浮気していたと罵倒されましたが、浮気していたのは彼女の方でした
こちら以前途中まで書いてきた作品の供養をこめて短編になります
今はばたばたしてますが、また続きをかけたらいいなぁ……
「……ああくそ、何でこんなことに」
そう俺、アルバートが呟いたのは、強い太陽の下のことだった。
真昼間の照りつけてくる太陽に顔を顰めながら、日陰を探す。
「あそこで休むか」
そして宿屋の隅に休めそうな影を見つけた時には、俺の身体は汗だくになっていた。
時期に身体が臭うだろうことは容易に想像でき、俺は忌々しげに吐き捨てる。
「くそ、家に帰ったらまず身体を洗わねえと」
このまま帰れば間違いなく恋人、ミリアによる罵倒が待っている。
汗臭い、汚い、近寄るな、何時ものようにそう言われる未来が想像でき、俺は情けなく手で顔を覆う。
「その前に、まだ家に帰れさえしないんだけどな」
そう呟く俺が思い出すのは、こうして炎天下を追い出された経緯だった。
言っても大した理由があるわけじゃない。
ただ、ここ数ヶ月ミリアの機嫌が異常に悪く、理由なく家から追い出される日が増えたのだ。
普通に考えれば、そんなことをされれば恋人に怒るべきかもしれない。
だが、俺にはミリアを怒れない理由があった。
なぜなら、ミリアの不機嫌の理由は俺の浮気なのだから。
「……といっても、勘違いなんだけどなぁ」
そう言って、俺が思い出すのはミリアが浮気と勘違いした数ヶ月前のできごと、幼馴染との会話だった。
そのできごとを思い返すと、たしかにあれは傍から見れば、浮気と考えてもおかしくない場面だったかもしれない、とは思う。
何せ、相手の幼馴染は俺と同い年の二十六の美人で、男性から人気のある元ギルド職員だ。
俺が冒険者であることを知っているミリアからすれば、浮気を疑っても仕方ないかもしれない。
「あいつが子持ちであることさえ除けばな」
そう、実のところその幼馴染、アリーシャは結婚している。
それも、相手はこの街の次期領主だ。
そんな相手と結婚しながら、俺と火遊びするなど普通は考えない。
だから、最初浮気について言われた時、俺はミリアが誰とのことを言っているのか、一瞬分からなかった。
……後から考えれば、それこそが一番ミリアの態度を損ねたのだろうが。
「今から考えても後の祭り、か」
その浮気を疑われて以来、ミリアは常に俺を罵倒するようになった。
それどころか、今日のように顔を見たくないと家を追い出すことや、物を投げつけてくる時もある。
俺が冒険者として、丈夫な身体を持っていなければ、今頃身体は痣だらけだったに違いない。
家に帰れば、またヒステリックなミリアが待っていると考えると、一瞬憂鬱な気分になる。
「しっ!」
しかし、俺は自分の頬を強めに叩くことによって、そんな考えを吹き飛ばした。
「大事な恋人だし、根気強く誤解を解かねえとな」
そう言って俺は、近くの店の窓に自分の姿を映す。
地味な服に、印象に残らない黒髪黒目の冴えない男。
それが俺だ。そんな俺を、ミリアは好きだと言ってくれたのだ。
今少しすれ違っているくらいで、ヘタってどうする。
長い時間が思い出すのはかかってもきちんと話し、仲を戻すのが男の甲斐性と言うやつだろう。
「よし!」
一緒に笑いあっていた頃のミリアと自分の姿を思い返しながら、俺は気合いを入れる。
……窓の隅、見覚えのある人間の姿が映っていることに俺が気づいたのは、その時だった。
「ん?」
それが宿屋の入口近くの光景が、窓に反射された光景だと分かった俺は、何気なしに宿屋の方へと振り向く。
「……え?」
そして俺は、自分の目に入ってきた光景に、唖然と立ち尽くすことになった。
赤い長髪に、勝気な吊り目の美人。
見慣れたその容姿に、俺は小さく息を飲む。
何時もよりも着飾っていても、それが誰だか俺には容易に分かった。
なにせ、この二年間家族よりも長く一緒にいた相手なのだから。
「嘘、だろ」
なのに、俺はその光景を受け入れられなかった。
いや、受け入れたくなかった。
そこにいる女性が、俺の恋人ミリアだと。
宿屋の入口にいる人間が彼女だけなら、俺はここまで衝撃を受けなかったかもしれない。
滅多に見せないお洒落姿だとしても、まだ自分を誤魔化せた。
……だが、ミリアの隣で立つ若い男性の姿が、俺に現実逃避を許さなかった。
何か言わないと、そう思うのに俺の口から言葉が出ることはなかった。
そんな俺を他所に、笑いあった二人は笑いあって、宿屋の中へと入っていく。
その光景を見ながら、俺には何もすることができなかった……。
◇◆◇
若い男と宿屋に入っていくミリアの姿。
それを見送ってから、俺は呆然と家に向けて歩き出す。
頭の中では、現実逃避の言葉が溢れていた。
何かの見間違いではなかったのか?
