27話 第二王子のけいかい
レイノルドがルクレツィアに連れられてルビエ公国に入ったのは、大雪の後始末があらかたすんで、馬車が立ち往生せずに通れるようになった頃だった。
ルクレツィアの侍女たちは国境付近の村にとどまったため、馬車はたった三台ですんだ。
峠を越えると一面の銀世界。感動したのも一瞬だった。
(これだけの雪が降り積もるとなると、民が生きていくのも一苦労だろう)
命をどうやって守るのか。
冬の間の食糧や労働問題はどうやって解決しているか。
温暖なタスティリヤ王国にいた時は考えもしなかった疑問が、つぎつぎに湧き上がってくる。
レイノルドは、いつの間にか為政者としての視点で物事を考えられるようになった自分に驚いた。
(俺は確実に成長している)
だが、なぜ自分がこんなにも短期間で努力していたのか、どうしても思い出せない。
(これにもマリアヴェーラが関わっているのか?)
そう考えるようになったのは、自分の記憶が魔法で操作されたと確信したからだ。
「レイノルド様、あちらに見えますのがルビエ大公の居城です」
道中、ずっとレイノルドにまとわりついていたルクレツィアが指し示したのは、氷柱を何本も地面に立てて作ったような城だった。
「魔法の氷で城全体を包みこんで堅牢にしているのです。火矢を打ち込まれても、爆発を起こされてもこれなら延焼しませんから」
平和なタスティリヤでは考えられない厳戒態勢だ。
「誰かに急襲される恐れでもあるのか?」
ふとした問いかけに、ルクレツィアの表情が凍り付いた。
しかし、こわばった筋肉はすぐに和らいで微笑みの形に変わる。
「もしものお話ですわ。早くお父様にレイノルド様をご紹介したいです。きっと気に入ってくださるでしょう」
(はぐらかしたな)
ルビエ大公家は安泰かと思っていたが、意外と敵が多そうだ。
氷の城の内部は暖かかった。
薄い水色の国旗をかかげたエントランスには、現大公の肖像画がかけられている。
その前には、ルクレツィアによく似た白髪を長く伸ばした青年が、手を後ろに組んで立っていた。
首に下げたループタイには大きな青琥珀がついている。青年も大公家の一員のようだ。
緊張するレイノルドの横で、ルクレツィアは姿勢を低くする。
「ジーンお兄様、ただいま戻りました」
「男連れで来るとはおみそれした」
ギロリと殺意の高い視線がレイノルドに送られる。
(なんのつもりだ)
初対面でそんな目で見られる覚えはないので睨み返しておいた。
「お兄様。こちらはタスティリヤ王国のレイノルド・フォン・タスティリヤ王子殿下です。私の結婚相手なので、失礼な態度は止めてください」
焦り顔のルクレツィアを、ジーンは眉をひそめて蔑んだ。
「私に祝福しろとでも言うつもりか?」
「お父様に……ルビエ大公にご報告させてください。謁見を申し入れます。大公一族にはその権利がありますわ」
ルクレツィアがブレスレットを掲げる。
連なった青琥珀がきらめくのを見て、ジーンは忌々しそうに口を歪めた。
「部屋で待て。大公の指示は私が仰ぐ」
談話室でいくら待ってもジーンは訪れなかった。
日が暮れてしまったので、ルクレツィアとレイノルド、オースティン、ヘンリーをはじめとした騎士たちは、城近くの塔に移動する。
石造りの灰色の塔は、地面から天辺までまんべんなく蔦が絡みついている。
塔の内側には部屋がいくつもあるが、扉や家具には傷がついていて長い年月を感じさせた。
カーテンやベッドといった布類だけ慌てて変えたようだ。
(帰還した公女を迎えるには、少し冷たすぎないか)
一時の外遊でタスティリヤ王国を訪れたなら、城にはルクレツィアの部屋が残っていなければおかしい。
しかし、ジーンの態度や周囲の対応を見ていると、どうも彼女の居場所はなくなっているようだ。
「この塔にいなければならないんですね」
がっかりするルクレツィアに、荷物を運んで階段を上ったオースティンが嘆息した。
「心配いりません。私が対応しますから」
「いつもありがとう、オースティン」
ルクレツィアは手を伸ばしてオースティンの頬に触れた。
うっとりした表情は恋する少女のそれだ。
(ルクレツィアとオースティンは恋人同士じゃないのか?)
