9話 第二王子のあくゆう
「手紙は来てるか」
レイノルドがたずねると、デスクワーク中だった側近は立ち上がって、執務室のすみに置かれていた文箱をあさった。
「本日のレイノルド殿下宛の手紙は十六通。ほとんどが貴族からのご機嫌うかがいで、殿下ご本人に観覧していただく必要のある文書は二通です」
「聞いてるのはそっちじゃない。マリアヴェーラからの手紙だ」
苛立たしげに問い直すと、側近は残念そうに首を振った。
「ジステッド公爵家からの手紙は届いておりません。渡し忘れはないか、部下に確認に行ってまいりますか?」
「……もういい」
あきらめて自分の机に戻る。ギギッと音を鳴らして背もたれに寄りかかると、窓越しに夏めいた青空が見えた。
マリアからの手紙を待ちわびること、もう四日目。
文通のように続いていたやり取りは、預言があった翌日から途絶えている。
(あんた、俺と会った日は必ずその日のうちに手紙を書いて送ってくれただろ。なんで今回はくれないんだ?)
原因は何となく分かっていた。聖女ネリネによる預言だ。
結婚すれば国が滅ぶと言われて、マリアはショックを受けていた。
まずいと思ったレイノルドは、すぐさまネリネを連れて国王に対面した。
噂として耳に入れるより、渦中の第二王子から申し入れる方が心証がいいと判断したのだ。
幼い頃、宮殿に連れてこられたネリネは、双子の王子にとっては妹のような存在だ。国王が甘やかしたせいで我がままな性格に育ったが、今回のように、特定の人物を名指しして批判するような預言をもたらすのは初めてだった。
レイノルドは、預言はあくまで預言でしかないと前置きして、
「どんな預言をされようと結婚を止める気はない。ジステッド公爵令嬢が妃にならないのなら、王位継承権を放棄する」とはっきり伝えた。
すると、国王は何も言えなくなった。
レイノルドが王にならなければ、愚かな双子の兄アルフレッドが玉座につく。そうなれば、天災や飢饉、他国の侵略にさらされなくても、国が傾いてしまう。
ひとまず、結婚については保留扱いとなった。
舌打ちするネリネの横で、レイノルドはほっとしたのだが。
(あんた、預言されたことが本当になるとでも思ってんのか?)
レイノルドはそうは思わない。
タスティリヤ王国は豊かな国だ。王都だけでなく地方も栄えていて、食料の備蓄が十分にある。王家の方針で、優秀な側近の教育に力を入れているため、内政や外交も上手く行っている。
しっかりと布陣を固めているのだから、たかが王族の結婚でタスティリヤ王国が滅ぶはずがないのだ。
もちろん天災は防ぎようがないし、王妃が贅沢三昧して国民を苦しめ、革命を起こされることもないとは言えないが……。
(あんたはそういうタイプじゃないだろ。もともとが高貴な生まれで富への憧れはないし、権力にはさらに興味がない。唯一の願いが『恋をしたい』なんて可愛い人が、どうやって国を滅ぼすんだ)
マリアは、なにを一人で思い悩んでいるのだろうか。
表情を曇らせていたら、部屋のドアが開いた。
「あれ? まだ〝高嶺の花〟からの連絡待ちしてんの?」
「ヘンリー……」
入ってきたのは近衛騎士のヘンリーだった。
首元にかかる長さの茶髪と、右目にある泣きぼくろがチャラチャラした印象だが、これでも名門トラデス子爵家の子息だ。
剣の才能を認められて、学園に在学中にもかかわらず、王立騎士団に加入した天才である。
これまではアルフレッドの警護を任されることが多かったが、レイノルドに継承権が繰り上がってからは、第二王子の正式な護衛に任命された。
「王子サマ、そろそろ認めちゃえば? 自分は愛想を尽かされたんだってさ」
「尽かされてない」
