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10話 いきぬきは甘味爆食

「どういうことですか、マリアヴェーラ様!」


 トーク帽をかぶったミゼルが怒鳴り込んできたのは、マリアが宮殿に行ってから一週間後。

 冷たい雨が降りしきる暗い午後のことだった。


 自室のソファに横になって雷鳴に耳をすませていたマリアは、訪問の知らせを聞いてジルに頼んだ。


 ――せめて、人前に出られる格好にして。


 レイノルドの件で気落ちしているのは確かだが、マリアらしくない姿を見せたらミゼルに心配をかけてしまう。


 ジルと侍女たちは、大急ぎでもつれた髪を編み込み、人形を着せ替えるようにスエード調のビスチェを着たコットンドレスを着つけてくれた。


 姿見で自分が〝高嶺の花〟らしい雰囲気を取り戻したのを確認して、マリアは玄関への階段を下りていった。


「お待たせして申し訳ありません、ミゼル様」


 ミゼルはマリアが想像以上にやつれているのを見て、涙目で抱きしめてきた。


「こんなにお痩せになって……」

「少し食欲がないだけなの。病気ではないから安心して」


 なおも心配そうなミゼルを、マリアは自室へ案内した。

 暖炉の前のソファに隣あって座る。


 ミゼルは、細い指を折ってしまわないように慎重にマリアの手を取った。


「令嬢のサロンで、レイノルド様がルビエ公国の公女殿下に心変わりされたという噂を聞いてまいりました。あんなにマリアヴェーラ様を大事になさっていたのに、信じられません」


「わたくしも信じられなかったわ。でも……」


 長いまつ毛を伏せてマリアは回想する。


 宮殿にお菓子を持っていったマリアを迷惑そうにあしらうレイノルドは、知っている彼ではなかった。


 恋人として過ごした時間は幻だったのかと疑いたくなるくらい、冷淡な目つきが網膜に焼き付いている。


「王妃殿下がおっしゃるには、レイノルド様はわたくしから公女殿下へ乗り換えられたそうよ」


「そんなのおかしいです。レイノルド様は、マリアヴェーラ様がアルフレッド様の婚約者だった頃から密かに恋をされていたのでしょう? 一途に想い続けた人を、そんなに簡単に手放すでしょうか」


「でも、事実そうなったわ」


 全ての男性が浮気性だとは思っていない。

 けれど、側妃を持つ前提で育てられてきた王子であればどうだろう?


 大きなお皿に一口ずつもられたオードブルのように、さまざまな女性との関係を楽しみたいと思ってもおかしくない。


 虚ろな目で語るマリアに、ミゼルは赤く染まった鼻をぐすっと鳴らした。


「マリアヴェーラ様はこのままでいいのですか。裏切られたと怒ってもいいんですよ」

「わたくし、レイノルド様を怒る気はありませんわ。まだ、心のどこかで信じているのです。レイノルド様には事情があって、ああするよりなかったのだと」


 だから、マリアはレイノルドの豹変を誰にも話さなかった。


 両親には、公爵家から持っていったフィナンシェを喜んでくれたと嘘をついた。

 王妃とお茶をして、マリアが王家に嫁ぐのを楽しみにしていると言ってもらえたとも話して、婚約が順調だと誤解させた。


 小さな嘘で塗り固めないと足下が崩れそうで怖かったのだ。

 しかし、嘘はすぐにばれた。


 宮殿でのレイノルドの様子が父ジステッド公爵の耳に入った。

 烈火のごとく怒った父は、なぜ引き止めておけなかったと、マリアを汚い言葉で叱責した。


 それ以来、食事が喉を通らない。

 マリアのふっくらした肌はたった一週間でしぼみ、絹のようだった髪からは艶がなくなった。


「私は嫌です。マリアヴェーラ様ばかり苦しむなんて」


 ミゼルは握った手に力を込めて立ち上がった。

 引っ張られたマリアは目を丸くする。


「ミゼル様、何をなさるの?」


「気晴らしをしに行きましょう! 大好きな服を着て、かわいい物に囲まれて、甘いお菓子ばかり食べて、現実を忘れてしまうんです。マリアヴェーラ様の侍女の皆さん、ありったけのかわいい格好にお着替えをお願いします!」


