14話 ほしぞらの満天逢瀬
――聖女に破滅の預言をされたジステッド公爵令嬢が、王妃に認められた。
スティルルームから宮殿中にとどろいた噂により、マリアとレイノルドは再び会えるようになった。
とはいっても、国王が二人に婚約破棄させる可能性は依然として残っている。
不安にならないと言えば嘘になる。それでもマリアは、落ち込んだ姿を周りに見せないように毅然として振る舞った。
こういうとき、自分が〝高嶺の花〟で良かったとつくづく思う。
マリアが気高い表情を作ってさえいれば、誰も深く追求してこない。『こんな状況でも揺るがないとは、さすがジステッド公爵令嬢』と持ち上げるだけだ。
どうしようもない陰口は立てられるだろうが、そういうのが好きな輩は危害を加えてくるだけの行動力を伴わないので、むしろ安全とも言える。
「……天体観測?」
宮殿のテラスでお茶を楽しんでいたマリアは、向かいの席で婚約披露パーティー会場の指示書に目を通していたレイノルドの話に耳を傾けた。
「ああ。ヘンリーの別邸に貴族の令息が集まって、星を見る名目で夜通し酒盛りする催しだ。毎回サボっていたが、今年は行こうかと思っている」
「そうですか。お酒に飲まれませんように」
「あんたも来ないか?」
さらりと呼びかけられて、チュロスに伸びた手が止まった。
「わたくしも行ってよろしいのですか? ご令息ばかりの中に、女性が一人ではご迷惑なのでは……」
「主宰はヘンリーだぞ。当然、令嬢たちにも声をかけている。…………家には内密に」
貴族の若者と結婚前の令嬢が、後見人も連れずに一緒に星を見るだなんて、家に知られたら大変なことになる。
令嬢たちは、令嬢同士で集まって星を観察する、という名目で集まるらしい。
「あんたが来ないなら俺も行かない。行くなら行く。どうする?」
レイノルドは顔を上げた。悩むマリアを見つめる瞳は猫のようだ。
期待とちょっとの不安。でも、誘わずにいられない欲が顔を出している。
マリアは、ふふっと微笑んで頷いた。
「かしこまりました。わたくしも参りますわ。ただし、一つお願いがあります――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
トラデス子爵家の別邸。
真夜中の広間では、ヘンリーの誘いに乗った令息、令嬢たちが集まり、高い酒を開けて楽しそうに歓談していた。
星を見るという名目だが、曇り一つなく磨き上げられた天窓を見上げる者は一人もいない。
一応、男性は男性で、女性は女性で集まれるように、テーブルやソファが分けられている。
個別の椅子を二つ近づけて男女で座るのは、恋人であるというサインだ。
アルコールの香りはするが、下町の酒場のようにベタベタとくっつく男女はいなかった。周りが遠ざかった隙に、こっそり手をつなぐくらいである。
マリアはというと、別室でテーブルに用意されたアップルシードルを味わっていた。周りには誰もいない。正真正銘の一人きりだ。
レイノルドに『参加はするが姿を見られたくない』とお願いをしたところ、ヘンリーが気を利かせて用意してくれたのである。
馬車も遠くで降り、マリア一人だけ勝手口から入る徹底ぶりだった。
今も頭から薄布をかぶり、万が一、誰かが部屋に入って来ても顔を隠せるようにしている。
(さすがに、わたくしが参加したら騒ぎになってしまうもの)
レイノルドは、貴族が大勢いる広間の方にいる。ヘンリーと顔見知りの下町の悪友たちもまばらに参加しているので、最後の語らいをしているのだ。
結婚すれば、町に降りて自由に歩き回る生活には戻れない。
彼らはこれから、悪友ではなく国民の一人になる。そういう分別の付け方を、レイノルドは心得ていた。
(それにしても、こんなに男女が接近するイベントだとは思っていなかったわ。レイノルド様がわたくしを呼んだのは、貴族令嬢が多数いる場に一人で参加して、不安がらせないようにするためだったのね)
どんなに一途な恋人同士だって、相手が異性の多数いる飲み会に参加すれば、何事も起きないかと不安になるだろう。
黙って参加しておいて、後から「浮気する人間だと思っているのか」と怒るのは筋違いだ。
不安にしないために、参加しない。
参加するなら、恋人も連れて行く。
小さな気遣いだけれど、彼のそういう優しさが、マリアは好きだ。
