エーテル
俺は見えない塊を常に持っているため、腕が疲れてきた。たかが3キロといえど、ずっと持っているのは辛い。だからといって、休憩中にどこかに置いた場合、見つけるのに苦労する。
「ねえ、シルフィにはこの塊ってどう見えてるの?」
「んー、僕にもよく見えてないよ? ただ、魔力が感じられるから何かがあるって分かるだけかな」
「じゃあ、やっぱり持ってないと無くしそうだな」
「でも、それってアキラの思った通りに形を変えられるんだよね? だったら、形を変えちゃえばいいんじゃない?」
「あ・・・確かに」
シルフィに言われ、ずっと塊の状態で持っている必要が無いと気付かされる。最初に拾った時に塊だったから、ついついそれが通常の状態だと思い込んでいたようだ。それに、俺の思った通りに動かせるのだから、普段も利用しない手は無いか。
「その前に、塊って呼ぶのはなんかダサいから。名前を付けることにするよ。古代ギリシャでは、宇宙を構成する物質としてエーテルって言うのが存在したと思われていたんだ。だから俺は、呼びやすくエーテルと名付けることにするよ」
「エーテルね。分かったよ。それで、アキラはそのエーテルをどういう形にするんだい?」
「俺のいた世界では、パワードスーツって言うのがあってね。自分の筋肉のサポートをしてくれる機械なんだけど、それをエーテルで再現してみることにするよ。それが出来たら、こういう獣道でも楽に歩けそうだし」
「ふーん、よく分からないけど、出来たら便利になるんだね?」
さすがに精霊であるシルフィにパワードスーツを理解してもらうのは無理か。そもそも、この世界に機械は無さそうだし。
とりあえず、全身を包み込んでサポートするイメージをエーテルに伝える。すると、自分が体を動かしたいときにエーテルにも同じ事をさせることが出来る。試しに右手を上げてみると、誰かに持ち上げられるような感覚があってすごく楽に上がった。
「・・・成功したいみたいだ。うん、すごく全身が軽いし、力もある」
足元に落ちていた10キロはありそうな枝を簡単に持ち上げることが出来た。これで随分と楽になるな。
「ところで、湧水はどの辺?」
「もうすぐだよ」
シルフィが俺の少し前を飛び、案内してくれる。さっきまで時速1キロあるかどうかだった歩みが嘘のようだ。全身を包まれているため、葉で体に切り傷を負う事も、足元の枝や石なんかを踏んで痛がることも無い。目を覆ってても透明で見えるから、目にゴミも入らないしね。それに、耐久力を測ったわけじゃ無いけど、少なくともこの辺に落ちている物じゃエーテルが傷つくことは無さそうだ。見えないけどね。
しばらくシルフィに着いて行くと、結構大きな池が見える。湧水っていうから小さいものをイメージしていたんだけど。近づいてみると、透明度が高くて綺麗だ。そして、池の反対側には鹿みたいな野生動物が水を飲んでいた。それなら、毒も無さそうだな。
「アキラ! 逃げて!」
「は? 逃げるって・・・何から?」
「見えないの?! キラーディアからだよ!」
「ディアって鹿か? え? 鹿って草食だろ?」
「何の話をしてるの! あいつは魔物だよ!」
シルフィがそう言うのと、水を飲んでいた鹿がこちらを見るのが同時だった。そして、シルフィがキラーディアといった魔物が、俺を発見すると頭を下げて角をこちらに向ける。その角はドリルの様に尖っていて、刺さったら痛そうだ。
「って、向かってくる!?」
キラーディアは、30メートルはあった距離を数秒で詰めてくる。そして、逃げる間も無く俺の体に角を突き刺した。
「アキラ!」
「ぐっ、だ、大丈夫だ」
エーテルで全身を覆っているため、角は俺に刺さることは無かった。吹っ飛ばされはしたが、体に怪我は無い。
「そいつは木に登ることが出来ないから、木の上に逃げるんだ!」
「いや、今日の俺の飯になってもらう!」
硬いパンと水だけでは、高校生の俺の腹は全く満たされていない。それに、ずっと森の中を歩いていて空腹も限界だ。ここで食料を手に入れられなければ、餓死する可能性がある。まあ、シルフィが食えるキノコが生えてる場所を知っているなら別だけど、それはそれで肉は食いたい。
「エーテル!」
俺はエーテルをわっかの様にして体の前に固定する。そして、キラーディアが突進してきたのに合わせて首に巻く。
「グアァ!?」
うまく首にわっかがかかったので、そのまま締めていく。呼吸が出来なくなったキラーディアは、しばらくすると動かなくなった。念のため、もうしばらく待ってから近づく。
「し、しんだよね?」
「うん、すごいねアキラ。魔物を倒しちゃうなんて。この森じゃあ、結構強い魔物だと思うんだけど」
「ゴブリンよりも?」
「ゴブリンなんて、キラーディアの角で一撃だよ。だから、それを無傷で耐えたアキラのパワードスーツってすごいね」
ああ、やっぱり最初に俺が襲われたのはゴブリンだったんだ。そいつよりも強いとなれば、俺はこの森でも生きていけそうだな。いや、森に住むつもりは全く無いけど。
「とりあえず、血抜きしないと。エーテルをナイフ状にして、首を切るか」
その辺の木の太い幹にキラーディアを逆さにしてぶら下げ、首を切る。これで、しばらく放置しておけばそれなりに血が抜けるはずだ。
「それじゃ、その間に水を飲むのと、体を洗いたいな」
エーテルを袋状にして飲み水を確保する。ああ、体中泥や汗だらけで気持ち悪い。水は思ったよりも冷たくて、腕を軽くつけると、少し切り傷にしみるけど気持ちいい。
「・・・で、シルフィは何で近くに居るの?」
「え? 一緒に居るって言ったよね?」
「そうだけど、俺は水浴びしたいんだよ。分かるだろ?」
「僕は水浴びなんてした事無いから分からないけど? 精霊は、体が汚れることなんてないし」
「じゃあ、服を洗濯したりとかは?」
「僕のこれは服じゃないよ。僕を覆う魔力を服みたいにしてるだけ。だから、便宜上服と呼んでいいけど、汚れることは無いよ」
「とにかく、俺は体を洗いたいの。だから、あっち向いててくれない?」
「なんで?」
「恥ずかしいからだよ」
「何が?」
「いや、異性に体を見られたく無いでしょ」
「なんで?」
どうやら、精霊の意識が全く違うらしく話が通じない。逆に、どうして見られたくないのか興味を持ったみたいで離れてくれない。羽を触られるのはダメなのに、裸はいいのかよ。
「もう、勝手にしろ」
俺は、シルフィの存在を犬や猫みたいなものだと認識することにした。動物に体を見られたところで恥ずかしくなんて無いし。俺は、唯一着ていた白い布を脱ぎ、池に入る。やはり傷にしみるが、さっぱりとして気持ちいい。
「ねぇねぇ、アキラ。その前についているのってなーに?」
「じろじろ見るんじゃねーよ!?」
やっぱり、シルフィを犬や猫みたいなものだと思うのは無理だ。だって、話しかけてくる動物なんて居ないだろう。