16話 かくされた辺境機密
レンドルム辺境伯、ジステッド公爵を連れて、レイノルドは宮殿に向かった。
残されたマリアも劇が終わるのを待たずに帰路についた。
そして、母に懇願してクレロを家から追い出してもらった。
『お母様。わたくし、レンドルム氏に劇場で怖い目にあわされましたの。もう彼と顔を合わせるのは嫌ですわ』
肖像画はもう完成間近なので、クレロのアトリエで完成させた物を家に運ばせることにした。
レイノルドに持たれた浮気疑惑が晴れて、ほっとしたのも束の間。
困り顔の母がマリアの元にやってきたのは、その翌日だった。
「良くない噂が流れているわ。貴方が肖像画家のレンドルムと劇場で浮気していたのを、見た令嬢がいたそうなの。身に覚えはあるのかしら?」
「わけあって二人きりになったのは昨日お話しした通りです。けれど、それはレイノルド様もご存じですし、断じて浮気などではありませんわ」
「そうですか……。お母様は信じますけれど、噂を耳にしたお父様はカンカンに怒っていらっしゃるわ。帰って来るなり『マリアヴェーラを部屋から出すな』と命じられて、もうすぐこの扉も釘で打ちつけられてしまうの。お食事は隣の部屋から運ばせるつもりだけれど」
おっとりしている母は、今回もマリアの味方だ。
しかし、彼女でも父の決定には逆らえない。貴族の家の者は当主である男性の意向に従わなくてはならないのだ。
マリアは冷静をよそおって麗しく微笑んだ。
「お母様。わたくし、お部屋でお手紙を書いておりますわ。噂は噂。わたくしが毅然として、レイノルドと仲睦まじく過ごしていれば、いずれ晴れますでしょう」
金で作られたペンを握り、若草色のインク瓶を開けて、愛らしい花模様の便箋に向かう。
レイノルドに送ろうと思ったのは、辺境伯の緊急事態はどうなったか、報せてほしいというお願いである。
(我ながら色気がないわね。けれど、どうしてだか気になるのよ)
辺境で何があったのだろう。
他国に少しちょっかいを出されたとか、領内のトラブルに関しては、国王の決断を待たずに辺境伯が対処してきたはずなのに。
(まさか、わたくしとレイノルド様が結婚したら『国が破滅する』という預言のせいではないわよね……?)
考え出すと、どんどん不安が募ってくる。
このままではいけないと、マリアは窓を開け放った。
タスティリヤ王国に降りそそぐ陽光は明るく、風はカラリと乾いていて、淀みかけた心を乾かしてくれる。
青空から視線を降ろしたマリアは、庭園で花を観察している、丸眼鏡をかけた中年男性に気がついた。
向こうもマリアに気づいたようで、被っていた帽子を軽くあげて挨拶する。
「コベント教授……? そちらで少しお待ちくださいませ」
幸いにも、まだ扉は打ち付けられていなかった。
マリアが急いで庭に降りていくと、コベント教授はのんびり向日葵を見ていた。
「ごきげんよう、マリアヴェーラ様。ジステッド公爵に面会に来ましたが酷く酔っていてお話にならなかったので、こうして庭を見せていただいたら帰ろうかと思っていたのですよ」
コベントは、母の実家が後援している学者だ。
医者の息子として生まれ、優秀な頭脳を見込まれて大学院まで進み、史上最年少で教授となった。
彼は勉強熱心なマリアを気に入っていて、タスティリヤ王国の内実と世界情勢について、公表されていない情報も含めて教えてくれている。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ございません。父はなぜか荒れているのです」
「なるほど。辺境に魔物が現われている件で、飲まずにはいられないというところでしょうな」
「魔物? そんなものが本当にいますの?」
驚くマリアに、コベントは温和そうな瞳を向ける。
「外国には魔法や魔物が当たり前のように存在します。タスティリヤ王国で魔法が禁じられているのは、誰しもが扱えるようになると、とある場所に悪影響があるためです。その場所こそ辺境です。攻め入ってくる人間は騎士が迎え撃てますが、魔物にはただの人間では敵いません。ですから、大昔の辺境の領主は国王に特別な許可をいただいて、ある物を屋敷の地中に埋めたのです」
「ある物とは?」
「一角獣の角。魔晶石と呼ばれる物です。それがあれば、魔法を使えると言われている、素晴らしくも恐ろしい宝石ですよ」
ザッと吹いた夏の風が、マリアの髪をなびかせた。
タスティリヤ王国で使用を禁じられている魔晶石が、国を守るために使われている。そして、その事実を国民は――公爵家の娘でさえ知らない。
それだけ重要な機密ということだ。
魔晶石が辺境に埋められていると知られたら、悪用する者が必ず現れる。
「辺境伯が急いで王都にいらっしゃったのは、魔晶石に異変があったからなのですね。何が起きたのでしょうか?」
「それは歴史学者の知るところではありません。ですから、貴方にお教えしようと思ったのですよ。高嶺の花たる美貌と知性、人望を備えた貴方であれば、しがらみばかりの困難な状況でも打開できると――未来の国王陛下を必ずやお助けできるはずだと信じて」
コベントは、国王や辺境伯、ジステッド公爵では問題は解決できないと分かっているのだ。王侯貴族は、下手に動いた場合のリスクが大きい。
だが、ただの公爵令嬢であれば、どんな不敬を犯したとしても切り捨てられる。
「コベント教授。わたくし、辺境が揺らぐ事態になった原因を探ってみます」
真剣な表情で話すマリアに、コベントはこっくりと頷いた。
「手助けが必要ならいつでも申し出なさい」
◇ ◇ ◇ ◇
コベントを見送ったマリアは、部屋に戻って手紙をしたためた。
一つはミゼルへ。今までクレロが描いた肖像画の主を全て教えてほしいというお願い。一つは王妃へ。国王の外遊について調べてほしいという要請。
最後の一通は、レイノルドに向けての恋文――。
「失礼します、マリアヴェーラ様……あら?」
やってきたジルは、扉のノブをガチャガチャと回した。
「お父様の命で閉じられているのよ。何か用事かしら」
「第二王子殿下から手紙が。ドアの下を通します」
差し込まれた手紙を拾い上げたマリアは、便箋を読んで悲鳴を上げかけた。
多数の魔物が出没して辺境騎士団では防ぎきれないため、近く王都にいる騎士たちの遠征団を結成し、レイノルドが率いて行くという。
「そんなに危険な状況だなんて……」
便箋を握りしめると、カサリと紙がたわんだ。
一枚目にぴったり重なるように、薄紙が貼り付けられている。
慎重にはがすと、それは走り書きだった。
『――ジステッド公爵に閉じ込められていると聞いた。ヘンリーに隠れ家を用意してもらったので、身の回りの物だけ持って今晩ここへ――』
マリアは、待ち合わせ場所の住所をインクを乾かしていた便箋に書き入れると、もらった手紙は全て火をつけて燃やしたのだった。




