28話 よみがえる解放運動
――記憶は完全に消去できない。思い出させるには、その人の心を強く揺さぶって眠った記憶を目覚めさせる必要がある――
レイノルドに自分を思い出してもらうための手がかりを得たマリアは、その日からミオの部屋に入り浸った。
ミオは十歳ほどにしか見えないが、魔法に関しては博学で、ルビエ公国で広まった歴史から魔法使いが虐げられるようになった出来事、禁忌魔法の種類にいたるまで詳しく教えてくれた。
マリアの方も熱心に学び、魔法の知識をどんどんつけていった。
(どうしたら、レイノルド様に思い出してもらえるくらい心を揺さぶられるかしら?)
それはミオにも、ニアにもわからないらしい。
大公に密書を渡す日取りを決めて戻ってきたダグラスは、ミオとマリアが一緒にいるのを見て迷惑をかけているのではと不機嫌になった。
しかし、ループレヒトはミオに友達ができたと泣いて喜んだ。
魔法使いは基本的に遠慮がちで、人付き合いを避けるらしい。
ミオとニアにもっと心を開いてほしいと思ったマリアは、台所を借りて朝ごはんを作った。
トレイにのせて持っていくと、ミオとニアはそれを見て目をキラキラさせた。
「ホットケーキだ。しかもクマだ! マリアが作ったの?」
「ええ。わたくしの得意料理なのです」
マリアが作ったのはクマの顔の形をしたホットケーキだった。
フライパンに生地を流しこんで大きな丸を作り、斜め上に二か所小さな丸をくっつける。
もう一枚、小さめの楕円を作って大きな丸にのせ、干しブドウで目と鼻をつければ、かわいいクマのできあがりだ。
貴族令嬢は料理をしないが、かわいい物好きのマリアは食べるものにもこだわりたかった。
ジルに教わりながら、動物の形のパンケーキや苺のギモーブ、アイシングクッキーなど、夢のようにかわいいお菓子を作るのが、一番のストレス解消法だったのだ。
「蜂蜜をかけてどうぞ」
ミオの部屋にある小さなテーブルの上に、お皿と蜂蜜を並べる。
ミオとニアは椅子に並んで一口食べて、ほうっと感激の息をもらした。
「おいしい。これ好き」
「にゃーご」
ニアもお気に召したようだ。伸び上がったかと思うと、ミオの心臓の上あたりをとんとんと叩いた。リズムを刻むように、とんとんとん、と。
「ニア様は何を伝えようとしているのでしょう?」
さっぱりわからないマリアに対して、ミオは深く感じ入った。
「おいしくて、心が揺さぶられたって言ってるよ。ニアはこれが好きだって」
マリアはホットケーキをまじまじと見た。
「なんの変哲もないホットケーキに、心を揺り動かす効果がありますの?」
「それは違うよ。ニアの心が動いたのは、強く好きだと思えたから。そうだよね?」
「にゃあ」
ごろごろと喉を鳴らすニアは、蜂蜜がたっぷりかかった残りに噛みついた。
ミオはそれを眺めながら「人間でも同じだと思う」と付け加える。
「忘れさせられた記憶の中には、その人の大事なものが眠っている。好物の味とか、大好きな人の声とか。そういったものに触れた時、心は揺り動かされるんだと思うよ」
「レイノルド様の好きなもの……」
彼は、甘くて食べやすいお菓子が好きだ。昼寝もよくしている。
赤より青。白より黒。
舞踏会のような華やかな場よりも、満点の星が見える夜空の下のような静かな場所で人と語りあいたいタイプ――。
レイノルドの好きな物はいくらでも言えるが、どれも心を揺さぶる決定打には欠ける。
どうしようかと悩んでいたら、コンコン、と控えめなノックがした。
「マリアヴェーラにお客だよ。ヘンリーと名乗っているが知り合いかい?」
「はい! すぐに行きますわ!」
マリアはお皿もそのままに階下へ降りた。
居間に飛び込むと、厚手のコートを着込んだヘンリーが片手を上げた。
「おはよ。マリアヴェーラちゃん」
「ヘンリー様……。貴方がここにいるということは、レイノルド様も?」