そうでなかったとしても、ただの友人だったのかもしれない。
家に帰れば、きっとミリアがいるはずだ。
……だが、そう考えられたのも家に辿り着くまでのことだった。
家の中にミリアの姿はなかった。
そして、机の上に乱雑に置かれた化粧道具を目にし、ようやく俺は悟る。
いくら否定しようが、そんなものなんの意味もないことを。
なぜなら、ミリアの態度がおかしいことに、俺は気づいていたのだから。
かなり前から、突然ミリアが身だしなみに気を使うようになったこと。
最近、やけに俺を追い出そうとすること。
今までのミリアの態度が、全て自分の中で繋がっていく。
「ミリアは浮気している、のか?」
もう、そうとしか考えられなかった。
「……いや、まだそう考えるのは早計なはずだ」
それでも、俺は受け入れられず必死にミリアが浮気をしていない証拠を探す。
ミリアに限って、そんなことがあるわけないと。
しかし、考えれば考えるほど、ミリアが浮気をしているとしか思えなかった。
「くそ……!」
それから一体どれだけ時間が経ったのだろうか。
薄暗い部屋の中、俺はあかりも付けずに椅子に座って項垂れていた。
胸の中を、どうしようもない虚しさが支配している。
もし、本当に浮気をしていたのだとしたら、今まで浮気を勘違いしたミリアに気を使ってきた俺は、なんだったのか。
やり場のない感情に、俺は俯く。
家の扉が開く音が響いたのは、その時だった。
この場所に俺がいる以上、扉を開けた人間が誰かは決まっている。
「……ミリア」
その瞬間、俺は勢いよく走り出していた。
力加減など考えず、俺がいる部屋の扉を開く。
部屋から出てきた俺の姿に、ミリアは玄関の前で目を大きくしていた。
何時もなら、許可がなければ俺は家に入れない。
だから、家に俺がいるなど考えもしていなかったのだろう。
しかし、驚いていたのも一瞬のこと。
すぐにそのつり目に俺に対する軽蔑を浮かべ、口を開く。
「あら、帰っきてたのアルバート。顔を見たくないと言ってたのにもう帰っているなんて、浮気した罪悪感はないの?」
それは、普段ならいつものことだと流している罵倒。
ただ、今の状況では俺も、その言葉を聞き流すことはできなかった。
ふつふつと腹の底から湧いてくる怒りを感じながら、俺はミリアへと告げる。
「ミリア、話がしたい」
勝気なミリアの顔に、戸惑いが浮かぶ。
ようやくミリアも、今の俺がいつもと違うことを分かったらしい。
「……何よ」
「一つだけ聞かせてくれ」
身構えるミリアに、俺は率直に尋ねることに決める。
ここでもし、ミリアに慌てる様子があれば、それは浮気が確定すると覚悟を決めて。
「今日、ミリアが若い男と宿屋に入るのを見た。──もしかして、浮気をしているのか?」
「……っ!」
俺の言葉に、ミリアが顔に浮かべたのは驚愕の表情だった。
浮気について俺に言われるなど考えていなかった、とでも言いたげな。
そしてその表情には、一切の焦燥も存在しなかった。
俺は小さく安堵の息を漏らした。
ミリアの表情は、俺の質問が想定外であることをありありと物語っていた。
浮気を見つけられて焦っているという表情は、ミリアの顔に一切浮かんでいない。
それを目にして、俺は判断する。
どうやら、ミリアは浮気をしていなかったようだと。
そうだ、今から考えれば当たり前の話だ。
何せ、俺は浮気を勘違いされて、この数ヶ月ミリアに罵倒され続けていたのだ。
あれだけ怒っていた人間が、浮気をするわけがない。
そう考える俺へと、ミリアが笑みを見せる。
「あら、ようやく気づいたの? 遅かったわね」
俺への嘲りを隠さない、ミリアの笑み。
「……なっ!」
ミリアが告げた言葉の意味を俺が理解したのは、その笑みを見た時だった。
堂々と浮気を認めた言葉に、動揺を隠せない俺へとミリアは笑う。
「はぁ、何驚いてるの? ここで、私に浮気してませんー、なんて言って欲しかったの? ばかみたい!」
そう俺を馬鹿にするミリアには、一切罪悪感などは見つけられなかった。
