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17話 のみくらべ薔薇蜜酒

 その夜、マリアは馬車に揺られていた。

 ハートの木がある丘の下で降りて、トランク片手に坂道を上っていくと、木の前で黒いコートを着たレイノルドが待っていた。

 彼はマリアに気づいて、ほっとした表情を浮かべる。


「無事に抜け出せたんだな」

「ええ。お母様が表に出してくださったんです」


 母には、父の怒りがおさまるまでコベント教授の元で過ごしたいと話した。

 コベントにも『父に幽閉されそうになったので第二王子が手配した部屋に移るが、母には心配をかけたくないので教授の下にいると口裏を合わせてほしい』と連絡した。


 どうせ父は使用人に命じるばかりでマリアの様子を見にこないので、誰もいない部屋を釘で閉じておくだけでいい。


「手紙に、辺境に行くと書かれていて驚きましたわ。いつ頃ですの?」

「まだ出発日は決まっていない。だが、このまま行くと一月後には……。詳しくは、部屋についてから話す」


 レイノルドは、トランクをマリアの手から取り上げると、丘を下りて下町に入った。マリアは、頭から薄布をかぶって知り合いに用心した。


 酒場や宿屋が並んだ通りは、店先から漏れる光で暗くはない。

 しかし、マリアの警戒心は、檻に入れられた猛獣を前にしたときのように強まっていった。


(ここは、いわゆる盛り場というところだわ)


 タスティリヤ王国は治安のいい国ではあるが、さすがにこういった場ではスリや喧嘩があるはずだ。

 どんな犯罪に巻き込まれるかも分からないし、王族や貴族が顔を出すには不適当である。


「レイノルド様は、ずいぶんと刺激的な場所に出入りしておられるのですね」

「あんたに会えない間の暇つぶしだ。それに、これから行く場所はまだ入ったことがない――ここだ」


 レイノルドは、紫色のモールがついた看板の前で立ち止まった。

 一見すると普通の二階建ての家だが、ドアの前には屈強な見張り番が二人いる。

 内心でビクリとするマリアを背にかばって、レイノルドは彼らに向き合った。


「ヘンリーに紹介されてきた。マダム・オールに会いたい」

「入れ」


 ドアが開かれる。レイノルドに続いて中に入ろうとしたマリアは、見張り番から白いハンカチを握らされた。

 広げると、それは宣伝用の頒布品だった。


 ――ここはマダム・オールの店。女性客にだけ、特別な薔薇のお酒のご用意があります――


 酒瓶の並んだカウンターがある店内は、大勢の人々がアルコールの入ったグラス片手に歌ったり踊ったりしている。

 一見すると普通の酒場のようだが――マリアは、ふと気づいた。


 ステージ上で、派手な羽根扇を手にしたスリップドレス姿の歌姫が、やけに筋肉隆々としたゴツい体つきをしている。


「レイノルド様。あの方はひょっとして……」

「男性だ。ここは、変身願望のある連中が羽目を外しにくるクラブで、名のある貴族もお忍びで遊びに来る。と、ヘンリーに聞いている」

「まあ……!」


 異性装は犯罪ではないが、趣味が露見すれば周りから白い目で見られる可能性がある。

 こういった偏見のない場所が存在していることが、生まれたときから模範的な生き方を強いられる貴族の檻に入れられていたマリアには新鮮だった。


(タスティリヤ王国が、こんな風に誰しもが自由に振る舞える国になっていったら素敵だわ)


 もしも、それがレイノルドの治政であったなら、マリアは喜んで国を変える手伝いをする。


(レイノルド様が国王になったら、この国はどうなるのかしら……)