「お任せください」


 控えていたジル、並びに侍女たちによって、マリアは支度部屋に連れ込まれた。


 あれよあれよという間に、白くてふわふわのチュールを重ねたデコレーションケーキみたいなドレスに着替えさせられ、頭には苺を模したルビーを縫い付けたヘッドドレスを飾られ、手首はレースのお袖とめとアクセサリーで飾られて、ミゼルが乗ってきた馬車に押し込められていた。


 ガタガタと揺れる車窓でも、ミゼルはマリアの手を握って離さなかった。


 やがてたどり着いたのは、淡いピンク色の外壁がやたらとファンシーな建物だった。


「ここは……」


「巷で流行のお店なんです。マリアヴェーラ様のご趣味に合いそうなので、いつか一緒に来てみたいと思っていたんですが……。結婚式が終わるまではとこらえていたんですよ」


 中に入ると、かっぷくのいいメイドがテーブルに案内してくれた。


 女性客ばかりで込み合った店内の壁際には長テーブルが置かれていて、ケーキやチョコレート、スコーン、プリンなど、多種多様なスイーツが山積みになっている。

 どれもミニサイズだが全種類食べたらお腹が破裂してしまいそうだ。


 メイドはテーブルに「使用中」の札を立てて、テーブルの方を指さした。


「うちはタスティリヤ王国で唯一のスイーツ食べ放題のお店なんですよ。奥のテーブルの料理は食べ放題。飲み物もお好きなものを好きなだけ。あなたならちょっと太っても平気よ。たくさん食べていってね」


 メイドにばちんとウインクされて、マリアは恥ずかしくなった。


(わたくし、よほどやつれているのね)


 ミゼルは紅茶を注文すると、マリアに待っているように言って一人で料理の方へ向かった。


 ティーポットとカップが届いたので砂時計の砂が落ちるのを待っていたら、大きなお皿を両手にミゼルが戻ってきた。


「全種類持ってきました!」


 ミゼルがお皿を両方とも自分の前に置いたので、マリアはびっくりした。


 生クリームと苺のケーキを初め、艶やかなオペラやフルーツタルト、ピンクや水色のマカロンやダイスクッキーなど一口サイズの甘い誘惑が、お皿の底が見えないほどびっしりと盛られていた。


「わたくし、こんなに食べられませんわ」

「お好きなものだけでいいんです。召し上がってください」


 向かいの席でミゼルが微笑む。

 食べるまで解放してもらえなさそうなので、マリアはフォークを手に取って苺のケーキに刺した。


 口に入れると、目がぱちっと開いた。


「おいしい……」


 とろけたクリームと苺の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。


 まるで、生まれて初めて味付きの食べ物を口に入れたように感動がわき上がってきて、影が差していたローズ色の瞳がキラキラと輝いた。


(こんな素晴らしいケーキがこの世にあるの!?)


 マリアは頬を紅潮させ、操られるようにマカロンに手を伸ばす。


 軽い生地にさくっと噛みつけば、砂糖の甘みがダイレクトに脳に響いた。

 飲み込んだら、からっぽの胃に熱が広がって、体のすみずみまで元気が戻るのを感じた。


(わたくし、自分が思うよりお腹が空いていたみたいだわ)


 そういえば、宮殿でショックを受ける前から食事を残しがちだった。

 レイノルドからの返信を心待ちにしている間はいつもそうだ。エネルギーが足りないと頭が働かなくなる。


(あの場で怒る気が起きなかったのはこのせいね)


 本来のマリアであれば、自分の婚約者にベタベタ触れるルクレツィアに上手い返しの一つでもしてやれたはずだ。


 すごすご引き下がって王妃に訴えに行くなんて。


(高嶺の花の名にふさわしくなかったわ)