その態度に、今さら俺は気がつく。
……浮気しているのか、そう問われた時ミリアが一切焦らなかったのは、バレようが構わないと思っていたからだと。
「そもそも、今まで気づいていなかったとは思ってなかったわ。よく考えれば分かるでしょうに、あんたみたいな稼げない冒険者と、私がいつまでも付き合うなんて考えるわけないじゃない」
そう言って、ミリアはケラケラは笑う。
俺を嘲るのが、楽しくて仕方ないと言った態度で。
……そんなミリアを前に、俺は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
恋人関係であった数年間、こんなミリアの姿を俺は見たことがなかった。
どうして、そんな問いを頭に巡らせながら、俺は呆然と口を開く。
「……俺が、悪かったのか? 本当に、浮気なんて俺は!」
「はあ?」
今まで愉快そうに笑っていたミリアの目に、不機嫌そうな表情が浮かんだ。
「悪かったのか、ですって? そんなことも分からないの。悪いに決まっているじゃない」
苛立ちを隠さず、俺を睨みつけたミリアは叫ぶ。
「逆にどこにいいところがあるの? 稼ぎは並。私の言うことをただ聞くだけのあんたみたいな男に。あの人、ラーズと比べたら悲しくなるわね」
ラーズ、それがミリアの浮気相手だと理解すると同時に、俺は気づく。
ミリアの心は、もう完全に俺から離れているのだと。
……おそらく、ミリアが俺の浮気を疑い始めたその時にはすでに。
そのことを受け入れられず、俺は縋るように口を開く。
「……金が欲しいなら言ってくれれば」
「なに、いまさら負け惜しみ?」
だが、ミリアには俺の言葉を聞く気など残っていなかった。
「つまらない嘘は見苦しいわよ。ラーズは貴方と違って、騎士なの。まだ下級騎士だけど、冒険者と違って、収入が安定して社会的地位もある人なの」
「頼む。聞いてくれ! 下級騎士程度言ってくれればすぐに稼げる。冒険者だって、高位になれば……」
それでも必死に、俺はミリアの「勘違い」を正そうと声を上げるが……それは逆効果でしかなかった。
「はぁ、本当にみっともない」
そう呟いた時のミリアの目に浮かんでいたのは、俺に対する嘲りだった。
「──プラチナランクにさえなれない人間が何を言っているの?」
「……っ!」
その瞬間、俺は強く拳を握りしめていた。
胸の内に湧き上がってきた激情に駆られるまま、ミリアを睨む。
しかし、俺がその怒りを持続されられたのは、ほんの一瞬のことだった。
怒りの代わりに、どうしようもない虚しさが胸に拡がっていき、俺は拳の力を抜く。
そんな俺を見るミリアの目には、嘲りが浮かんでいた。
それが何よりも雄弁に、ミリアが俺をどう思っていたのかを語っていた。
ミリアにとっては、俺は本当にどうしようもない嘲る対象でしかなかったのだと。
「本当に情けない男。付き合っている価値がないわ」
その言葉を区切りに、ミリアは俺に背を向けて歩き出した。
ミリアが出ていこうとしている、そう分かりながら俺にはもう何もできなかった。
「そうそう。この家にある私のものは全部あげるから。全部ラーズに買ってもらうし」
玄関の扉の前で止まったミリアは、振り返ることさえせず、一方的に話し始める。
「だから、もう私を追いかけてこないでね」
そして、その言葉を最後にミリアは部屋から出ていく。
そんな彼女に対して、俺は何か言うことさえできず、立ち尽くすことしかできなかった……。
◇◆◇
ミリアが家から出ていった後、俺は寝ることもできす呆然と椅子に座っていた。
頭の中には、今さらすぎる後悔がいくつも浮かんで消えていく。
「……もう朝か」
そして気づけば、窓から日が差し込んでいた。
長時間俯いていたせいか、硬くなった首を動かし顔を上げると、日に鮮やかなデザインが照らされた壁が目に入った。
それはミリアに頼まれ、芸術家を雇ってデザインしてもらった世界に唯一の壁だった。
