33話 こいがらみ詐謀偽計
ルビエ大公の息子は七人。
そのうち二人――ルーイとジーンだけが未婚者だ。
(わたくしが攻勢をしかけるのはここよ)
当然ながら、マリアは魔法を使えない。
城内に異変をもたらすのは、生まれ持った〝高嶺の花〟たる容姿と、恋に憧れていろいろと調べるついでに身につけたノウハウである。
タスティリヤの使者として城内への出入りを許可されたマリアは、舞踏室にいるルーイを訪ねた。
「私に用事?」
剣舞の稽古をしていた手を止めたルーイは、突然やってきたマリアに嫌な顔一つしない。
親切な人だ。
そんな彼も、魔法使いには厳しかったとダグラスに聞いている。
マリアは、マフラー代わりに肩にかけてきた猫の毛皮を撫でながら首を傾けた。
「お兄様が留学中にどんな暮らしをしていたのか聞かせていただけませんか? 何度せがんでもはぐらかされてしまうんです」
「ダグラスは恥ずかしがり屋だからね。彼とは大学でともに地政学を学んだんだ。ダグラスの下宿先に入り浸って、同じ料理を食べて、本の感想を語りあった。輝かしい日々だった」
ルーイは寂しそうに頬をほころばせた。
(あのお兄様にも青春時代があったのね)
いつも不機嫌のヴェールをまとっているダグラスに、まっとうな男子学生だった頃があると言われても想像しにくい。
逆に、ルーイの方はどんな学生だったか考えるまでもない。
今と同じく髪は短くて、快活に動き回る男子だったのではないだろうか。
(ルーイ様は女子にも好かれたはずだわ)
ルビエ公国にも、上流階級の子どもだけが通う学校があるとミオが教えてくれた。
公子で運動神経がよく親切なルーイは、とても女性に好かれたはずだ。
大公の血筋は恋多き一族であり、公女はルクレツィアを除いて全員が結婚している。
公子たちも、決められた婚約者か学生時代に見つけた恋人とゴールイン済みだ。
(そんな中、ルーイ様が独身なのは何らかの理由があるはずよ)
そして、それはダグラスが留学中に起きた可能性が高い。
留学期間は一年だったが、彼は二カ月も早く帰郷したのだ。堅物の父もそれを咎めることはなかった。やむにやまれぬ理由があったとしか思えない。
その後、ダグラスはルーイに手紙を送り続けた。
タスティリヤからルビエ公国までは遠い。手紙が届くのは約二か月後。途中で紛失することも多く、返事はまちまちだったが兄は書き続けた。
そして、結婚を機にぱったり止めた。
二人の間柄は、単なる親友で片づけられるものではないとマリアはにらんでいる。
だが、それを真正面から尋ねるのでは芸がない。
マリアは女性らしい好奇心を前面に出して、若干上目遣いでルーイに問いかける。
「とても楽しい学生時代だったのですね。ひょっとして恋人もいたりなさいましたの?」
「ああ……。ダグラスは国に婚約者がいると頑なだったけれど、私は同じ大学にいたよ」
「学生恋愛だったんですね。とても素敵だわ。その方とはご結婚されないのですか?」
「実は、卒業前に別れてしまったんだ。その……別の人を好きになったと言われて」
「まあ」
思わぬ恋のいたずらに、マリアは口元に手を当てて驚いた。
ルーイは情けなさそうに頭をかいて自嘲する。
「もう終わった話だから打ち明けてもいいかな……。実は、彼女が好きになった相手がダグラスだったんだ。彼は頭脳明晰で、レディファーストが体に染みこんでいる完璧な紳士だ。大学中の女性がダグラスに憧れていたんだよ」
「そのせいで、お兄様は留学を切り上げて帰ってこられたのですね」
図らずも親友の恋を壊してしまった。
ルーイがいくら気にしないと言ってくれても、ダグラスが平気でいられるはずがない。
マリアが表情を曇らせたのを見て、ルーイは慌てて両手を振った。
「いいんだ。ダグラスは国に帰ってから何度も謝罪の手紙をくれたし、それから恋をしないのは私の意思なんだから。大公にはいつ結婚するんだと心配されているけれど、どうもそんな気になれなくてね。剣や舞や料理に打ち込んでいるよ」
