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12話 だいへんげ変装潜入

 結婚式に必要な物といえば、式場、招待客、会場を彩る花々、結婚指輪。


 そして忘れてはいけないのが、ウェディングドレスだ。


 一生に一度、結婚式にだけ着るその衣装に、花嫁がどれだけの想いを込めているのか職人はよくわかっている。


「宮殿からお達しがあったんです。マリアヴェーラ様のウェディングドレスを、ルビエ公国の公女殿下のサイズに仕立て直すように、と。何があったんです?」


 ジステッド公爵家にやってきたペイジは、試着したマリアの喜ぶ顔を見ていただけあって複雑そうな表情だ。

 対するマリアはすっかり割り切っていた。


「公女殿下が、レイノルド様と結婚したいと駄々をこねてらっしゃるようよ。困ったものね」


 アルフレッドの情報によると、ルクレツィアは毎日のようにレイノルドと会っている。

 回数を重ねるごとに側近たちも取り込まれていき、今まで進めてきたマリアの結婚式をルクレツィア仕様に変えようとし始めた。


 今はアルフレッドがやめさせているが、いつまで持つかわからないという。

 ルクレツィアに甘い国王が号令をかければ、マリアとの婚約は完全になかったことにされてしまうだろう。


 そんな危機的状況にもかかわらず平然と紅茶をすするマリアに、「許されざる行為ですよ」とペイジは怒り顔だ。


「あれは、マリアヴェーラ様のためのドレスです。公女だかなんだか知らないが、王族なら自前のドレスを作らせればいいでしょう。なぜ、花嫁の心を踏みにじる真似を……」


「わたくしを傷つけて遊びたいのでしょう。残酷な子どもが蜻蛉の羽根をちぎって捨てるのと同じですわ。あなたもどうぞ自分の利のある選択をなさって。わたくしの味方をしていたら、宮殿から仕立て代が支払われないかもしれませんことよ」


「やりたくありません」


 ペイジは首を振った。

 太い眉を吊り上げた彼は、譲れない信条をたずさえた職人の顔をしていた。


「あれは職人としての全て注ぎ込んだウェディングドレスなんだ。着る人間を変えたら、まったく違うラインに仕上がっちまう。そんな仕事は命にかけてもやらねえぞ、うちは!」


 頑固さを見せるペイジに、マリアは赤い唇を引いた。彼は信用できる。


「それでは、あのウェディングドレスは、ジステッド公爵家で買い取りますわ。公女殿下にはわたくしのドレスを仕立て直すという名目で、違うドレスをご用意しましょう。採寸にはいつうかがうのかしら?」


「作るとしたら早い方がいい。明日にでも」

「わたくしも連れて行ってくださらない?」


 驚くペイジの前に、マリアは一枚の紙を置いた。

 彼が来ることを予想して作っておいた契約書だ。


 ――マリアヴェーラのために製作されたウェディングドレスをそのまま保管する代わりに、ルクレツィアの採寸にマリアを内密に同行させれば、ドレスの代金はジステッド公爵家が支払う。ただし、マリアが公女について探っていると誰にも明かさないこと――


 悪くない条件に、ペイジはおずおずと頷く。


「わかりました。ですが、マリアヴェーラ様は人目を引く方です。内密に同行するのは難しいのでは……」

「心配無用ですわ。わたくしを誰だと思っていますの?」


 高慢に言い切って、マリアは机に立ててあったペンを差し出した。


 ペイジがサインする間も高揚感が止まらない。

 体の内側で燃えさかる炎に燃料をくべているのだから当然だ。


 愉快そうなマリアを横目にしたペイジは、彼女が意外にも好戦的な令嬢なのだと思い知ったのだった。


 大見得をきった翌日、マリアは時間をかけて変装した。


 大きな胸は厚紙と包帯で平らにつぶし、腰にはタオルを巻いて麻のシャツの上にオーバーサイズのベストを重ねる。

 ズボンも女性らしい体型が見えないストレートラインにこだわり、髪は三つ編みにしてキャスケットに納める。


 問題は顔だ。目鼻のパーツが大きくて人目を引く美貌を、どこにでもいるような地味な顔立ちにトーンダウンしなければならない。


「これでどうでしょうか?」


 ジルが取り出したのは黒いフレームの伊達眼鏡だった。

 かけてみると、なるほどダサい。

 おかげで、マリアは絶世の美女から素朴な若者に大変身できた。



 この大変身には宮殿近くで待ち合わせたペイジも驚いてくれた。

 採寸道具の入ったバッグを手に持って一緒に宮殿の門をくぐる。


「そこの二人、怪しいな。どこの者だ?」


 顔馴染みの衛兵に呼び止められてドキッとした。


(さすがに気づかれるかしら?)


 帽子のつばを下ろして顔を隠すマリアを、ペイジは背に隠してくれた。


「私はドレス工房の者です。ルビエ公女殿下のウェディングドレスの件で呼ばれました」

「そうだったのか。呼び止めてすまなかったな」


 通行証を確認した衛兵は、マリアの顔を見ずに通してくれた。


(危なかったわ)