このデザインは決して安くはなく、家を建てた料金と合わせた金額はとんでもないものになった。
その金額を稼ぐため、ミリアに頼み込んで、特別に十日以上かかる護衛依頼を受けることを許可してもらったことは記憶に鮮明に残っている。
護衛をした直後、仲間に打ち上げを誘われるのも断り、すぐに家に飛び帰った時は、本当にへろへろだった。
それでも、疲れきった俺に無理をさせたことを謝りながら、ミリアが感謝の言葉を伝えてくれただけで、全ての疲れが報われた気がした。
そんな日々は、もう戻らないのだ。
「……この家は売るか」
そう悟った時、俺は自然とそう決意していた。
◇◆◇
ミリアと二年過ごしたその家は、家を建てる際に仲介してくれた不動産屋で、かなりの値段で売れた。
壁のデザインや、未だ建てられてから二年しか立っていないこと。
そのお陰で、売れた金額は安くはなかった。
「この程度か」
だが、不動産屋の中、その金額を目にして俺が抱いたのは、虚しさだった。
たしかに、ここ二年の間ではこんな金額を手にするのは、本当に稀だった。
とはいえ、ミリアと別れて得たのがこの程度の金額だと考えれば、あまりにもちっぽけな金額に思えてしまう。
そもそも、冒険者としての経験からすれば、この程度の金額は端金でしかないのだ。
そんなことを考えていたからだろうか、気づけば俺の思考はこの二年僅かにしか顔を出していない冒険者ギルドの方へと移っていた。
「以前、行ったのはいつだったっけな……」
今まで貯めていた金額と、安定した収入を得ることを望むミリアに応えて臨時に宿屋で働き始めて、それで生活には十分な金額となっていた。
だから俺は、それ以上を望まないようにしていた。
それだけで満足したのだと、満足するべきだと自分に言い聞かせていた。
ミリアの言う通り、もう危険など侵さず過ごすべきなのだと。
守らないといけない人間のために、命を大切にすべきだと。
しかし、俺はふと気づく。
もう守らねばならない人間はおらず、自分の気持ちを押しこめる必要もないことを。
……もしかしたら、もっと早くこの決断をすべきだったのかもしれない。
ミリアが言い放った言葉が脳裏によぎる。
── 稼ぎは並。私の言うことをただ聞くだけのあんたみたいな男に。
「ミリアに言って、冒険者に戻っていれば、別の未来があったのだろう……いや」
あまりにも情けない未練が口が漏れるが、俺は首を振ってその考えを捨てた。
ミリアの嘲りの表情が、すぐに思い浮かぶ。
もうミリアが、俺の話を聞いてくれないことは容易に想像できた。
それにどれだけ辛くても、もう前を見て歩くしかないのだ。
かつてミリアに言われた言葉を思い出し、虚しさを感じながらも、俺は必死に未練を胸の奥底に押し込める。
どれだけ望んでも、もうあの生活は戻りはしないのだから。
けれどせめて、これだけは。
そう考えながら、俺は家を売った不動産屋の店主に、家を売った金の半分を渡す。
「お客さん……?」
「一つ頼まれてくれないか」
力なくそう告げた俺に、店主が頷いたのを確認して、俺は頼みを口にする。
「もしミリアが……以前俺と家を建てるのを頼んだ女性が店に来たなら、この金を渡してくれないか?彼女は、この金額を受け取るべき人間なんだ」
「はぁ……。自分で貰っておけばいい気がするんですが。まあ、お客さんがそう望むなら」
そう言って、店主は快く受け取ってくれる。
その店主にお礼を告げ、俺は店を後にした。
そして歩きながら、俺は少しだけ自分の気が楽になったことに気づく。
「新しくすることを決めたから、活力が出てきたのか? ……我ながら単純だな」
そう思いながら、俺は行き先を思い描きながら呟く。
「行くか。──冒険者ギルドに」
そう呟き俺は身体の向きを帰る。
「仮にも元Bランクなんだ。少し位覚えてくれてるやつがいたらいいが……」
しかし、その時の俺は知らない。
自分の想像は裏切られること。
……想像もつかない歓迎がそこに待っていることを。