を属人性から解き放ち、誰でも使える「科学」に落とし込む。


「でも、どうして……途中で止まったんですか?」


 俺が尋ねると、グレイは静かに目を伏せた。


「……時代がそれを求めなかった。理屈より“奇跡”の方が都合が良かったんだよ。上の連中にとってはな」

「それは……教会、ですか?」

「そうとも。魔法を誰でも再現できるようになれば、“神の奇跡”のありがたみは薄れる。だから、我々は遥か昔に異端とされた。……でも、それでもな、」


 グレイは手に持っていた書物の中から、一冊の本を差し出した。


「この手記は、わしの同僚が残したものだ。属性間の干渉、マナの収束傾向、導魔石による測定法の工夫……それらの“途中”が詰まってる。……キミにくれてやる」

「いいんですか?」

「ああ。お前さん、なかなかに目がいい。……そして、多分、『コレ』を続けてくれる」


 アレンは震える手でその手記を受け取った。開けば、図と数式、コメントが書き込まれ、血のにじむような研究の足跡が残されていた。中には、かつて見たことのない“属性圏”という概念や、“共鳴臨界閾値”といった興味深い語句も含まれている。


(すごい……まるで、時空を超えて共同研究者せんぱいと出会ったみたいだ)


「ありがとうございます……! 絶対に、これを役立てて見せます」


 グレイは軽くうなずき、窓際に立って煙草のようなものに火を点けた。俺は今すぐにでもこの手記が読みたくてうずうずしており、それを感じ取ったのかセレスティアが言った。


「感謝いたしますマルヴィン卿。少々早いですが、これにて失礼致します」

「期待してるよ、アレンとか言ったか」

「はい、アレン=シルフォードです」

「ああ、アレン。もしも君のやりたいことが完成したら……いや、完成しなくてもいい。何か面白いことがわかったら是非来てくれ。君とは面白い話ができそうだ」

「その折には是非お願いします。僕も、ここの空気が好きなので」


 アレンはすぐに受け取った手記を持って、館の書庫に戻った。


 そしてすぐに、先ほど受け取った手記を広げた。

 そこにあったのは先人の足跡だった。数学体系もまだまだ発達途上で、しかも宗教的な圧力もある中で、それでも探究をやめなかった偉大なる先人が積み上げたものだった。


――――


「しかし、いつの時代も同じように、魔法を探求する人間がいるのものだな……素晴らしいことだと思わないか、ユアンよ」


 セレスティアとアレンがいなくなった後の研究分室跡。グレイは棚に飾られた青年の写真に向かって語りかけた。彼はアレンが持っていった手記の著者であり、何年も前に亡くなっていた。


「彼のような人間が居てくれる限り、我々のあの長い月日は無駄ではなかったと、そう思わせてくれるな……」


 老い先短い人生にもたまには良いことがあるものだと、グレイは一人愉快そうに笑うのであった。

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