5話 はんだんは迅速果敢
別邸は宮殿を出て遊歩道を二十分ほどあるいた先にある。
急こう配の屋根を持つ二階建ての屋敷で、ベランダには蔦がからまり、側妃が愛したという噴水は枯れ葉で埋まっていた。
割れたガラスのはめ込まれた玄関を開くと、ぷんとカビの匂いがした。
マリアは、ハンカチで鼻と口を押えながら足を踏み入れる。
「これは……」
内部は声を失うほどひどい有様だった。
窓枠が歪んで雨水が入り込んだ室内は、床板が腐ってところどころ抜けている。
チェストも同様で、取っ手の金具に手をかけるとそのまま引っこ抜けた。
この調子では、別の部屋にあるベッドや椅子も使えないはずだ。
(ここまで大変だとは思わなかったわ)
マリアが招集したジステッド公爵家にゆかりのある内装職人や指物師も、同じようにショックを受けている。
「これはひでえ……」
「お嬢様、人が使えるようにするには、床板ごと中身をとっかえなきゃいけませんよ」
「貴族に満足してもらえるような高級な材料を集めるには一年はかかります」
職人たちはみんな及び腰だ。
冷静なのは、外れた取っ手をぶらぶらしながら天井を見上げるマリアだけである。
(蜘蛛の巣は張っているけれど天井は無事ね。シャンデリアと壁も掃除すれば問題ないわ。問題は床)
一歩踏み出すと床板はシーソーのようにたわむ。
これでは、新しい家具を入れても重量に耐えられない。
「……材料が全てそろっているとして、床と家具を全て取り変えるにはどれくらいかかりますか?」
マリアの問いかけに、職人たちは顔を見合わせた。
「床を剥がしてはるのに三日、家具はあるなら一日で運び込めます」
「ですが、材料が調達できないんですから、そんな日程で完成させるのは無理ですよ!」
戸惑う彼らに、マリアは不敵に笑いかけた。
「新しく調達しようと思うから難しいのですわ。貴族のお屋敷の内装を、そっくりそのまま移築してはどうでしょう。我がジステッド公爵家の客室の床と壁紙、ベッドやチェスト、洗面台や浴槽をそっくりそのままここへ」
「そっくりそのまま!?」
一同は仰天した後で、それなら何とかなると頷きあった。
反対意見が出ないのを確かめてから、マリアはパンと手を打った。
「四日後の完成を目指して頑張りましょう。それでは、行動開始!」
◇ ◇ ◇
レイノルドは、毎日なんだかんだとルクレツィアに宮殿を案内させられていた。
今日こそは仕事を片付けてみせる。
意気込んで執務室に入った朝、早々にやってきたのはマリアだった。
「おはようございます、レイノルド様。別邸のご用意ができましたわ」
「まだ四日しか経っていないぞ?」
驚きを隠せない。
名うての職人を集めても半月はかかると思っていたのだ。
マリアは、そんなレイノルドがおかしかったのか、ふふふっと笑う。
「早くしないと公女殿下がお帰りになってしまうのではと思いまして。わたくしがご案内しますので、至急お支度をとご連絡くださいな」
レイノルドは側近に命じて、客室に滞在しているルクレツィアに連絡した。
荷物をまとめるのに時間がかかるそうで、引っ越しはその日の午後になった。
ルクレツィア、マリアと共に別邸へ向かう。
遊歩道は馬車が通れないので、荷物はオースティンとルクレツィアの侍女たちが手で運んだ。彼らは無口で、笑いも泣きもしないため不気味だ。
見えてきた平屋の建物は、まるで去年建てたかのように白く輝いていた。
「掃除をしたら見違えるように美しくなりましたの。中も見てくださいな。自信作ですわ」
マリアが鍵で玄関を開けた。
まず部屋に入って驚く。
毎日丹念に手入れされていそうな家具や洗練された絵画が、昔からそこにあったように置かれていたからだ。
足元には厚手の絨毯が敷いてあり、暖炉もすぐに火がつけられるようになっていた。
「たった四日で、これを準備したのか」
マリアが有能なのはこれまでの行動を見るかぎり明白だった。
しかし、彼女が得意なのは政治や地理的な内容の方で、今回のリノベーションは完全に門外漢だったはず。
それを難なくやってのけた。
その胆力と行動力はレイノルドも顔負けである。
「マリアヴェーラ」
名前を呼ぶと、次の部屋にルクレツィアを案内していた彼女は、くるっと振り向いて微笑んだ。
野の花が開いたように可憐な表情で。
「何でしょう?」
ふわっとなびく亜麻色の髪や、薔薇色に染まった頬を見たら抑えが効かなくなった。
レイノルドは、気づけばマリアを抱きしめていた。
「きゃ!?」
悲鳴までかわいいとか。
(反則だろ。こんなの)
マリアの新たな面を知るたびに、レイノルドは彼女をどんどん好きになる。
まるで底なし沼だ。。
こんなに素晴らしい女性が自分を選んでくれたのは、奇跡としかいいようがない。
(絶対に守り抜く……!)
