6話 あしからず以毒制毒
翌日、マリアはダブルボタンのジャケットにサーキュラースカートを合わせた二部式ドレスを身にまとって、ルクレツィアが滞在する別邸に入った。
オースティンの出迎えで通された部屋には、すでにお茶の準備がなされていた。
丸いテーブルの上には湯気の立つスコーンやケーキがあり、ワゴンのティーポットにはコゼーをかぶせてあって、まるでマリアが来る時間をわかっていたよう。
(屋敷を出るところを監視されていた? まさかそんなはずはないわよね……)
ルクレツィアは、すでにおなじみとなった満面の笑みでマリアの到着を喜んだ。
「よく来てくれました。一人でお茶をするのは味気なかったので嬉しいです。どうぞ、おかけになってください」
「ありがとうございます。宮殿では、王妃殿下やレイノルド様とお茶をご一緒なさらなかったのですか?」
「ご一緒できたのは一度だけでした。お世話になっているお礼に、こちらで軽食を用意すると言ったら断られてしまって残念です。レイノルド様はご多忙らしくて、お茶の時間になると席を外されます」
白く塗られた椅子に腰かけると、オースティンが熱々の紅茶をサーブした。
濃い目の水面に、乾燥した花びらを浮かべたローズティーだ。
湯気と一緒に、薔薇の香りがふわっと立ち上ってくる。
「いい香りですわね」
ルクレツィアはカップに砂糖を三杯も入れて「おいしいんですよ」と微笑んだ。
「ルビエ公国の冬は長いので、ほんのわずかな温かい時期に咲く花は貴重なんです。一年中、花を楽しむために乾燥させて料理に使うんですよ。今日お出しするスコーンやケーキにも練り込んであります」
濃いピンク色の花びらが混ざったスコーンを見て、マリアはなぜレイノルドがお茶の誘いを断ったのか察した。
(これなら、毒も入れ放題だものね)
毒花を混入させてレイノルドに食べさせれば、タスティリヤ王国の後継者を潰せる。
ルクレツィアがルビエ公国に送り込まれた暗殺者である可能性が捨てきれないうちは、レイノルドは彼女の前で飲食しないだろう。
タスティリヤ王国とルビエ公国は友好的な関係にある。
しかし、今年のルビエ公国は酷い冷夏のために収穫量が少なかったらしい。冬を越せないのではという噂がタスティリヤまで流れてきている。
一国の王族が暗殺されたら、その影響は周辺国にもおよぶ。
混乱の隙をついて、ルビエが隣国の領土の一部と食糧を強奪する計画を立ててもなんらおかしくはないのだ。
(儚げな公女様が暗殺者だとは誰も思わない。いい人選だわ)
マリアは、勝手にルクレツィアを暗殺者扱いして、花びらの浮かんだ紅茶をまぜた。
善い香りだが、口を付けるのは抵抗がある。
――さて、どう切り抜けよう。
「花といえば、マリアヴェーラさんは〝高嶺の花〟と呼ばれているそうですね。私の侍女が宮殿でお世話になっている間に、何度も貴方の噂を聞いたそうです」
ルクレツィアは自分の世話をする侍女を何名も連れてきた。
女性は基本的に噂好きなので、宮殿内の情報を集めるのに長けている。
これも良い人選だと思いつつ、マリアは悠然と微笑んだ。
「いつからかそう呼ばれていましたの。他には『悪女』『泥棒猫』『毒花』と呼ばれたこともありました。どれも、わたくしには贅沢なあだ名ですわ」
マリアは、カップから手を離してスコーンを皿に取った。
半分に割ると、ぎっしり花びらが練り込まれていた。
たっぷりのクリームと毒々しいくらい真っ赤なジャムを指についてしまうくらい塗ってから、ふと気づいたように問いかける。
「これは何のジャムですか?」
「ルビエ公国で採れる雪苺という果物のジャムなんです。見た目は木苺に似ていて、酸っぱくて保存持ちがいいので、旅先で重宝しますの」
はじめて聞く品種だ。ジャムを塗る純銀のスプーンは変色していないが、ヒ素系ではない毒物の可能性もある。
