死にたい男と死にたい女 恋に破れて恋に落ちる
ある日湯田が公園で木の枝ぶりを確認していると、後方から微かに女の声がした。
気になった湯田が声のする方に走っていくと、そこには、今まさに首を吊ろうとしている若い女の姿があった。
湯田は咄嗟に声をかけた。
「ちょっと君、なにするつもりだ!」
女は湯田の声にビクッと肩を揺らし、湯田を睨んだ。
「⋯⋯あなたには関係ないでしょ。どっか行ってよ」
「なにをするのかによっては関係があるかどうかが変わってくる」
「なにをするのかって、見て分からないのかしら? 死ぬのよ。私は今からここで首を吊って死ぬのよ!」
「なぜだ? なぜ自殺なんてするんだ? まだ若いのに」
女はさらに湯田を睨み、なにも言わず縄に手をかけた。
「分かった分かった、もう邪魔はしないから、最後に1つだけ質問させてくれないか?」
「なによ」
「この木以外に良い感じの木はあった?」
女は驚いたような顔で湯田を見た。
「⋯⋯もしかして、あなたも?」
「ああ、そうだよ」
「どうして?」
「自分は理由を言わないのに、人にだけ話させるつもりかい?」
「そうよ」
「ははは、面白いな君!」
彼女の堂々とした態度に湯田はつい笑ってしまった。
「あなた、元気そうじゃないの。わざわざ死ななくてもいいんじゃないの?」
「そういう訳にはいかなさいさ。僕はもう立ち直れないくらいにボロボロになってるんだ。これ以上生きてたってなんの望みもないよ。さっき笑ったのも、開き直っただけさ」
「なにがあったのよ」
湯田は女のあまりのしつこさに折れ、ぽつりぽつりと理由を話し始めた。
「はぁ!? 女に振られたから死ぬの!?」
理由を聞いた女は理解出来ないというような表情で言った。
「そうだ」
「女なんて星の数ほどいるのよ? わざわざ死ぬことなんてないわよ」
「世界で1番好きだったんだ。彼女しかダメだったんだ」
「そんなに好きだったの?」
「彼女は今まで生きてきて、唯一僕に優しくしてくれたんだ。彼女以上の女性を、僕は知らない」
「でも振られたんでしょ? 実は優しくなかったんじゃないの?」
「彼女の悪口を言うな! 僕が悪いんだ、僕が至らないから⋯⋯」
「私で良かったら話聞くわよ」
女性はようやくロープから手を離し、湯田のほうに体を向けた。
「実は僕、今働いていないんだ。半年前に怪我をしてしまってね、仕事を続けられなくなって辞めたんだ」
女は湯田の目を見て、真剣な表情で聞いている。
「僕の収入がなくなったことで彼女の負担が増えて、それから徐々に僕に暴力をふるうようになった」
「ひどい⋯⋯」
「ひどいかもしれないけど、悪いのは僕だから仕方がないんだ。僕に甲斐性がないせいなんだ。それで今日、ついに別れを告げられたよ。職場の後輩といい感じになってるんだって」
「そんなのひどいじゃない! 最低な女よ! 彼氏が怪我して働けなくなったのなら、そういう時こそ力を合わせて、協力して頑張るべきじゃないの!」
彼女の熱い言葉に、湯田は一瞬驚いた。
「でも、違うんだ。彼女は優しかったんだ。最低なんかじゃ⋯⋯ないんだ」
「違わないわ。あなたがその女しか知らないだけで、世の中には優しい人がたくさんいるのよ。世界はあなたが思っているより広いんだから」
「⋯⋯そうだね、君みたいに見ず知らずの僕のためにここまで言ってくれる人がいるんだもんね」
「分かってくれた?」
「分かったよ。君は優しい。そして、君みたいな人もたくさんいる。だけど僕はもう疲れたんだ。死なせてくれよ」
「分からず屋!」
「そろそろ君の理由も話してくれないか?」
「⋯⋯分かったわよ」
そうは言うものの、女はなかなか次の言葉を発さなかった。やがて、女は涙を溜め始めた。
「場所を変えよう」
湯田が気を利かせて、女を林から連れ出した。
2人は縄をその場に放置して、ベンチまで歩いた。
腰をおろすと、湯田は内ポケットからタバコを取り出した。
「一服させてもらうよ」
「どうぞ」
くわえたタバコにライターで火をつけ、そのままムシャムシャと食べる湯田。