ぽろっと明かされた彼の本音。マリアが見逃すはずもない。
「ルーイ様はお料理をされるんですね。何をお作りになるのですか?」
「この時期は温かい料理が多いよ。ミルクをたっぷり使ったシチューやグラタン、カボチャのサラダも得意だ」
「まあ、わたくしが好きな物ばかりだわ」
「そ、そう?」
素直に反応すれば、ルーイはドキッとした様子だ。
(こういう方ほど寂しがり屋で、共通点のある相手に懐きやすいのよね)
あと一押し。マリアは奥の手を使うことにした。
「わたくし、ルビエ公国にやってくる前にカボチャのクッキーの作り方を覚えたのです。よければ一緒に作りませんこと?」
「いいの? 君は婚約者がいるのに」
「レイノルド様はルクレツィア様にぞっこんですわ。妖精のようにお美しい方で、わたくしではとてもかないません……」
同情を誘うため、悲しそうに長いまつ毛を伏せる。
ルーイから見て自分が一番美しく見えるような角度で。
恋人に捨てられた過去があるルーイは、がっと力任せにマリアの両肩を掴む。
「君の方が美しいよ。ルクレよりずっと魅力的だ。レイノルド殿下がなぜ君を大切にしないのかわからない。こんなに素敵な人なのに!」
目に力を入れて必死に語りかけてくる彼を見て、マリアは心の中でほくそ笑んだ。
(かかったわね)
マリアにかけられる魔法。それは、恋だ。
かつて、ルーイの恋人がダグラスに心を奪われたと聞いて、マリアは自分にもできると踏んだ。
なぜなら、マリアはタスティリヤ王国の人間だからだ。
(お兄様が留学先でモテたのは、タスティリヤ人が魅力的に映るからだわ)
見た目も雰囲気も雪のように儚げなルビエの人々にとって、タスティリヤ人の陽にさらされた肌や活力を感じるはっきりした目鼻立ちは、ことさら美しく見えるのである。
(ルーイ様にしてみれば、わたくしは突然目の前に現れた魅力的な女性。そして、自分の境遇や趣味に共感してくれた数少ない相手だわ)
人間は、共感した相手に好かれたいと無意識に思い込むものである。
そして、幸福を手に入れるチャンスが目の前に現れたら、自動的に脳が興奮状態におちいってしまう。
恋をしている間は正常な判断ができないと言われる理由がこれだ。
たぶん、ルーイはずっと恋がしたかったのだろう。
学生時代の失恋のせいで臆病になっていただけで、本当はマリアのように歩み寄ってくれる女性を求めていた。
すべての要素を組み合わせ、マリアはルーイに恋の魔法をかけた。
「ルーイ様?」
戸惑った感じを出すと、ルーイははっとして手を離した。
「すっ、すまない。急に触れたりして!」
「かまいませんわ。その……ルーイ様に触れられるのは嫌ではありません。こんな男の人、わたくし初めて……」
わざとらしく、ぽうっと頬を染めて彼の胸に寄りかかる。
「よければ、わたくしと仲良くなってくださいませんか?」
上目づかいでねだると、ルーイは胸を押さえて「ぐっ」とうなった。
「も、もちろんだよ。明日にでもクッキーを一緒に作ろう」
「まあ嬉しい」
両手を合わせて喜ぶふりをすれば、ルーイの瞳がギラギラとその様子を映した。
これから彼は、夜ごとにマリアの姿を思い出して胸を焦がすだろう。
(攻略完了だわ)
マリアは笑顔を弾けさせて、次の標的の居場所を尋ねた。
「ジーン様はどちらにおいでですか? ルクレツィア様のことでご相談がありますの」
「会いたいなら連れていってあげるよ」
「教えていただければ一人で平気ですわ。ルーイ様は稽古を続けてくださいませ。わたくし、強い男性が好きなんです……」
「はぁうっ!」
ルーイはおかしな悲鳴を上げて鼻を押さえた。手の下からツーっと赤い血が流れる。
鼻血が出たようなので持っていたハンカチを差し出した。
「これをお使いになってください」
「ありがとう。ジーンはいつも長廊下の向こうの鏡の間にいるよ」
彼が指さした方向を見て、マリアは微笑む。
「あちらに……。わかりましたわ。ルーイ様は血が止まるまでゆっくり休んでいてくださいね」




