25話 ゆきぐにの極寒洗礼
ビュオオオオと吹きつける風雪が頬を叩く。
前も後ろもはっきりしない景色の中、防寒着で着ぶくれしていたマリアは大口を開けて叫んだ。
「寒いですわっ!」
「そんなことは言わなくてもわかっている」
同じく着ぶくれしたダグラスは、すたすたとマリアを追い越したかと思うと、凍った路面でツルッと滑った。
「あ……」
どしゃりと雪の上に倒れた兄は、むっくり起き上がって真っ赤な顔を歪める。
「い、今のは忘れろ!」
堅物な兄の意外な表情に、うっかりかわいいと思ってしまった。
一面を雪で覆われたここは、アカデメイア大陸の北に位置するルビエ公国。
その首都にほど近い村だ。
想像以上に極寒の地で、白くかすむ吹雪の向こうに、街灯と思しき白い明かりがにじんで見えた。
マリアが兄ダグラスとルビエ公国入りしたのが一週間前である。
国境付近でも雪はちらついていたが、大公の城がある首都はそこからさらに北へ進んだ先だった。
当然、気温は氷点下。寒さもきついが一番の敵は風だ。
北国は寒いと聞いていたので、マリアはセーターを重ねて厚手のコートを着込み、毛糸の帽子に手袋と重装備で臨んだ。
着ぶくれしても寒いものは寒いし、風にあおられやすいのは難点だった。
密書を持っているため、大勢で来られなかったので従者は数人。
人手が足りず、マリアは自分の荷物をのせたソリを自分で引いていて、これもまたバランスを崩しやすい原因だ。
進んで転んでまた進む。
そうこうしているうちに、トナカイの童話みたいに鼻が真っ赤になってしまった。
マリアは両手に温かな息をふーっと吹きかけた。
「こう吹雪いていると、どこを歩いているかわかりませんね」
「そろそろのはずなんだが……」
ダグラスがポケットから地図を取り出したら、空中でボンと炎が爆ぜた。
「きゃっ!?」
のけぞるマリアの目の前、炎は猫の形になる。
『こっち』
火炎の猫がしゃべった。びっくりしたマリアとダグラスは顔を見合わせる。
「これはもしや」
「魔法だな。私はジステッド家の者だ。案内してくれ」
『にゃーおー』
炎の猫はずいぶんと間延びした鳴き声を上げて、雪道を歩き出した。
左右に揺れるしっぽは、キャンプファイヤーの終わり際みたいに黒い煙を上げている。
(不思議な魔法ね)
猫が案内してくれたのは、大きな煙突のある古びた屋敷だった。
不思議なことに敷地にはほんのわずかな雪しかない。
炎でできた猫が庭のあちこちにいて、積もったそばから溶かして歩いているようだ。
石造りの大きな玄関をくぐると、真っ白い髪の毛とひげをたっぷり蓄えた老人が、両手を広げて歓迎してくれた。
「ようく来たね。ダグラス!」
「お久しぶりです」
ダグラスは老人と抱擁しあってから、紹介を待つマリアを振り返った。
「マリアヴェーラ、この方はループレヒト先生。地政学の研究者で、ここは留学中の私の下宿先だった。先生、彼女はマリアヴェーラ・ジステッドといいます。私の妹です」
「しばらくお世話になります」
マリアは、ごくわずかに姿勢を低くして挨拶した。
コートで着ぶくれしているため、令嬢らしい優雅なカーテシーができないのである。
「ダグラスと似て美人な妹さんだね。今晩は大雪だから、歩いてくるのは大変だったろう。お風呂で体を温めておいで。夕食はたっぷりのシチューと仔羊のローストだよ」
ループレヒトは、マリアたちを客間に案内してくれた。
屋敷は立派で、ところどころに猫がいた。
外にいたのは火炎でできていたが、こちらは一般的なサバトラ模様の毛並みである。違うのは、目玉がカシャカシャと音を立てることだった。
「あの音は何ですか?」
マリアが問いかけると、ループレヒトは困ったように髭を撫でた。
「写真を撮っているんだよ。実は、この屋敷には住人がもう一人いて、魔法で作った猫を使役して生活しているんだ」
「魔法が使えるということは、魔法使いなんですね。ご挨拶させていただきたいですわ」
大公に面会するまでお世話になる予定なので、同居人とも仲良くしたいところだ。
(それに、魔法使いと親しくなれば、魔法の解き方を教えてもらえるかもしれないもの)
期待を寄せるマリアに、ループレヒトは残念そうに首を振った。
「彼は人間嫌いで、ほとんど部屋に引きこもっているんだ。猫で雪を解かすのも、写真を撮るのも、誰とも会いたくない一心なんだよ。そっとしておいてあげてくれるかな」
「は、はい」
訳ありのようだったので、マリアも頷かざるを得ない。
ダグラスは、その魔法使いに心当たりも興味もないようで、久しぶりのルビエ料理が楽しみだと笑っていた。