「⋯⋯えっ」
ぽかんとした表情で固まる女。
「タバコってそうだったっけ?」
「いや、違うよ?」
「じゃあなんで食べたのよ」
「君を笑わせようと思って。つらいんだろ? 話したくなかったら話さなくてもいいさ。僕なんかよりよっぽどつらい思いをしてるんだろう。だから、僕は君を救うことにしたんだ」
「笑えないわよ。焦っただけ。それに、会ったばかりの自殺する予定の男に救われるほど私も安くないわ」
「まあまあそう言わずに、なんとか立ち直ってくれよ。君を助ければ自殺したとしても天国に行けるかもしれないし」
「結局自分のためじゃないの。それに、天国なんてないわよ」
「ひどいな君。これから死ぬ人にそんなこと言うなんて」
「あなたが無責任に救おうとしてくるから悪いのよ、何も知らないくせに」
「君が教えてくれないからだろ」
「分かったわよ、話せばいいんでしょ、話せば!」
理由を聞いた湯田は笑った。
「あれだけ僕に言っておいて、自分も男に振られたから死のうとしてたって、なんだよ!」
「ほらやっぱりそういうこと言う! だから言いたくなかったのよ!」
「そりゃ言うよ! 世の中には星の数ほど男がいて、君の元カレより優しいやつがたくさんいるんだろ? 僕にそう言ったよな?」
「いないわよ! 彼より優しい人なんてどこにもいないの! 彼は特別だったのよ!」
「だったら僕の彼女もそうだよ! 世界一優しいんだ! 君の彼氏よりもね!」
「なんですってー!」
「なんだとー!」
自分の元恋人の方が優れているという2人の言い合いはそれから数十分続いた。
「コラコラ君たち、いい加減にしなさい!」
公園の入口の方から自転車に乗った男が入ってきた。
近づくにつれ、その男が警察官であることが分かった。
「公園でカップルが大声で喧嘩してるって通報があったから来たんだ。君たち、今夜中の1時だよ? 近所迷惑だからやめなさい!」
「あの、カップルじゃないんですけど」
女が湯田を指さして警官に向かって言った。
「そうそう、こんな自慢しかしない女と付き合うわけないですよ!」
「それはあなたでしょ! 元カノの自慢話ばっかして!」
「はいはい、もう静かにしてね」
「やです!」
「僕もイヤです!」
「なんでだよ!」
警察官は2人に詳しく話を聞いた。
「なるほど⋯⋯似たもの同士なんだね、君たちは」
「「似てません!」」
「息もピッタリだね。振られた者同士くっついてみたらどうだい? 歳も同じくらいだろ?」
警察官の男が冗談めかして言った。
「でも、話を聞いた感じ2人とも優しいよね。世界の広さを教えてあげたり、タバコを食べて笑わせようとしてみたり。正直2人とも変だと思うけどさ、そんな2人だからこそ意外と上手くやっていけるんじゃないかなって思うんだ」
「「変じゃないです!」」
「いや変だよ。⋯⋯そろそろ僕帰るね。君たちも帰るか、ここに残るのなら静かに過ごすんだよ」
そう言って警察官は帰って行った。
「⋯⋯どうする? まだ死ぬ気、ある?」
湯田が訊いた。
「当たり前じゃない。私には彼しかいなかったんだもの」
「僕さ、久しぶりに楽しかったんだ。こんなに人と話したのは何ヶ月ぶりだろう」
「楽しかったって、喧嘩してただけじゃない」
「うん。死んだら喧嘩も出来なくなるなーって」
「そうね」
「僕、芳樹っていうんだけど、君は?」
「友梨よ」
「なぁ友梨、僕たち付き合わないか?」
「なんで呼び捨てなのよ。付き合わないわよ。今から死ぬんだから」
芳樹はなんとか説得しようと思った。
「首吊りなんてするもんじゃないよ、マジで。ひどい顔になるらしいし、口から色んなものが出たり、おしっこが出たりするらしいよ」
「そんなの知った上で来てるし、あなたもやろうとしてたじゃないの。今更そんな脅し効かないわよ」
「ご両親が悲しむよ。お友達も」
「だからあなたも同じでしょって。どの口が言うのよ。それに私は友達なんていないわ」
「君きれいなんだからさ、もったいないよ。生きてモデルになりなよ」