 ほわほわと未来を思い描いていたマリアの肩に、ぽんと手がかかった。

 振り向くと、紫煙の向こうからヌッと、目蓋がメタリックな紫アフロの生首が現れた。


「新顔ちゃんがいるわね」

「きゃ――」


 叫びかけたマリアの口を、レイノルドはすかさず手で塞いだ。


「もごっ、もご!?」

「あんたがマダムか。ヘンリーの紹介で部屋を借りに来た」

「お待ちしておりましたわ。ここはどんな趣味も恋路も応援する店ですの。マダムであるアタシの目が黒いうちは手を出させませんわよ」


 マダム・オールは、分厚い付けまつげをバサリと下ろしてウインクした。


(この方がマダムだったの!? わたくし、てっきり怪物かと……)

 

 レイノルドの拘束が緩んだ。

 深呼吸してようやく落ち着いたマリアは、スカートをつまんだお辞儀をする。


「お世話になります」

「お行儀が良い子ね。でも令嬢らしいお辞儀は止めなさいね。目立つわよ」


 マダムは、タイトなドレスに押し込んだむちむちの体を揺らしながら、店の奥にある階段に案内してくれる。


「二階に上がって。吹き抜けの廊下を歩いて、階段の向かいにある部屋が貴方の専用だから。シーツやタオルは替えてあるけれど、他に必要な物があったら遠慮なく言うのよ」


 階段を上ったマリアは、吹き抜けの廊下から階下を見下ろした。

 酒焼けした歌声が響くホールでは、めいめいに着飾った格好で人々が踊っている。

 楽しげな雰囲気を眺めていくと、カウンターに腰かけた若者の手元に目が留まった。


 爪の辺りが、ミラーボールみたいにキラキラ輝いている。

 一人きりでウイスキーを飲んでいる若者は、周りが派手なので相対的に目立っていないが……。


(クレロ・レンドルムだわ)


 たしか、彼のアトリエはここからそう離れていない住宅地にあったはずだ。

 足どりが遅くなったマリアを気にして、部屋に荷物を置いたレイノルドが戻ってきた。


「どうした?」

「いえ……顔見知りがいたものですから」


 説明している間に、一人の女性がクレロに近づいていった。

 目立たないための配慮か、喪服のような黒いドレスを着ている。しかし、短い髪を払いのけた拍子に帽子が落ちて、顔が露わになった。


「あ……!」


 女性は、聖女ネリネだった。


「あいつ、なんでこんなところにいるんだ?」

「近くで様子を窺いましょう」


 二人は階段を下りて店内へ戻った。

 マリアは、薄布をかき合わせて万が一にも姿を見られないように。

 そしてレイノルドは、壁にかけられていた飾り帽子を頭にのせて、カウンターに近づく。


「――もういいわ! この役立たず!!」


 突然、ネリネがクレロのグラスを取り上げ、ウイスキーを彼の顔にかけた。


(一体なぜ!?)