「でも、手紙こなくなってんじゃん。信じたくないかもだけど、女の子って風見鶏みたいなものだよ。風向きが悪くなったら別な方に目移りもするって。切り替えて次の子に行こうよ。クラブに行けば誰かしら捕まるし、なんならオレが紹介するけど?」
「いらない」
ヘンリーは剣の腕が立つ。頭もそれなりにキレる。騎士としてはかなり優秀なのだが、女好きが最大の欠点だった。
孤立していたレイノルドを町へ誘い、酒場や裏カジノでの遊び方を教えたのは彼である。当人は、第二王子の悪友を気取っている。
だが、レイノルドは気づいていた。自分を連れているとナンパの成功率が上がるため、ダシに使われていると。
「俺は、マリアヴェーラ以外の女に興味ない。何度いったら分かるんだ、お前は」
「王子サマこそ、何度説明したら分かってくれるわけ? どんなに片思いしても叶わない恋はあるんだって」
「それはもういいだろ。俺の恋は叶った」
「叶ってなくない?」
ヘンリーは、休憩用の軽食を漁って、ハート形のチュロスを一つつまんだ。
「想いが相手に届いて、お付き合いに発展したことを『恋が叶った』とみなしていいなら、これを機にお別れしたって未練はないはずだよね。でも、王子サマはそうじゃないよね。あの公爵令嬢と、永遠に続いていくような約束がほしいんでしょ。だから、お付き合いに乗じて結婚しようとしてる。てことは、王子サマの恋はまだ叶ってないんじゃないの?」
「叶ってない…………」
レイノルドは衝撃を受けた。では、今の自分はいったい何をしているのだ。
「結婚すれば、恋は叶ったと言えるのか?」
「たとえ結婚しても、離婚してしまったら、叶わなかったってことにならない?」
「意味が分からない。何が言いたいんだ、お前は」
「恋を叶えるなんて不毛だってこと。それなら、オレは恋なんかしてなくいい。感情がなくたって女の子は可愛いし、デートもキスもできるわけだし。それで十分じゃない。ちがう?」
「お前基準で恋を語るな。混乱する……」
レイノルドは頭痛のしはじめた頭を押さえた。
マリアは、常々から恋がしたいと言う。
待ち合わせデートやペアのアクセサリーを身につけることが、彼女のなかにある恋人との正しいあり方であるなら、レイノルドは従うだけだ。
それで彼女が笑ってくれるなら、何だってしてあげたい。
だからこそ気になる。
彼女がしたい恋とは、どんな形であれば『叶った』と言えるのだろうか。
「なあ、ヘンリー」
「なあに、王子サマ」
三つ目のチュロスに手を出すヘンリーに、レイノルドは小声で尋ねた。
「本当の恋って、どうやったらできるんだ」
「オレに聞く? 王子サマが長年こじらせてたのは何なわけ」
「恋だと思っていた。だが、俺の思う恋と、マリアヴェーラの思う恋がちがったら、結婚へと推し進めても彼女は幸せにならない」
深いため息をつく悪友を見て、ヘンリーは思った。
(男にもマリッジブルーってあるんだ……)
結婚が決まると、トラブルや喧嘩が起こりやすいとは言われているが、本人たちの気持ちの揺れもまた、この時期特有のイベントかもしれない。
相手が好きだから、相手を幸せにしたいから、これでいいのかと思い悩む。
(まあ、恋だよね。レイがしているのは、どうみても)
だが、正直に認めてやるのもつまらないので、ヘンリーは悪魔になる。
「お相手が何を求めているのかは、本人に尋ねるしかないんじゃないかな。女の子と仲良くなるには、なんでも聞いちゃうのがコツだよ。やってみて」
「お前を手本にすると、破局する未来しか見えない。今月だけで何人の女を泣かせた?」
「覚えてるだけで三人? 音信不通の子が四人居るから、そっちも含めた方がいい?」
とぼけたヘンリーに、レイノルドは軽蔑の目を向けた。
そして「二度と恋を語るな」と命じたのだった。
 