「もう城内にいるよ。公女サマと一緒に」
マリアはタスティリヤ王国を発つ前に、ヘンリーにルビエ公国での滞在先を伝えた。
レイノルドが入国したら、すみやかに連絡を取れるようにだ。
「こちらは、大公との謁見の場を整えましたわ」
「オレたちは大公にはぶられ中。あの公女サマ、父親にも兄弟にも嫌われてるみたいだよ。それと、オースティンとただならぬ関係みたい。オレは、二人が駆け落ちしたせいで家族に見放されたと思うんだけど、まだ確証はなし」
「そうですか……」
ルクレツィアが連れ歩く腹心のオースティン。
二人きりの外遊生活は、駆け落ちの結果だったのだろうか。
そうは思えないとマリアは首を振った。
「恋人がいて、駆け落ちに成功したら、別の男性を結婚相手に連れて母国に戻るはずがありませんわ。レイノルド様との結婚を画策したのは他の目的があるはずです」
「お金が尽きたとか? でも、魔法が使えるなら仕事はいくらでもありそうだよね。公女サマも、オースティンも、どうして王子サマに執着しているんだろうね」
二人で頭をひねっていたら、椅子の陰に潜んでいた猫がカシャッと写真を撮った。
この部屋で何が行われているか知りたいようだ。さっき階段を下りてくる足音がしたし、本人も近くにいるだろう。
「お入りになって」
マリアが呼びかけると、ミオが恐る恐る入室してきた。
腕に抱かれたニアを見て、ヘンリーがそういえばと口走る。
「外で燃えてる猫をたくさん見たんだけど、この町の名物って猫の丸焼き?」
「違う! あれは雪を溶かしているだけだよ。僕らの魔法で」
「ふーん。この国には、子どもの魔法使いもいるんだ」
ヘンリーはにんまりと口を歪めた。
軽口でわざと相手を焚きつけて、個人情報を聞き出すのは彼の得意技だ。剣の名手なのだが諜報役もこなせる騎士なのである。
自分が口を滑らせたことに気づいて、ミオは心配そうにマリアを見た。
「大丈夫ですわ。彼はわたくしの味方」
「オレはタスティリヤ王国の近衛騎士ヘンリー・トラデス。君と、そっちの子は?」
「僕はミオ。こっちはニア」
おずおずと自己紹介したミオは「オースティンが戻ってきたの?」と困惑した。
「せっかく逃げたのに、なんで?」
「どういうことですか?」
ミオとニアは顔を見合わせてから、そろりと話し出した。
「えっとね、あの二人は〝魔法使い解放運動〟のリーダーと参謀だったんだよ。大公は、娘のルクレツィア様がどうしてそんな活動をするのか理解できなかった。大公の飼い猫だった僕とニアは、ルクレツィア様を正気に戻せと命令されたんだ」
だが失敗した。
ミオもニアも、心の中では彼女の志に賛同する一人だったから、記憶を改竄することはできなかった。
そこに、オースティンが助けに来たのだ。
逃げる時間稼ぎに、彼はニアに魔法をかけた。
そのせいでニアは猫に変わり、ミオともども城を追い出されたというわけである。
「ルクレツィアは魔法使いにも分けへだてなく優しい人だった。オースティンと逃げて、幸せに暮らしていると思っていたのに、どうして戻ってきちゃったんだろう……」
悲しそうにミオはうつむいた。彼を慰めるようにニアが頬を撫でる。
二人の様子に、ヘンリーもまた沈痛な面持ちで呟いた。
「マリアヴェーラちゃん。オレ、公女サマを勘違いしてた」
「わたくしもですわ」
ルクレツィアは、ただの我がままな公女ではない。
母国で虐げられる魔法使いを解放するために、安全な外国から舞い戻った戦士だ。
彼女にとって、レイノルドは切り札なのだ。
タスティリヤ王国の次期国王というカードで、どんな勝負を仕掛けるつもりだろう。
(レイノルド様を利用するなんて許せない。でも……)
ミオ様とニア様の境遇を聞くと、ルクレツィアを単なる悪人扱いはできない。
(どうしたらいいのかしらね)
マリアは、燃えさかる暖炉に視線を落として途方に暮れた。