「そんな嘘を言われても嬉しくないわ。それにモデルになるのって大変なのよ。何も知らないくせに簡単に言うんじゃないわよ」
「いや、なれる。君はきれいだ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃない」
「嘘よ」
「本当だ」
「いいや、嘘に決まって――」
芳樹が友梨の唇を奪った。
「⋯⋯んん!?」
突然のことに動揺を隠せない友梨。
「んん! んんー!」
友梨が芳樹の頬を叩くと、ようやく唇を離した。
「いきなり何すんのよ!」
「君が聞かないからだ!」
「だからってキスはないでしょキスは! ⋯⋯その気もないくせに!」
「ある! 僕が君を幸せにしてみせる!」
「なんでそこまで⋯⋯」
「好きだからだ。僕が君を、好きだからだ」
「私たちさっき会ったばかりなのよ?」
「おかしいかい?」
「⋯⋯⋯⋯」
「真剣なんだ。僕の目を見てくれ。これが嘘を言っている男の目に見えるかい?」
友梨は芳樹の目をじっと見つめた。
「⋯⋯ん?」
芳樹の左目の白目のところに『犬』という文字が書いてある。
「⋯⋯犬?」
「ん? ああ、これはタトゥーだよ」
「眼球に!?」
「うん、彼女が彫ってほしいって言ったから。僕は彼女に一生尽くすつもりだったから二つ返事でOKしたよ」
「そんな⋯⋯そんなの、奴隷じゃない」
友梨は驚愕した。目の前にいる男は、自分よりも何倍もつらい思いをしているのではないか、と思った。
そんな人ですら優しいと思えてしまう環境で彼は育ったのだろうか。そう思うといても立ってもいられなくなった。
「分かったわ! 付き合いましょ! ただし、あなたが私を幸せにするんじゃなくて、私があなたを幸せにするわ!」
さすがの友梨も芳樹の境遇に同情したのだ。
「ありがとう! でも、僕も精一杯頑張るから!」
「頼もしいわね、ふふふ」
2人は再び熱いキスを交わし、ロープを拾いにあの木のところへ向かった。
木に着くと、1時間前の光景がそのまま残っていた。
芳樹のロープは地面に無造作に放られ、友梨のものは輪っかをつくり、頑丈な枝にぶら下がっている。
「回収して再利用しよう」
「再利用って?」
友梨が不思議そうに訊いた。
「SMにでも使おう。僕を縛ってよ」
「すごいわねあなた。さっき付き合ったばかりなのにそんなこというのね」
「君には全部言えると思ったから。さらけ出しても大丈夫だと思ったんだ」
「もうそんなに信頼してくれているのね、ありがとう芳樹くん」
「そりゃあもう」
そう言って友梨の肩を抱こうとした時、芳樹のスマホが鳴った。
「あ、電話だ」
「こんな時間に? 出て大丈夫なの? 誰?」
「⋯⋯もしもし? うん、うん。うん、うん。えぇーっ! マジで!? 分かった! はーい、じゃーねー! はーい、はーい!」
「なんだったの?」
「彼女と復縁した!」
「ええっ!?」
「いやぁ良かったぁ」
「いや良くないでしょ、もう私と付き合っちゃったんだし、断りなさいよ」
「いやー、でも彼女が1番なんだよねぇ」
友梨はその言葉を聞き、怒りをあらわにした。
「なにふざけたこと言ってんのよ! その彼女のせいであなたが死にかけてたところを私が助けたんじゃないの! それをなによ、彼女が戻ってきたからってホイホイついてくの? また自殺することになるわよ?」
「それでもいいんだ、彼女といられるなら。そういえば君、自殺するんだよね」
「えっ、いやもう」
「するんだよね」
「⋯⋯しないわ。あなたを殺す」
友梨は芳樹を押し倒し、首に両手をかけた。
「死ねぇ!」
芳樹は友梨の腹を蹴り飛ばし、立ち上がった。
「やれやれ、女の腕力で俺にかなうわけがないだろう。1人で死んでくれよ」
「許さない! キスまでしたのに! 許さないんだから!」
立ち上がろうとする友梨の腹を、芳樹が上から踏みつけた。
「そう、キスまでしたんだ。彼女にバレたら大変だから死んでくれ」
「うぐ⋯⋯!」
芳樹は友梨が気絶するまで何度も腹を踏みつけた。
「よし」
友梨の体を持ち上げ、彼女がセットしたロープの輪に首をかけ、芳樹はその場をあとにした。