自分の恋人が別の男と結婚式を挙げようとしているのに、オースティンは嫌ではないのだろうか。
無表情が板について何を考えているかわからない執事だが、時おり寂しそうな瞳をするのが気にかかっていた。
「オースティン、最上階はレイノルド様と私で使います。急いで調えて」
「俺は下の方がいい。式も挙げていないのに同室になるのはよくない」
「結婚は決まっているので遠慮する必要はありません」
「それでもだ。別室で頼む」
かたくななレイノルドは、ルクレツィアにも押し切れなかった。
上階の綺麗な部屋は彼女に、レイノルドは下の方の粗末だが広い部屋に入った。
護衛としてここに寝泊まりするのはヘンリーである。
他の騎士には、食料を運んでくる者を警戒するように伝えた。
「この塔、幽霊が出そうだよね。かわいい女の子なら大歓迎なんだけど」
夜着に着替えたヘンリーは、ホットワインのカップを手にして薄暗い部屋を見回した。
魔法で灯った照明は光が弱い。
吹雪の音が石壁を伝って部屋に響いていて、得体の知れない怪物の寝息のようだった。
不気味だ。だが、ヘンリーがそれを口に出すと、たちまち陳腐に感じられた。
「お前はここでも変わらないな」
レイノルドは、少しも気にならないふりをして、岩のように硬いベッドに腰かけた。
ヘンリーの陽気さが心強い。
女好きのチャラ男にこんなところで救われるとは思わなかった。
「お前はあの二人をどう思う?」
レイノルドは、オースティンに触れるルクレツィアを思い浮かべた。
二人の関係にはヘンリーも違和感を持っていたようで、カップに口をつけながら含みのある笑顔を浮かべた。
「絶対できてるよね、あれは」
「やはりそう思うか」
年頃のルクレツィアが外遊に連れてくるには、オースティンは若すぎる。
彼女の侍女はレイノルドの前ではしゃべらない。
タスティリヤ南部のなまりを隠すためだと気づいたのはアルフレッドだった。兄はこっそりレイノルドにそれを教え、気を付けろと忠告してくれた。
「ルクレツィアの本来の従者はオースティン一人だ。恋人同士の旅行だとしても、ルビエ公国の侍女を連れて歩かないのは違和感があるが……」
「駆け落ちなら、二人きりにも説明がつくんじゃないかな。公女と従者、身分違いの恋を叶えるために逃走、もしくは心中ってありがちじゃない?」
タスティリヤでも貴族と平民の結婚はすんなりとはいかない。
親に反対されてご破算になることが多いし、それでも恋を諦められないならば、家や身分を捨てて駆け落ちするしかないのだ。
ルクレツィアがオースティンと結ばれるために出奔したのであれば、ジーンが彼女を煙たそうに迎えたのも説明がつく。
「駆け落ちしたなら、なぜ俺を連れてルビエに戻ってきたんだ?」
「それがわかんないんだよね。公女サマは、好きな男と結ばれたのに、なんで王子サマと結婚しようとしてんのかな。しかも、彼氏が近くにいる状態でだよ。そういう性癖? さすがのオレも理解できないよ。どんなシチュエーションに興奮してもいいけど、タスティリヤを巻き込まないでほしいよねー」
早口でまくしたてたヘンリーの頬が赤かったので、レイノルドはカップを取り上げた。
「飲みすぎだ、酔っ払い。さっさと寝ろ」
「えー? オレ、護衛の仕事中なんだけど」
「仕事中なら飲むな。今日は俺が起きてる」
ヘンリーにクッションをぽいっと投げつけて、レイノルドは窓際の椅子に腰を下ろした。
そのまま起きていようとしたが、明け方に目が覚めたときにはベッドに横たわり、ご丁寧に布団をかけられていた。
隣のベッドにヘンリーはいない。
他の騎士に行方を聞いても知らないと言うので心配していたが、昼になって戻ってきた。
「城の方の侍女ちゃんたち、けっこう美人ぞろいだったよ。オレ、やる気出てきちゃったなあ」
異国に来てもヘンリーはヘンリーだった。




