8.秘密の名前
ChatGPT:
ありがとうございます。
それでは、小説『君が残した季節』
第8話「秘密の名前」――お届けします。
第8話「秘密の名前」
夏休みが始まって数日が過ぎた。
陽翔は朝からずっと、自室で昔のノートや写真を広げていた。
探していたのは、ただひとつ――「名前」だった。
小学生の頃、図書館で隣にいたあの子の名前。
雨宮凛がそうだと知った今でも、どこか釈然としない記憶の欠片があった。
(本当に、俺は“凛”って名前を聞いたことがなかったのか?)
そして、押し入れの奥から取り出した段ボール箱の中に、それはあった。
古びた落書き帳。端の方に、ひとことだけ走り書きされた文字。
「りん、って名前かな? 本の間にあった紙にそう書いてた気がする」
陽翔は目を閉じた。
たしかに、その記憶はあった。
でもそれを、ずっと「知らなかったこと」にしていたのは自分だった。
(“秘密の名前”にしておきたかったんだ)
凛という存在は、誰にも触れられないように、自分の中でそっとしまっておきたかった。
それが、あの頃の精一杯の“優しさのふり”だったのかもしれない。
—
午後、陽翔は海沿いの図書館へ向かった。
誰かに会う予定はなかった。ただ、もう一度あの席に座りたかった。
窓際の席には、すでに先客がいた。
白いワンピースの少女。――紬だった。
「びっくりした。陽翔がここ来るなんて」
「そっちこそ。家から遠いだろ、ここ」
「うん。でも、たまに来たくなるの。……陽翔と会える気がして」
その言葉に、どこかドキリとする。
けれど紬は、何事もないように微笑んだ。
「ねえ、陽翔。私の名前の由来、知ってる?」
「え?」
「“紬”って、糸を丁寧に紡いでできる布の名前なの。“時間がかかっても、繋がっていられるように”って意味で、両親がつけてくれた」
その意味を聞いたとき、陽翔は言葉を失った。
――彼女の想いは、ずっとそうやって重ねられてきたのかもしれない。
「……ごめん。俺、気づかなかった」
「ううん、気づいてくれてるよ、今は。そうでしょ?」
紬の目が、優しく揺れていた。
それは、決して責める色じゃなかった。
「私、ちゃんと知ってるよ。陽翔が“まだ迷ってる”ことも。凛ちゃんと何かがあったことも。でも、私は……待つ。名前に恥じないくらい、時間をかけて」
陽翔は胸が熱くなるのを感じた。
“待っている”と口にすることが、どれほどの勇気を要するのか。
それを今、真正面から受け止めた。
そして、紬が鞄から1冊のノートを取り出して言った。
「ねえ、良かったら一緒に書かない?――私たちの今を」
ページの一枚目には、誰の名前もまだ書かれていない。
それはきっと、三人の“夏”を記すノートになる。
やがて答えに辿り着くその日まで、まだ続く物語。