36話 おくればせ真打登場
五日に渡る吹雪が開けたその日、ルビエ大公の城では朝礼が開かれていた。
玉座にいる大公に、公子や家臣たちが挨拶と申し入れを行う時間だ。
いつもなら、お決まりの文言を述べるだけで終わる。
しかし、この日は紛糾していた。
騒ぎを聞きつけたルクレツィアは、普段着にしている空色のドレスのままで、同じく平服のレイノルドとオースティンを連れて会場へと入っていった。
「大公、私はタスティリヤに行って結婚します!」
「私も遊学のためにタスティリヤへ行きます。少なくとも数年は滞在する予定です」
玉座に向かって声を張り上げるのは、剣聖として国中から尊敬を集めるルーイと研究者として我が道をゆくジーンの二人。
珍しい取り合わせの訴えに、集った人々はルクレツィア一行がやってきたことにも気づかない。
そのくらい困り果てていた。
独身公子からの思いもよらぬ申し入れに、大公は困惑している。
「二人ともどうしたのだ。ジーンのおかしな行動は今に始まったことではないが、ルーイ。お前は、結婚しないと言いはっていたではないか。それが、どうしてタスティリヤ人と結婚するなどと世迷いごとを」
すると、ルーイは熱血漢らしく拳を握って、思いの丈をいきいきと語り出した。
「これまでの私は、伴侶を得ることを諦めていました。一生独り身で大公にお仕えしてもかまわないと思っていた……。けれど、ついに結婚したい女性を見つけたのです! この恋心は、騎士団で鍛え上げた精神をもってしても抑えられません!」
バッと腕を払って腰元の剣を抜いたルーイは、大公に宣誓するときに行う、剣を天に向けて胸の前でかまえるポーズを取った。
「私は、マリアヴェーラ・ジステッド嬢と結婚し、ジステッド公爵家に入ります!」
高らかな宣言に、大公だけでなく集まった公子や家臣たちも動揺した。
「馬鹿なことを! 大国の公子が、小国の貴族に婿入りするなど認められん。身分違いもはなはだしいぞ!」
「身分差がなんだというのです。彼女への愛の前には、そんなもの関係ありません! これが許されないなら、私は修道院に入り、修道士として祈りに一生を捧げます!」
「ならぬ! 誰か、ルーイを取り押さえよ!」
大声でわめき散らすルーイを家臣たちが押さえつける。
真面目な兄が大公にあらがう姿は、ルクレツィアをあ然とさせた。
(ルーイお兄様が、マリアヴェーラさんと結婚……?)
先日、塔にやってきてルクレツィアとオースティンの関係を暴いた彼女は、魔法使いの解放運動に協力すると言ってくれた。
半信半疑で見送ったが、まさか兄に近付くとは思っていなかった。
ルーイはこう見えて、解放運動を弾圧するけん引役だった。
たとえ色恋で味方に引き入れようと、マリアの目的が魔法使いの魔法だと知った時点で目が覚める。
(狙いは別にありそうです)
オースティンを見上げると、彼もわずかに眉を上げて戸惑っている。
ヘンリーに護衛されたレイノルドの方はというと、顔が真っ青だ。
「マリアヴェーラは、あいつと恋人だったのか?」
「違うと思います」
レイノルドを取り戻すためにルビエ公国までやってきた女性が、旅先で見つけた別の相手に乗り換える確率は、太陽がルビエ公国に落ちるより低いだろう。
「マリアヴェーラさんなりに目的があって、ルーイお兄様に気のあるふりをなさっているんです。私もレイノルド様にそうしましたから……」
崇高な目的を果たすためなら、女性は大女優になる。
興味のない相手に惚れた演技をして、ささいな自慢に大げさに驚き、自分を馬鹿に見せることだって辞さない。
本性を隠して生きなければ幸せになれないという意味では、魔法使いより女性の方がずっとあわれだ。
(マリアヴェーラさんは、私よりずっと演じるのがお上手です)
彼女にも隠したい秘密があるのだろうか。
魔法使いを愛し、彼らを解放したいというルクレツィアの望みより、ずっと重くて致命的で誰にも見せられない本性が――。
「人間は恋によって判断力を失い、また判断力を失うことによって恋をする、とはよく言ったものだな」
ジーンの冷ややかな声に、ルクレツィアは現実に引き戻された。
ルーイに比べて落ち着いて見える彼もまた、マリアヴェーラの国タスティリヤへ行きたいらしい。
「ルーイのこんな姿を見るのは複雑ではあるが興味深い」
「そういうお前は、どうしてタスティリヤに行きたいのだ。ジーン」
大公に尋問するような口調で問いかけられて、ジーンは軽く肩をすくめた。
「マリアヴェーラ嬢は、歴史学の権威であるコベント教授に教えを受けているそうです。教授は、魔法の有無が国勢にどんな影響を与えるかの論文を発表し、アカデメイア中に波紋を広げた学者ですよ。彼女が仲介してくれるそうなので、ぜひ私も師事したいと思っています」
「お前にも、あの貴族令嬢が絡んでいるのか!?」
どうなっているんだと大公は頭を抱えた。
それを見て、ルクレツィアははっとする。
(タスティリヤに公子二人を連れていって、そのまま人質にするつもりですね!)
図らずも、それはレイノルドをルビエ公国に連行したルクレツィアとまったく同じ手口だった。
公子を自分の国に入れてしまえば、生かすも殺すも彼女次第だ。
公子を取り戻すために大公が戦争を決心しても、タスティリヤに進軍するにはいくつかの国を経由しなければならない。
タスティリヤは近隣国一帯の食糧庫と呼ばれている。周辺の国は、大国のルビエではなくタスティリヤ側について、ルビエ軍の入国を拒否するだろう。
(ここでルーイお兄様とジーンお兄様を止めなければ、必ずルビエ公国は負けるわ)
なんて鮮やかな作戦だろう。
マリアヴェーラは、高嶺の花などではない。
美しい姿の裏に鋭い牙を隠し持ち、旅人を森の奥へいざなって噛み殺す、おぞましい怪物だ。
ほとほと困り果てた大公は、動けずにいた兵たちに命じた。
「ええい! マリアヴェーラ・ジステッドをここへ呼べ!」
怒鳴り声が響くと同時に、ギギギッと玉座正面の扉が開いた。
「お呼びでしょうか?」
そこに立っていたのは、呼び出しを受けた張本人。
鮮やかな深紅のドレスに身を包んだマリアが、毛皮のついた扇を片手に微笑んでいた。