 辺りは騒然とした。

 しかし、ネリネが外に走り出て、酒にまみれたクレロも退出すると、それまでの陽気な空気を取り戻す。


「ふいーっ、ひっく。ああいう客がいると店も大変だねえ、ひっく」


 クレロの隣の席にいた、頬に大きなシミのある紳士が、独特なしゃっくりをしながら女性のバーテンに話しかける。

 紳士服を着ているが、多分女性だ。それに、酔っ払うと饒舌になるタイプのようだ。


 マリアは、紳士に問いかけた。


「先ほどのカップル、どんなお話をしていたのか聞いていらっしゃいましたか?」


 話の対価としてカウンターに金貨を出すと、男性はたるんだ目蓋がかかった目をすがめた。


「ひっく、金貨なんかいらないねえ。これでも資産家なんだよお嬢ちゃん、ひっく。そうだな、あんたが飲み比べで勝ったら教えてやってもいい」

「飲み比べですわね。受けて立ちますわ」

「そんなことできるのか、あんた――」


 止めようとするレイノルドを遮って、マリアはバーテンに金貨を掲げて見せた。


「飲み比べのお酒をください。薔薇の香りのものがあれば、それを」

「おい、勝負だぜ! 賭けるならこっちにしな、ひっく!」


 紳士の声が店内に響く。

 歌姫のステージが中断し、店の真ん中にテーブルが移動され、そこでマリアと紳士は向き合って飲み比べをすることになった。


 集まったギャラリーがはやし立てる中、マリアはショットグラスを持ち上げる。

 紳士もマリアに向けてグラスを掲げた。


「「乾杯」」


 マリアは、一口で酒を飲み込んだ。

 うっすら蜜の甘みを感じる液体は、すうっと喉を通ってお腹に落ちる。


「もう一杯」

「ひっく、こっちにも!」


 そうして、マリアと紳士は二杯目、三杯目とグラスを空けていった。

 平然としているマリアに対して、紳士の顔はどんどん赤くなっていき――十杯目を飲んだところで急に泣き出した。


「ひっく、ひっく、もう無理だ! あんたの勝ちでいいぜ、お嬢さん!」


 わっとギャラリーが沸いた。

 彼らはどちらが勝つかお金を賭けていたのだが、マリアより紳士の方に人気が集中してたので、取り分はかなりの金額になったようだ。

 十一杯目に手を伸ばしていたマリアは、薄布の下でにこりと微笑んだ。


「美味しいお酒でしたわ」

「ちょっと、あんたたち! 賭け事はよしてって言ってるじゃないの。散った散った!」


 マダムの一声でギャラリーは解散する。

 そばに残ったのは、納得がいかない様子のレイノルドだ。


「あんた、そんなに飲める口だったのか?」

「いいえ。わたくし、深酒は好みませんもの」

「じゃあ、なんで……」

「これです」


 マリアは、門番に手渡されたハンカチを見せた。

 女性にだけ薔薇の酒を出す、という一文が書き込まれている。


「ただの宣伝だろ。これがなんだ?」

「これは女性にだけ通じる暗号なのですわ。お酒の席で『薔薇の香りのものを』と伝えると、アルコールではなく花の蜜を溶いた水が出てくる仕組みなのです」


 女性を酔わせて連れだそうとする輩には、この手法が一番きく。

 レイノルドは、「知らなかった」と目を丸くした。


「ご存じないのは当然ですわ。男性に知られたら暗号の意味がありませんもの。では、お話を聞かせていただきましょう」


 飲み比べに負けた紳士は、横顔をテーブルにくっつけて伸びたまま言う。


「ひっく、さっきのカップル、どちらも声が小さくて会話はほとんど聞こえなかったね。だから、酒をぶちまける寸前の『あんたのために預言してやったのに』って言葉しか分からないさ、ひっく!」


「預言、してやったのに……?」


 ざわっとマリアの血が騒いだ。

 足下から頭まで、怒りにも似た熱い衝動が駆け巡る。


(思えば、これまでの問題には全て聖女が絡んでいるわ)

 

 令嬢たちに流された誹謗中傷の数々。

 突如として降ってきた破滅の呪文。

 

 そして今、辺境で異変が起きている。

 人目をはばかるように落ち合っていた男女の意味するところは――。 

 

「――レイノルド様。辺境へ出発するまで一月はありますわね?」


「ああ。騎士団の編成や装備の確認、辺境までの補給計画を立てる必要がある。それがどうした?」


「出発の前に、婚約披露パーティーを開きましょう」


 顔を上げたマリアの表情は、大輪咲きの真っ赤な薔薇のように気高かった。

 細めた瞳は激しく燃えている。対して、口元は余裕そうに弧を描いている。


 世にも美しい令嬢の視線を一身に浴びたレイノルドは、ごくりと喉を鳴らした。


 誰しもが認める〝高嶺の花〟は、剣より鋭い刺を持っている。

 絶対に手折られない自信があるからこそ、こんなにも強くいられるのだ。


「あんた、またよからぬことを仕出かすつもりだな」

「まあ! レイノルド様も、わたくしがどんな人間か、分かってこられましたわね」


 マリアは、声を出して笑った後で、うっとりと微笑みながらレイノルドの頬に手を当てた。


「わたくしの恋は、わたくしが守る。そう心に決めましたのよ」

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