生ハムのカナッペを味わっていると、コンコンと扉をノックされた。
「悪い。待たせた」
現われたのはレイノルドだった。アルコールが入っているのに、少しも酔っていなさそうな足どりで部屋に入ってくる。
「もっとゆっくりされていてもよろしくてよ。美味しい料理をいただいていますから」
「あんたがいないと面白くない」
レイノルドは、マリアが被った薄布を前で合わせると、手をにぎった。
「天文室が空いた。星を見よう」
顔を隠したマリアとレイノルドは、人目につかないように注意しながら天井裏に設けられた天文室へ向かった。
数台のカンテラが灯るだけの暗い部屋。
その天井は、半球の形をした大窓になっていて、夜空に向けて巨大な望遠鏡が置かれている。
「大きな装置ですね。わたくし、これほど本格的な望遠鏡は初めて見ましたわ」
「トラデス家の数代前の当主が星に凝っていた。これは外国から取り寄せた物で、レンズに透明度の高い魔晶石を使っているらしい。人払いはすませてあるから、布をとって観察しても大丈夫だ」
「分かりました」
マリアは、薄布を頭から外して、レンズを覗き込んだ。
濃紺の空に、白や赤、黄色といった砂糖粒のような光が煌めいている。
星はここよりはるか遠くにあって、今見えている光は何光年も前の輝きだという。時を超えて届いたロマンに、マリアはうっとりと頬を染めた。
「綺麗だわ……」
「俺も見たい」
突然、レイノルドに後ろから抱きしめられた。
ドキッと鼓動をはねさせるマリアの動揺を知ってか知らずか、甘えるように肩先に顔をのせている。
「ど、どうぞご覧になってください」
マリアは望遠鏡の前からどけようとするが、レイノルドは、マリアのお腹に腕を回したままレンズを覗き込む。
「……ああ、綺麗だ」
低い声が耳元で響く。
背中に感じる体温が熱い。
新たな星を見つけるたびに漏れる息の甘さに、マリアはカーッと赤くなった。
(ど、どど、どうしたらいいの、これは!?)
腕を振り払って逃げるのでは、まるでレイノルドが悪いみたいだ。でも、彼は星を見ているだけ。せっかく楽しんでいるのに邪魔はしたくない……!
きゅうっと手を握って恥ずかしさに耐えていると、レイノルドに笑われた。
「なに百面相してんだ、あんた」
「! レイノルド様、いつからこちらを見ていらっしゃったのです!?」
「ほぼ、あんたしか見てなかった」
吐息のいくつかは、星ではなくマリアを見て漏れた溜め息だったようだ。
ドキドキが止まらないマリアの手を引いて、レイノルドは望遠鏡が向けられている大窓のそばに腰を下ろした。
隣に座ると、寝転がったレイノルドは、マリアの膝枕に頭をのせる。
「俺は、望遠鏡よりこっちで見る夜空の方がいい。あんたの顔も見えるしな」
「わっ、わたくしの顔なんて、見慣れておいででしょうに!」
「星と一緒に見るのは初めてだ。……来てくれて、本当にうれしい」
レイノルドは手を伸ばして、薄布でほつれた髪をマリアの耳にかけた。
「俺は、星空というと恋人と見るイメージがある。だから、あんたと見たかった。だが、俺がしたいと思うことは、あんたのしたい恋とは違うかもしれない」
「そんなことは、」
「あるかもしれないだろ」
不安そうな色を含んだ声が、マリアに投げかけられる。
「俺に、あんたがしたい恋を教えてくれ。夜空の下の恋人たちは何をする?」
「そ、れは……」
マリアは、言葉を切った。
恋人が二人きりで美しい星空を見上げてすること。
そんなことは一つしかない、けれど。
(あれを、レイノルド様に伝える? 言っても、してくださるかどうか)
一人で思い悩むマリアを、レイノルドは期待に満ちた瞳で見つめている。
青い瞳が潤んでいるのを見て、あ、とマリアは気づいた。
彼は、多分、その答えを自ずと知っている。
なぜなら、レイノルドも恋をしているから。
恋人たちは、誰に教わらなくても分かってしまう。
夜空の下で、何をするのか。
「き、キスをしますわ……」
そう言って、マリアは真っ赤な顔で目をつむった。
レイノルドは、小さく頷いて起き上がる。
膝が軽くなって、そばに手をつく物音がして、そっと近づいてくる感覚があって――。
強ばっていた唇に、ちゅ、と優しい感触がした。
ぱっと目蓋を開けると、すぐ近くにある顔が同じように赤くなっていた。
「……星より、あんたを見ていたい」
再び重なった唇は、先ほどよりも熱かった。