 どんな事態にも物おじせずスマートに解決してこそ、ジステッド公爵家の令嬢マリアヴェーラである。


 マリアが弱気になって王妃もがっかりしたことだろう。

 それでも見捨てずに心構えを教えてくれたのは、彼女がマリアの才能を大いに買ってくれているからだ。


 考えている間も手は止まらず、マリアはチョコレートやプリンをもぐもぐぱくぱく食べ進めていく。

 食欲旺盛な様子に安堵したミゼルは、微笑みながら紅茶を注ぐ。


「かわいらしいマリアヴェーラ様が戻ってきてくださってよかった。女性の気が弱くなった時は甘い物が特効薬になる、とおばあさまに聞いたんですが本当ですね」


「ミゼル様のおばあさまに感謝ですわね。わたくし、やっと冷静になりましたわ」


 唇についた砂糖粒をなめとったマリアは、熱い紅茶を喉に流し込んで背筋を伸ばした。


「わたくし、どうしてもレイノルド様が自分の意思でルクレツィア様に鞍替えしたとは思えませんわ。やられた分は必ずやり返す、この性格を知っていて無視できるのは、愚か者か怖いもの知らずかのどちらかです」


 もしもレイノルドがルクレツィアを側妃に迎えようとしているのなら、彼女の相手もこなしつつマリアのご機嫌を取るはずだ。

 彼女とデートしている間は手が離せなくても、手紙の返信を書いて適当な贈り物を添えるだけでいい。


 だが、彼はそうしなかった。

 できなかったと言い換えてもいい。


 監視か、脅迫か。

 やむにやまれぬ事情があって、レイノルドは、マリアと自分の婚約を覚えていないふりをしなければならなかった。


 そう考えた方が自然だ。



「レイノルド様は危険にさらされています。お救いできるのはわたくしだけですわ」


 膝にしいたナフキンを掴んで闘志を燃やすマリアに、「お手伝いします」とミゼルは言う。


「といっても、私はマリアヴェーラ様のように聡明ではありませんから、いざというときのストレス発散をご一緒します」

「その後のダイエットもね」


 軽口を言い合って、マリアとミゼルは笑った。


 彼女のような友達がいてよかったと心から思う。

 一緒に怒ったり悲しんだりしてくれる人がいなければ、何もかもを投げ出してしまったかもしれない。


「それでは、行きましょうか。マリアヴェーラ様」

「ええ。満足するまでおかわりしてやるわ」


 料理とテーブルの間を三往復してお腹をスイーツで満たしたマリアを、ミゼルはジステッド公爵家まで送り届けてくれた。


 屋敷に入ると、慌てた様子でジルが駆け寄ってくる。


「マリアヴェーラ様! レイノルド王子殿下からお荷物が!!」

「なんですって?」


 早足で確認しにいく。

 マリアの自室には、リボンをかけた大きな化粧箱が置いてあった。


 添えられていたのは、国王が主催の舞踏会への招待状だ。


 震える手でリボンを解くと、中から現れたのは夜会用のドレスだった。

 レイノルドの瞳と同じサファイヤ色で、胸元やスカートの裾に銀糸で薔薇を思わせる刺繍が入れられている。


「っ、レイノルド様……!」


 思わず、ドレスを抱きしめた。


 貴公子が自分の瞳の色のドレスを贈る。

 それは、相手の女性を心から愛していると示す意味がある。


 舞踏会の前に贈った場合は、このドレスで自分と一番に踊ってほしいということだ。

 レイノルドはルクレツィアではなく、マリアを伴侶に選んでくれたのだ。


(少しでも彼の愛を疑ったわたくしが馬鹿だったわ)


 泣きそうな顔で見守っていたジルに、マリアは涙をぬぐって微笑みかけた。


「また前のように肌や髪を手入れしてくれるかしら。レイノルド様に一段と美しくなったわたくしを見ていただきたいの。舞踏会に間に合わないかもしれないけれど」


「間に合わせます。絶対に」


 力強く頷いたジルは、その晩から徹底的にマリアの美容に力を入れた。

 肌を、髪を、まつ毛を、爪を。あますところなく美貌を磨き上げ、ついに舞踏会当日――

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