おいそれと口にして当たったらたまらないので、ここは避けて通るのが一番。
無念そうに眉を下げて、マリアはスプーンから指を離した。
「困りましたわ。わたくし、酸っぱいのは苦手で……」
「では、それは私が食べます。他のケーキをどうぞ」
「お心遣いに感謝しますわ。ルクレツィア様」
取り皿をルクレツィアの方に移動してもらい、ジャムで汚れた指は自分のハンカチにぬぐった。
(あとで毒物か調べてもらいましょう)
心の中で考えていると、そばに控えていたオースティンが口を開いた。
「調べても何も出ませんよ。貴方を殺すつもりなら、魔法で誰にもわからないように始末しています」
「やめなさい、オースティン!」
ルクレツィアに注意されても、オースティンは口を閉じない。
黒い瞳には光がなく、夜の湖のような暗がりが広がっている。
「タスティリヤ王国では魔法が禁止されているそうですね。ここに来るまでに複数の国を渡ってきましたが、どこも魔法の力で素晴らしい発展をとげていました。それに比べ、ここは牧歌的な昔ながらの王国です。事件が魔法で起こされていたとしても気づきようがない。違いますか?」
「それは……その通りなのでしょうね」
マリアは他の国に行ったことがないが、複数の国に留学していた兄は、タスティリヤ王国の発展の遅れを嘆いていた。
魔法を利用して産業を活性化し、生活の利便性をあげて国民を増やし、国防力を高めるのが、近年のアカデメイア大陸の定石になりつつある。
魔法が禁止された一部の国は、どうしてもそれらの国に比べて劣る。
(考えたくもないことだけど、いつか戦争が起きた時、タスティリヤ王国は魔法を利用する国に勝てないかもしれないわ)
マリアの不安を感じ取ったように、オースティンは淡々と語りかける。
「一般人に魔法を使われては困るのであれば、魔法使いを使うという手もあります。ルビエ公国はそうして発展してきたのですから」
「オースティンっ!」
ルクレツィアが声を荒げて、やっとオースティンは口を閉じた。
主に怒られてまで、なぜ魔法の重要性を解いたのだろう。
けげんな表情をするマリアを見て、ルクレツィアは大声を出した口をナフキンでぬぐった。
「失礼しました、マリアヴェーラさん。オースティンは後で私から叱っておきます。空気が悪くなったので、今日はもうお開きにしましょう」
招待した側の閉会宣言があっては、マリアは出ていくよりない。
別邸を離れて、宮殿までの道を歩く。
ご丁寧にルクレツィア本人とオースティンが同行してくれている。
(見送りというよりは監視ね)
当然ながら会話は弾まなかった。
また来てくださいね、と笑うルクレに、愛想笑いで返すのが精いっぱいだ。
後ろをついてくるオースティンの視線が痛い。
早く解放されたいと思っていたら、馬車の降車場でレイノルドが待っていた。
彼は、マリアの顔を見るとほっとした様子で駆け寄ってきて小声で尋る。
「ずいぶん早かったがどうした?」
「執事さんのご気分が悪いそうですわ。おいしそうな紅茶とお菓子は、残念ながら口にできませんでした」
暗に毒の心配はなかったと告げれば、彼はようやく安堵したらしい。
王族の中でもっともルクレツィアと接している彼の緊張感は、離れているマリアには計り知れない。
(魔法の話はまだしない方がよさそうね)
マリアは、レイノルドの腕にそっと触れてからルクレツィアを振り返った。
「今日はゆっくりできなくて残念でした。よろしければ、またご招待ください」
「私もマリアヴェーラさんとたくさん話せるのを楽しみにしています。では、また」
ジステッド公爵家の馬車に乗り込んで宮殿を後にする。
マリアは、握りしめていたハンカチを開いて赤いジャムを見下ろした。
「……あの執事、わたくしに何を伝えたかったのかしら?」