 ほっと胸を撫でおろして進む。

 門から宮殿までの白い石畳を歩くのは初めてだった。いつもは馬車でエントランス近くまで移動するからだ。


 十分ほど歩いてやっと宮殿に入る。

 正面玄関は国王や賓客が使うためにあるので、出入りする商人や職人は小脇に設けられた勝手口を使う。


 ここでも衛兵に睨まれたが、ペイジが文句を言われる前に通行証を掲げたので止められなかった。


 採寸をする部屋に到着すると、薄着になったルクレツィアが腕を組んで座っていた。

 職人が自分より遅くやってきたことが気に入らないようで、ツンと顔をそむけている。


「お待たせしてすみません。ドレス工房のペイジです。こっちは助手のマリオン」

「よろしくお願いします」


 マリアも低い声で挨拶する。

 ルクレツィアは、マリアの姿をちらっと見て「むさい男」と吐き捨てると、おっくうそうに立ち上がった。


「日が暮れると思いました。早く終わらせなさい」

「かしこまりました」


 バッグからメジャーを取り出したペイジと頷きあって、マリアはその場を離れた。


(採寸している間、ルクレツィアは動くことができないわ。それに、今ならオースティンも近くにいない)


 彼女たちが何を企んでいるのか探るには絶好の機会だ。

 マリアはバッグから取り出したデザイン画の束を抱えて、侍女たちが待つ隣室に入った。


「こちらに荷物を置かせてください」


「ええべ。ここに起けー」

「助手さんお茶は飲むが? カップケーキもあるべよ」


 テーブルに軽食を広げて休憩していた侍女たちは、笑顔でマリアを手招きした。

 主とは正反対の人の良さそうな娘たちだ。


 しかし、マリアは彼女たちの発音が気になった。


(タスティリヤ南方の訛りがあるようね)


 田園が広がる南部地方は農業が盛んで、牧歌的な暮らしと文化が今なお息づいている。

 言葉づかいも独特で鼻にかかったような発音をする。

 王都の舞台をふんでいる南方出身の女優は、劇場に入ってまず訛りを直したというくらい個性的なのだ。


 ルビエ公国からやってきた侍女が、なぜ南方訛りのタスティリヤ語を使っているのだろう。


「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたんです。皆さんは昔から公女殿下に仕えていたのですか?」


 マリアお茶の席に加わって尋ねると、侍女たちはゲラゲラ笑い出した。


「まさか。あたいらは雇われだべ。いきなり村に公女様が乗った馬車が来て、侍女を探していると言ったんだ」


「田舎じゃ考えられねえくらいの高給だもんで、村中の娘っこが志願したんだよ。そんで今じゃ公女殿下の侍女! 気分はいいけど、執事のオースティンってのが難しい奴でね。あたいらに人前でしゃべるなってんだ」


「誰にも言わないでくれよ。これがバレたら酷い目にあわされるらしいんだ」


 マリアが別邸に行った際、ルクレツィアの侍女たちは無口だった。

 礼儀を徹底させているのかと思っていたが、田舎で急募した娘だと知られないためだったようだ。


(ルビエ公国の公女ともあろう人が、侍女を一人も連れないで他国へやってくるなんてことあるかしら?)


 公爵令嬢のマリアですら、旅行にはジルと他の侍女を五人は連れて行く。

 これでも少ない方で、普通は二十人はお供させる。


 貴族は、着替え、食事の準備、入浴にいたるまで使用人に任せている。

 それは女性も同じで、掃除や料理の経験がないまま大人になる令嬢も少なくない。


 ルビエ公国の公女も同じだろうに、彼女の純粋な従者はオースティンのみ。

 タスティリヤに遊行をしに来たというのは表向きの理由で、深い事情がありそうだ。


「第二王子殿下が来たべ」


 ルクレに付き添っていた侍女が顔をのぞかせた。

 休憩中だった娘たちは、レイノルドを一目見ようと隣室に移動した。


 残されたマリアは、ドアの隙間からこっそり隣室をのぞく。


 採寸を終えたルクレツィアは衝立の向こうでドレスを着こんでいて、レイノルドはその手前に、不機嫌そうな顔で立っていた。


 メジャーを首にかけたペイジが衝立から出てきて、ルクレツィアのサイズのメモを叩く。


「殿下、ルクレツィア様はかなりスレンダーで、ジステッド公爵令嬢とは体型が違います。彼女のためにお作りになったウェディングドレスを仕立て直すよりも、別のドレスをお作りになった方が絶対にいいですよ」


「ジステッド公爵令嬢のウェディングドレス?」


 レイノルドは、なぜその名を出したんだと眉をひそめる。


「兄貴に婚約破棄されたのに、なぜドレスを作ったんだ?」


 まるで、マリアがドレスを製作したのを覚えていないかのような口ぶりだった。


(まさか、本当に覚えていらっしゃらないの?)


 核心に迫った気がした。

 レイノルドが、マリアの一切合切を忘れてしまったのなら、この反応も理解できる。


(そんなことあり得る?)


 レイノルドとマリアは一朝一夕の付き合いではない。


 マリアがアルフレッドと婚約している間も、彼は一途にマリアを見守ってくれた。

 叶うはずのない片思いをこじらせて、学園を卒業したら行方をくらませようと思っていたほどだ。


 確実に言えるのは、これが演技ではないということ。


(未知の病気か、不慮の事故か、それ以外の理由があって、レイノルド様はわたくしのことを忘れてしまったのかもしれないわ)


 彼の意思で捨てられたのではなくてほっとした。

 と同時に、まだ予想でしかないと渇を入れ直す。


 どんな理由があるにせよ、レイノルドがマリアを覚えていないことには始まらない。


「レイノルド様、わたくし仕立て直されたドレスが着たいのです」


 衝立の中からルクレツィアが甘えた声を出すが、ペイジは断固として首を振った。


「それではいけません。殿下、ご決断を」


 真逆の意見に挟まれたレイノルドは、うんざりした様子でため息をつく。


「仕立て直しでも新しく作るでも何でもいい。式に間に合うようにしてくれ」


 それだけ言って部屋を出ていく。

 侍女たちはもっと見ていたかったと大騒ぎするが、マリアは目の前を通り過ぎていく愛しい人の横顔を切なく見送ったのだった。



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