6.出発の朝
朝5時半。
目覚ましのアラームがけたたましく鳴り響いている。
ここ最近、起きたいときに起きるシステムに体が慣らされていたせいで、目覚ましの音で意識は戻ったものの、なかなか体が動かない。
布団にグラビティの魔法がかけられて僕を縛り付けているようだ。
「今日から仕事だ……起きなきゃ……起きな……」
ちょっとぐらい遅刻してもいいか、という魅力的な思考が圧倒的に優勢だ。ここは潔く二度寝してしまおう。
「朝ゴハンできてるから起きなさい」
母さんの声だ。心なしかいつもより優しい。
昨夜帰ってきて、就職が決まったと言ったらすごく喜んでくれた母さん。喜んだのと同じくらい驚き、心配してくれた母さん。
そりゃそうだよな。ろくに魔法も使えないのに勇者のパーティに雇ってもらって、あまつさえトリプルSランクの魔物を倒しに行くなんて。
心配かけてごめん。でも、立派に勤め上げて、初任給で母さんに何かプレゼントするよ。何がいいかな。僕が元気に帰ってくることが一番のプレゼントかな、なんて。
「朝ゴハンできてるから起きなさい」
あれ? 同じセリフのはずなのに、おかしいな、さっきとはちょっとニュアンスが違う気がする。響きが鋭いというか、語尾が強いというか、全体的に低いというか。
……あ、やばっ!
思ったときには遅かった。母さんの必殺武器、フサフサの部分を魔力で硬化した箒で薙がれ、僕はベッドから転がり落ちていた。
「何回言わせるの! 早く起きてゴハン食べなさい」
「一発目は軽いジャブがいいです……」
一発目からトドメの一撃をくらった僕は、激痛のあまり立ち上がれず、床をはいずるようにキッチンに向かった。
「しかし、あんたが勇者のパーティに就職したなんて」
採用通知書をまじまじと見ながら、母さんが紅茶を入れてくれる。昨夜からこのフレーズを何度も繰り返しているので耳にタコができそうだ。
「うん。スキル不問で雇ってもらえた」
サンドイッチを食べながら母さんの手元の採用通知を見る。
「ドラゴンにあんたを食わせてる間に首をはねる作戦なのかもね」
「ちょ、母さん!」
「冗談よ。ちゃんと勇者認定受けてるみたいだし、詐欺ではなさそうね」
母さんが採用通知書の「雇い主」の欄を指した。
そこには「ワンダー・ドリーミング・スマイル・カンパニー」と記載されている。十分すぎるぐらい心配になる名称だ。
「あんたを雇った勇者の法人名らしいけど、肝心の勇者の名前は聞いたの?」
「それが、聞き忘れちゃって」
2つ目のサンドイッチをつまみながら頭をかく。我ながらうっかりが過ぎる。
「この法人名でちょっと調べてみたんだけど、どうやら今回が初討伐らしいの。過去の履歴がないから、勇者の強さもメンバーの情報も未知数ってわけ」
「そういえば、オープニングスタッフって言ってたもんな」
「勇者とはいえ、霧の湖のドラゴンは強いから、何かあったら逃げてくるのよ。ついでに腕の1本も折られてくれば、労災申請できるから覚えておいて」
「ケガひとつなく帰って来たいです」
3つ目のサンドイッチに手を伸ばしかけ、ちょうど腹八分目なので手を引っ込める。代わりに紅茶のカップを取り上げた。
「これ、お守りよ。持って行きなさい」
「え?」
紅茶を飲んでいると、目の前に小さな袋を置かれた。手のひらにすっぽり収まる大きさで、まったく厚みがない。
空っぽなのかなと思っていると、母さんが真剣な目でまっすぐに僕を見て言った。
「ピンチの時に開けなさい。きっと役に立つから」
いつかマンガで読んだ、青いネコ型ロボットが未来の世界に帰るとき友だちの男の子にアイテムを託して言ったセリフと似ている。
「う、うん。ありがとう」
母さんの眼力も声も迫力がある。実の親子なのに怖くて背筋が寒くなった。
この感じだと、生き死にに関わるピンチの時に開けるべき何かが入っていると思われる。
トイレに入ったらトイレットペーパーが切れていた、レジに並んだら財布を忘れていた、程度で開けたら、きっと母さんにどやされるんだろうな。心しておこう。
もらったお守りを内ポケットの二重底の奥にしまい込む。強盗対策だ。
朝食を終え、準備しておいた荷物を持ち、玄関へ向かう。
「じゃあ、行ってくるよ。母さん」
「しっかりね」
いつも強くたくましく美しい母さんの顔が、少しだけ寂しそうに曇っていた。気のせいかもしれないけど。
町のはずれの教会。5時45分。
あたりに人影はない。
そして今更気付いたのだが、「町はずれの教会」と呼ばれる教会は、東と西にそれぞれある。どちらも旅立ちの前にお祈りを捧げるため、町の外れに建っているのだ。
霧の湖の方角は東なので、普通に考えて東の町はずれの教会に来た。
しかし、カエルのセトの話によると、「勇者は西から来た」らしいので、西の町はずれの教会のことを言っていたのかもしれない。
小さい町ではあるけれど、ちょっと走って見て来ようという距離ではない。
空間をスキップして離れた場所の状況を確認できるようなスキルも持ち合わせてはいない。
初日から遅刻なんて、社会人としてあるまじきことだ。しかも、集合場所の確認を怠ったせいで遅刻するなんて、意地悪な先輩がいたら「まだ学生気分が抜けてないんじゃないか」と嫌味を言われるパターンだ。
集合10分前になり、僕は焦り始めた。
この時間にパーティのメンバーが1人も来ていないなんてことがあるだろうか。
集合場所は西の町はずれの教会じゃないのか。きっとそうだ。そうに違いない。
今からダッシュしても10分で西の町はずれにはたどり着けないけど、全力で走って来たという気持ちだけでも見せなくては。
靴の紐を結び直す。軽く足首の運動をして、さて、位置について……と、走り出しかけたとき。
頭上から、バサリ、と布を広げるような音がした。
見上げると、巨大な鷲が両翼を広げ、ゆっくりと弧を描いていた。ちょっと見たことがないほど大型で、そして、陽光を浴びて青紫色にきらめく羽根がとても美しい。
位置についてのポーズで真上を見上げていたら、鷲がどんどん高度を下げて来た。
やばい。もしかして僕をエサだと思ってる? 逃げなきゃ……!