18話 いつわりの婚約披露
宮殿の庭に集まった貴族たちは、噴水のそばに掲示された絵画に群がっていた。
描かれているのは、大胆にデコルテが開いた深紅色のドレスを身にまとい、自信あふれる表情で長椅子に座るマリアヴェーラ・ジステッド公爵令嬢だ。
絵の中のマリアは、持ち前の美貌もさることながら不自然にキラキラと輝いている。そのせいで、となりに設置された布で覆われた額に目を向ける観衆はいなかった。
「……なぜ、マリアヴェーラ様はこういった形でお披露目をなさったのか……」
人混みの中にいたクレロは、自ら完成させた肖像画を見上げて呟いた。
マリアにフラれて以降、ジステッド公爵家には近づいていない。
完成した絵を送り届けたら今生の別れだと思っていたのに、依頼料と共に届いたマリア直筆の手紙によって、この場に呼び寄せられたのだ。
物思いに沈んでいると、宮殿の方でキンキンうるさい怒鳴り声がした。
「なんなのよ、この騒ぎは! どうしてこんなに人が集まってるわけ!?」
苛立った様子で広いテラスから庭に下りてきたのは、聖女ネリネだった。
白いドレスを身にまとった彼女は、人をかき分けてズンズン肖像画の真下へ進んできて、マリアの肖像画をぽかんと見上げる。
「肖像画のお披露目会……? あの目立ちたがり屋がやりそうなことだわ!」
ネリネは、観衆に向かって両手を広げた。
「みんな、よく見て! これこそ、ジステッド公爵令嬢が肖像画家クレロ・レンドルムと浮気していたって証拠よ! 恋仲でもなければ、こんなに美しく描いてもらえるわけないもの!!」
「こうは考えられませんこと? あらぬ誤解を受けてしまうほど、絵のモデルが良いと」
澄んだ声に、人々が振り返る。
噴水を挟んだ向こうにある壇の真下に立っていたのは、肖像画と同じ深紅のドレスを身にまとい、髪には薔薇飾りを挿した、絵画の中から飛び出してきたかのごとき美女―――。
「マリアヴェーラ・ジステッド……!」
絵よりはるかに高貴な実物に、ネリネはギリッと奥歯を噛んだ。
マリアだけなら近づいて噴水に落としてやるが、今は多数の人目がある。
壇には国王と王妃がいて、マリアの両側にレイノルドとアルフレッドまで控えていた。
(わざと国王陛下たちを呼んで、あたしに手を出させないようにしたわね、卑怯者め!)
騒ぎを起こしたとて、国王からの信頼は揺るがない自信がある。
しかし、正式にマリアへ婚約破棄が言い渡されるまでは、彼女もまた要人。やりようによっては、レイノルド自身の怒りを買う。
そうなれば、次の王にも重用されて贅沢な暮らしを続けるというネリネの野望は潰えたも同じだ。
ネリネは、暴れたい気持ちを抑えて壇へと近づき、マリアに対峙した。
「貴族を集めて肖像画のお披露目会? よっぽど自分が好きなのね!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。それに、今日は肖像画のお披露目ではなく、わたくしとレイノルド様の婚約披露パーティーですのよ」
「はぁ? あたしは聞いてないわよ! 招待状を渡し忘れてんじゃないの?!」
「それは失礼致しました。ですが、おかしいわね……」
マリアは、頬に手を当てて、わざととぼけてみせた。
「こういった大きな催しに参加する場合、貴族令嬢は他のご令嬢と装いが被らないように、ドレスの色合いや柄についてそれとなく話すもの。招待状をお渡しした令嬢たちは、誰もネリネ様に相談されなかったようですわね。ひょっとして、嫌われておいでなのかしら?」
「なっ!」
「人望のない聖女様ですこと。だから、兄妹同然に育った妃候補でありながら、レイノルド様に相手にされなかったのでしょうね」
「あっ、あんたがかすめ取ったんでしょうが……!!」
カッとしたネリネは、近くに居た貴族からグラスを取り上げてマリアにかけた。
マリアは、あえて避けずに頭からずぶ濡れになる。
第二王子の妃に内定した公爵令嬢が、候補だった聖女に白ワインをかけられた――突然の修羅場に、辺りはシンと静まり返った。
しかし、マリアは怒らなかった。
顎から落ちた白ワインの雫を、コルセットで盛り上がった胸に伝わせながら、あざやかな笑みで壇上を振り返る。
「――わたくしが言った通りになりましたでしょう?」
国王と王妃は顔を見合わせた。
アルフレッドはびっくりした顔で、レイノルドは険しい顔でネリネを見つめる。
「ち、ちょっと、言った通りってなによ!」
「わたくしも、少しばかり預言をしてみたのです。『マリアヴェーラ・ジステッドは、婚約披露パーティーに乱入した聖女にずぶ濡れにされる』と」
「そんなの預言でも何でもないわ! あんたは言ったことを実現にするために、わざとあたしを怒らせて預言の通りになる状況を作り出したのよ!! ここは噴水もあるし、みんながグラスを持ってる。貴族の目があって殴り合いはできないんだから、水か酒か何かを掛けられて濡らされるに決まってるわ!! こんな仕掛けなら、あたしにだって簡単にできるわよ!!」
ぽろっと漏らされた本音に、マリアはしてやったりと目を細めた。
「自分でもできる。確かにそうおっしゃったわね?」
マリアが目配せすると、木陰に控えていたヘンリーが、丸眼鏡をかけたレイノルドの側近を連れてきた。
荒縄でグルグル巻きにされた彼は、強く蹴られて壇の下に転がされる。
ヘンリーは、縄の先を握ったまま、壇上に向かって騎士の礼をした。