決意を込めてぎゅーっと抱きしめていたら、りんごより真っ赤になったマリアが叫んだ。
「れ、レイノルド様、人前ではこういうことは……恥ずかしいです」
蚊の鳴くような声で告げて、ぷしゅっとマリアの頭のてっぺんから空気が抜けた。
脱力した体を支えて、レイノルドは笑う。
「ははっ。あんたかわいいよ」
「ですから、そういうのも外では止めてください!」
「そう言われたら、余計に放したくなくなった」
ダンスでもするように寄り添っていると、ごほんという咳で現実に引き戻される。
「何をしてらっしゃるんですか? お二人とも」
冷ややかに咎めてきたのはルクレツィアだ。
我に返ったマリアは、陸に上がった魚のようにもがいて、ようやくレイノルドの腕から抜け出した。
「見苦しいところをお見せしました! 別邸は気に入っていただけたでしょうか?」
気を取り直して問いかけるマリアに、ルクレツィアは少しの間をおいて、にっこりと笑いかける。
「とても気に入りましたわ。内装は全てマリアヴェーラさんのご趣味ですか? 完成までずいぶんと早かったですね」
「そうだ。この短期間にどうやってこれだけの部屋を作り上げたんだ?」
「簡単なことですわ」
不思議がる二人に、マリアはまるでランチメニューを述べるように軽く答えた。
「ジステッド公爵家の客間をそのまま移築しました。床板も壁のクロスも、家具も調度品も全てです」
軽々しく言われたせいで、にわかには信じられなかった。
レイノルドは聞き間違いかと思って問いかける。
「公爵家の客間をそのまま……ということは、今あんたの家の部屋は空ってことか?」
「ええ。床板をはいでしまったので封鎖してありますわ。この国で用意できる最上級の材料で作られていましたから、ルクレツィア様にも必ずや気に入っていただけるでしょう」
マリアの説明を黙って聞いていたルクレツィアは、部屋を見もせずにお決まりの微笑を浮かべる。
「私のためにありがとうございます。ところで、マリアヴェーラさんはケーキがお好きですか。お礼にお茶でもいかがでしょう。明日にでも準備はできる、オースティン?」
ルクレツィアは後方を振り返った。
レイノルドも後ろを見れば、オースティンが背後に立っていた。
(こいつ、いつの間に……)
「ルクレツィアお嬢様のご命令であれば。明日までに支度をいたします」
「そうして。明日ここでよろしいかしら?」
「もちろんです。ご招待いただき光栄ですわ」
たおやかに返事をするマリアの瞳に疲れがのぞいた気がして、レイノルドは止めにかかる。
「待て。少し間を空けても――」
「レイノルド様」
言葉をさえぎったマリアは、子どもに言い聞かせるように口元に指を当てた。
(邪魔しないでほしいのか?)
「それでは、明日の午後。お待ちしておりますわ」
「楽しみですわ」
微笑み合うマリアとルクレツィア。
二人の間に流れる、とげとげしくも優雅な雰囲気は、レイノルドには手に負えないものだった。
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