8話 のりかえは盈盈一水
ジステッド公爵家の庭には、秋の花が咲きそろっていた。
ジャスミンやブーゲンビリアのような夏の花も華やかで美しかったが、冬に向けてどんどん寒くなっていく季節に咲く花は、力強い色を放つから好きだ。
花を見ると心が安らぐ。
気を張って高嶺の花らしく振る舞っていた頃も、花はマリアの貴重な癒しだった。
それなのに、しゃがみこんで鮮やかなチェローシアを眺めてみても心は沈んだままだ。
「またレイノルド様から返信がないわ」
以前も同じようなことがあった。
あのときはお互いに連絡を待っていてすれ違ってしまったので、今回はマリアの方から二日連続で手紙を出した。
しかし、レイノルドからの手紙は来ない。
(なぜ?)
何かあったのではという不安と、そんなことで不安になる自分への情けなさが胸の奥で渦をまく。
こうなるから恋人からの連絡を待っている間が嫌いなのだ。
どんなに想っていても、顔も声も毎日少しずつ薄れていくような気がする。
せめて言葉がほしいのに、ないがしろにされている気分になる。
彼にかぎってそんなことはしないとわかっていても、不安になるのが乙女心だ。
(今頃、レイノルド様は何をしていらっしゃるのかしら)
うっかりレイノルドとルクレツィアが並んでいる姿を想像してしまって、マリアは首をぶんぶんと振った。
「待っているなんてわたくしらしくないわ」
顔が見えないから不安になるのだ。
こんな気持ち、会って一言でも言葉を交わせたらあっという間に消し飛ぶ。
「宮殿に行ってみましょう」
マリアは、レイノルドが好きな青色のドレスに着替え、スズランのブローチをつけて馬車に乗り込んだ。
彼が仕事に忙殺されている場合を考えて、公爵家で作ったお菓子も持参した。
バターを練り込んだクッキーだ。
多忙なレイノルドは、こういった食べやすいお菓子を好む。
(喜んでくださるといいけれど)
クッキーを入れた籠を手に、第二王子の執務室へ歩いていく。
最近のマリアはよく宮殿にやってきているため、側近の付き添いがなくてもレイノルドを訪ねられるのだ。
途中でアルフレッドと行きあったので聞くと、レイノルドはたぶん庭園にいるという。
「ルビエの公女殿下がやってきてから、まったく仕事に身が入っていない。我が弟ながら嘆かわしい!」
憤然とするアルフレッドは、自分が情けないせいで弟にしわ寄せがいったことに気づいているのだろうか。
「そちらに行ってみますわ」
マリアは苦笑しつつその場を離れた。
この季節の庭園は肌寒そうだが、暑がりのレイノルドにとってはいい休憩場所だ。
(学園にいた頃から、お昼寝場所をころころ変えていらっしゃったようですし)
オレンジ色のレンガを敷き詰めた道を歩いていく。
秋晴れの空には雲がないものの、少し風が強かった。
あおられるスカートを片手で押さえて進んでいくと、庭園の入り口にあるアーチの向こうに、白銀色の髪の毛が見えた。
マリアは、ぱあっと顔を輝かせて足を速める。
整った横顔がはっきり見えたところで、思い切って声をかけた。
「レイノルドさ――え?」
マリアはぴたっと足を止めた。
秋薔薇を鑑賞しているレイノルドの腕に、渦中の少女が腕をからめている。
(どうして、ルクレツィア様と……)
二人の距離は異常なほど近い。
ルクレツィアが頭をあずけて甘え、視線を合わせる様子はまるで恋人同士だ。
ずきん、とマリアの胸が痛んだ。
ルクレツィアは、身長差や美貌、ありとあらゆる面でレイノルドとお似合いだ。
外見にコンプレックスを持つマリアにとって、自分より素敵な女の子がレイノルドといることは、それだけで苦しい。
悲痛な顔をしていたら、ルクレツィアが気づいて近寄ってきた。
「こんにちは、マリアヴェーラさん。私はレイノルド様と薔薇を鑑賞していましたの。あなたは?」
「わ、わたくしは、レイノルド様にお菓子をお渡ししようと……」
クッキーの籠を両手で持ち上げると、レイノルドは気味が悪そうに顔をしかめた。
「なぜ俺に?」
「なぜって、いつもおいしそうに召し上がっていらっしゃるからですわ」
「誰に聞いた。俺に取り入るつもりか?」
「え……?」
マリアは閉口した。
取り入るって、どういう意味だろう。
何も言えないマリアを、レイノルドは呆れたまなざしで叱る。
「ここは宮殿だぞ。一介の貴族令嬢に料理を持ち込ませるとは、衛兵は居眠りでもしていたのか」
「衛兵はきちんと身元を確認してわたくしを通してくださいました。いつものように!」
「いつも宮殿に出入りしているのか。もう兄貴の婚約者ではないんだから、わきまえてくれ」
「そんな……」
面倒くさそうに言い放たれて、マリアの目の前が真っ暗になった。
レイノルドは、クールな素振りはするが冷淡ではない。
自分に自信が持てないマリアをそっと抱き寄せて「かわいい」と言ってくれる、心優しい王子様だ。
それなのに。
今の彼は、マリアのことを知らないふりをする。
婚約者だということを忘れてしまったかのように。
ルクレツィアがいるから、マリアはもういらないとでも言うように。
(どうしてなの)
じわっと涙が浮かんでくる。
必死に泣くのをこらえていたら、ルクレツィアは嘲るように笑ってレイノルドの腕を引っぱった。
「変なお方ですね。レイノルド様、まいりましょう」
「ああ」
レイノルドはマリアを一瞥して、ルクレツィアをエスコートしながら歩き去った。
マリアを一人、庭園に残して。
「……何が起きているの」
わからない。
レイノルドの意思も、婚約の誓いがどうなったのかも。
ただ一つはっきりしているのは、今レイノルドのそばにいるのはマリアではなく、ぽっと出の公女様だということだけだった。