「申し上げます。この男は第二王子殿下の側近です。間者として、殿下やジステッド公爵令嬢の様子を聖女に知らせ、お二人の印象が悪くなるような状況に追い込んでおりました」
「言いがかりよ。あたしはそいつと何の関係もないわ! 間者みたいな動きをしていたのは、他国のスパイとか何かだからよ。さっさと連れて行って処刑してしまいなさい!」
「処刑!? 何を言うんだ、ネリネ!!」
側近は、必死に体をよじって訴える。
「君が言うことを聞いたら結婚してあげるって言うから、苦労して王子の側近まで上り詰めたんだぞ。預言のたびに根回しをしてきたのも僕だ!!」
「だ、黙りなさい!」
ネリネが口止めしようとしたがもう遅い。
思わぬ大暴露に、国王がぴくりと反応した。
「根回しとは、どういうことだ」
「わたくしからご説明いたしますわ、国王陛下」
マリアは、小脇に挟んでいた預言の書を開いた。
そこには、聖女ネリネが今までした預言が一字一句漏らさずに記録されている。
「聖女ネリネがもたらした預言の的中率について、気になって調べさせていただきました。幼い頃の預言は『嵐が来そう』とか『盗みかスリが起きる』とか『川が氾濫するかも』とか天気予報くらいの曖昧なものでしたが、あるときから具体的な預言に変わります。四年前、果実の値段が高騰して混乱が起きたため、市場が閉鎖される騒ぎになったのを覚えておられますか?」
「ああ。その前に、豊かな土壌で知られる『ゼグレ地方で不作がある』という聖女の預言があった。まさしくその通りになったのをよく覚えている」
「それ、大嘘ですわ」
「なんだと?」
ニコリと微笑んだマリアは、アルフレッドを顎で呼び、彼に持たせていた書簡を広げさせた。
純白の便箋は、ゼグレ領主からマリアへの返信だ。
「わたくし、ゼグレ地方の領主に当時の事情をうかがいましたの。果実が例年になく豊作だったところに、聖女ネリネの預言が届けられたのだそうです。『領内の果樹は移り病に侵されている。少しでも葉が変色した木は、実を残したまま全て切り倒さなければ、やがて領内すべての作物に影響があるだろう。民に知られれば大混乱となるので、決して他言しないように』と――」
これを受けて、ゼグレ領主は領内の果樹をすべて切り倒させた。
もしも穀物にまで病が移ってしまえば、国中が飢饉にさらされて大勢の人が死んでしまうからだ。
果樹を切ったおかげで他の作物には影響がなく、ゼグレ領主はその後、『聖女のおかげで助かった』という感謝状を国王に送っている。
「――それは、ここに記された預言とは違います。『山崩れが起きる』と預言された山の主には、『山肌の木を切ると金塊が出る』という預言が届いていました。金に目がくらんだ主が木をたくさん切ったせいで、山肌は大きく崩れて川をせき止め、大変な被害をもたらしました。『市街が窃盗団に襲われる』と預言した後は、わざわざ他の国で指名手配されていた犯罪者を招き入れ、盗みをさせていました。彼らは魔晶石が狙いなのですぐ隣国へ行ったのだと、犯行を手伝った下町のゴロツキから証言を得ています。他にも、預言のせいで起きた事件や事故が多くありましたわ」
マリアは、預言の書をパタンと閉じて、集まった貴族を見回した。
預言に振り回された覚えのある者たちは、戸惑いや憤りを含んだ目でネリネを見つめている。
「聖女が具体的な預言をして、側近の男がそうせざるを得ない状況に陥らせる手紙を地元の有力者へ届ける。事態が収まると、彼らは国王陛下に感謝状を返信する。そうして、預言は叶ったように見せかけられてきた。これが、タスティリヤ王国が崇めてきた聖女の真実なのです」
「作り話だわ! どうしてみんな、聖女のあたしより、こんな悪女の言うことを信じるの!?」
ネリネは声を張り上げるが、どよめく観衆はとうに彼女を見かぎっていた。
聖女のサロンに参加していた令嬢たちも目を背けて、誰一人として庇う者はいない。
(こうなるから、偉ぶってはいけないのよ)
忠告はした。それを聞かなかったのはネリネだ。
可哀想だけれど、マリアも聖女を助けるつもりはなかった。
「ネリネ様。国王の寵愛を受けて育ったあなたは、いつからか自分が預言の力のないただの人間だと気づいてしまったのでしょう。聖女でなければ、居心地のいい居場所を追われてしまう。だから、自分に恋をする男を利用して、預言を叶えさせた」
「ちがう! その男とは、ほんとうに何の関係もないんだってば!!」
ネリネが叫ぶと、ヘンリーがガンと側近の手を踏み潰した。
側近は「ぎゃあ!」とくぐもった悲鳴を上げる。
「いいの? 聖女様がフォローしてあげないと、こいつ処刑されちゃうけど?」
「好きにすれば。預言を受けての手紙は、その男が勝手にやったことよ! そいつがどうしようと預言は叶ったはずだし、死んでもあたしは少しも困らないんだから」
なぜか勝ち誇った様子のネリネに、マリアは追い打ちをかける。
「困らないでしょうとも。ネリネ様はもう、自分で自分の預言を叶えていく自信を手に入れてしまったもの。国を揺るがせた、あの一件で――」
一度は閉じた預言の書の、後半のページを開く。
『辺境の貴族が反乱を企てている』
大勢の騎士が辺境へ向かう事態を引き起こした緊迫感のある一文は、インクの掠れもまだ新しい。
「答え合わせといきましょうか。聖女が、なぜタスティリヤ王家と密接に関わってきた辺境伯に対して預言をしたのか。その狙いは――――第二王子殿下です」




