2.沈黙のページ
雨宮凛が転校してきたのは、ちょうど一週間前のことだった。
教室ではあまり話さず、必要最低限の会話しかしない彼女は、クラスの中でもどこか浮いていた。ただ、目を合わせるたびにどこか懐かしいような、それでいて近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
「……久しぶり」
その日、夕暮れの下校路で凛は唐突にそう言った。
陽翔と紬が並んで歩いていた道の先、曲がり角の街灯の下で、彼女は立ち尽くしていた。
「え……?」
陽翔の足が止まり、紬が不思議そうに凛を見つめる。
だが凛は陽翔から目を逸らさず、まっすぐに言葉を続けた。
「七瀬くん、覚えてない? 小学校の頃、隣のクラスだった。図書館で、いつも隣に座ってた」
瞬間、陽翔の中で何かが弾けた。
静かな午後の図書室。薄暗い光と、紙の匂い。黙って隣に座っていた女の子――名前を、聞いたことがなかった。
「あのとき、君がくれた本、まだ持ってるよ」
凛はそう言い、胸元の小さなペンダントを握った。
それは陽翔が小学校の卒業前、落としたものだった。ずっと見つからないまま、忘れていたはずの記憶の欠片。
「……なんで、それを……」
「私、あの春に転校したの。急にね。でも……本当は、一言だけ言いたかった。“ありがとう”って」
風が吹いた。沈黙のまま、3人の間に時間だけが流れる。
紬はなにも言わず、ただそっと陽翔の顔を見ていた。その視線の奥に、言葉にならない感情が滲んでいた。
「じゃあ、また明日」
凛はそう言い、ふっと笑って去っていった。
残された陽翔と紬。しばらく無言のまま歩き出す。
「…陽翔、あの子と何かあったの?」
問いかける声は静かだった。でも確かに揺れていた。
陽翔は答えなかった。ただ胸の奥にしまっていた“沈黙のページ”が、音もなく開かれるのを感じていた。
――そこに綴られていたのは、紬にも、陽翔自身にも知られていなかった、もうひとつの始まりの物語だった。