4.約束の温度
土曜日の昼下がり、陽翔はひとりで図書館にいた。
机にノートを広げてはいたが、目は文字を追っていない。
ただ静けさだけが、胸の奥のざわめきを落ち着けてくれていた。
ページをめくる手が止まる。ふと隣を見ると、空席だった椅子に凛の面影が重なった。
小学生の頃、何度も見ていた横顔。
話さなかったけれど、確かに心が近づいていた、あの時間。
「……ほんとに、偶然だったのかな」
陽翔はひとりごとのように呟いた。
彼女があのペンダントを持っていたこと。
それを、今になって返してきたこと。
(きっと、偶然じゃない)
その時、ポケットのスマホが震えた。画面には「橘紬」の名前。
『ちょっとだけ会えない? 今日、話したいことがあるの』
陽翔は一瞬迷ったが、すぐに「わかった」と返事を打った。
—
待ち合わせ場所は、昔よく通った公園だった。
錆びたブランコに腰掛けていた紬は、少しだけ髪を巻いていて、大人びて見えた。
「……来てくれてありがと。陽翔に会いたかっただけ、なんだけど」
陽翔は隣に座る。小さな風が吹き、どこか懐かしい匂いがした。
「この公園、覚えてる? 私たち、いつもこのブランコ取り合ってたよね」
「そうだな。勝った方が、ジュース奢ってたっけ」
ふたりの間に、わずかに笑いがこぼれる。
けれどその沈黙のあと、紬はぽつりと呟いた。
「ねえ、陽翔。私ね、ずっと後悔してた。転校しなきゃよかったって。あのとき、陽翔が泣いてた理由……本当は、聞けなかったこと」
陽翔の背筋が少しだけ強張った。
「あの春の日、私も“約束”したかった。でも、私は――怖くて逃げたの」
夕陽が差し込み、紬の頬に当たった。少しだけ赤くなっていたのは、照れか、それとも……。
「今なら言える。私は、陽翔のことが――」
言葉が終わる前に、どこかで鳥が鳴いた。
その一瞬の間に、陽翔の心は揺れていた。
言葉にしてはいけないものと、伝えなければ消えてしまうもの。その狭間で、何かが脈打っていた。
「……ありがとう」
陽翔の返事は、それだけだった。
けれど、その声の温度を、紬は深く胸に刻んだ。
—
その夜、陽翔のスマホにひとつの通知が届いた。
送り主は――雨宮凛。
本文には、こう書かれていた。
『明日、図書館で待ってる。…あの日の続きを話したいの』
そして、物語は、また新しいページを開こうとしていた。