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2話 なけなしの代替求婚

 アルフレッドとプリシラが出会ったのは、学園の温室だった。一年に一度しか咲かない南国の大輪が花ひらいたと聞いて、マリアの方から誘ったのだ。


 第一王子とその婚約者である『高嶺の花』が温室を訪れる噂は学園中にひろまり、人払いをしなくても誰も近づかなかった。

 爵位を金で買った成り金の娘で、下流クラスで孤立していたプリシラ以外は。


 白い花々が咲きそろう花壇に腰かけて、指先にとまった小鳥に歌を聴かせていたプリシラは、やってきたマリアとアルフレッドを見るなり顔を青くした。


『お邪魔してすみません。お二人がいらっしゃるとは知らなかったんです。元庶民であるわたしは、やんごとなき家柄のクラスメイトから無視されていて、大事なことを教えてもらえないので……」


 大きな瞳からほろりと落ちた涙は、葉先に垂れた朝露のように清らかだった。

 女の涙はみっともないと教育されていたマリアでさえ、庇護欲をかき立てられた。


 ハンカチを貸したマリアのそばで、アルフレッドは雷にでも打たれたように固まっていた。

 瞳はプリシラに釘付けで、マリアの呼びかけに三度目でようやく気づく有様。


 南国の花を観賞するあいだも上の空だったので、彼の体調を案じたマリアは早々に予定を切りあげた。

 本当は、花の色や香りにかこつけて会話がしたかったのに。


 たとえば、花よりも君の方が綺麗だ、とか。

 どんなに良い香りでも、君ほど夢中にさせるものはない、とか。

 社交辞令でも何でもいいから言ってほしかった。


 良くも悪くも実直なアルフレッドが相手では、花の前で百年待っても、そんな言葉は聞けないと分かっていた。けれど、マリアは期待した。


 いつかアルフレッドが、自分にだけ特別な言葉をかけてくれることを――。


『――マリアヴェーラ・ジステッドとの婚約を破棄する!』


「――――はっ」


 恐ろしい夢から覚めたマリアは、息を吹き返した病人のように荒い息を繰り返した。体はこわばり、額には汗が浮かんでいる。

 視界が狭いのは、寝入りばなまで泣いた眼が腫れているからだろう。今日は一日、鏡を見たくない気分だ。


「もう第一王子の婚約者ではないのだから、一日ベッドの上にいても誰も咎めてこないわ……」


 無意味に寝返りを打つと、じわりと涙がにじんできた。


 二度寝なんかできない。はしたない真似はやめて、起きて身支度をしなければいけないと、第一王子の婚約者として過ごしてきた長年の習慣が責め立ててくる。


 起き上がって顔を水で洗い、ゆったりと体が泳ぐネグリジェから、コルセットでウエストを締め上げなければ入らないドレスに着替えなければならない。

 髪は熱したコテで巻き、肌には真珠の粉をはたき、唇を赤く染めて、扇を手にして『高嶺の花』の仮面を貼りつける。


 マリアはそうやって自分を作ってきたし、他に自分らしい形を知らなかった。完璧に外面を作り上げれば上げるほど賞賛される。

 南国の大輪は、花壇で咲く雑多な小花にはなれないのだ。たとえ、可愛らしい見た目に憧れていたとしても、自分が持ちうる色と形で輝くしかない。


 マリアでは、どうあがいてもプリシラにはなれない。


「っ、アルフレッドさま……」

「お嬢様、大変でございます」


 涙をこらえていると、侍女のジルがツカツカと寝室に入ってきた。

 昔から側仕えとして働いている彼女は、昨晩のうちにマリアが婚約破棄を言い渡されたと聞いているはずだが、泣き腫らした顔を見てたじろいだ。


「お可哀想に……。氷を運ばせてお顔を冷やしましょう。その間に、私たちの手でお支度を調えますのでご安心を」

「お父様からお呼び立てでもありましたの」

「お客様でございます。マリアヴェーラ様に逢いたいと、第二王子のレイノルド殿下がお越しになりました」

「レイノルド様が?」


 マリアは飛び起きた。

 王子を待たせておくなんて公爵家の失態だ。一刻も早く馳せ参じて敬意を示すべきである。相手の格と面会する場面にあった装いも忘れてはならない。

 ボロボロの顔を厳しい表情で引き締めて、ジルとその後ろに整列する侍女たちに命じる。


「衣装室から、準礼装の青いドレスを持ってきてちょうだい。足下は外に誘われても履き替える必要がないように、あらかじめ革のヒール靴を。髪は学園に通っていたときと同じく下ろした状態で、小ぶりなサファイヤを使ったヘッドピースをつけますわ」

「かしこまりました」


 侍女たちはいっせいに持ち場に駆け出した。衣装室や宝飾室からお目当ての品を取りそろえて、コルセットを締め上げるあいだに、マリアは氷で目元を冷やす。

 

 ドレッサーに座って香油で髪を梳かされながら見る自分の顔は、予想していたよりも落ち着いていた。

 目蓋は腫れぼったいし赤みも残っているが、化粧でごまかせるレベルだ。赤みのうえに真珠の粉を叩くと、ワインで酔った貴婦人のごとき色香をただよわせた。


 マリアはそれを見て幾分ほっとする。

 こんな最悪な日でさえ、自分はいつも通りの『高嶺の花』だ。


 扇を手にとり、青いドレスのスカートをつまんで応接間に向かったマリアは、執事が開けた扉をくぐった。


「お待たせして申し訳ございませんでした。レイノルドさ――」


 片足を引くお辞儀をして顔を上げたマリアは、椅子に腰かけた王子を見て言葉を切った。


 一瞬、アルフレッドがいるように見えたのだ。


 刺繍の入ったロングジャケットに、ネッカチーフを合わせる着こなしは、彼が良くしていた。背格好はほぼ同じで、整った顔立ちもそっくりだ。

 だが、どれだけ夢を見ようとそこに座っているのはレイノルドである。当たり前だ。いくらアルフレッドでも、婚約破棄した令嬢の家にのこのこ来るわけがない。


 そんなことはないと、分かっているのに。


(どうして、わたくしは期待してしまうの……)


 うつむいたマリアを一瞥して、レイノルドはマリアの父であるジステッド公爵に顔を向けた。

 口髭をたくわえた父は、王家のシーリングが押された手紙をマリアに読み聞かせる。


「王妃殿下より、第一王子アルフレッド殿下が断行した婚約破棄について謝罪をいただいた。さらに、第二王子レイノルド殿下との縁談までくださった。こんなにありがたいことはない!」


 父が大喜びするのも無理はなかった。

 第一王子とマリアの婚約が取り消されたという話は、一晩のうちに社交界に行き渡っているはずだ。公爵家とつながりを持ちたい求婚者が殺到する前に、第二王子との縁談をたしかなものにしておくに越したことはない。


 だが、肝心のマリアの心は、まだアルフレッドのもとにあった。

誰と結婚するにせよ、考えさせてほしい。


「失礼ながら、お父様。婚約破棄されてすぐにレイノルド様との婚約を発表すれば、王子であれば誰でもいいのかと公爵家がそしられますわ。ご一考を」

「選べる立場にあると思うのか、マリアヴェーラ。お前らしくない。王妃殿下のご厚情を無下にするのか!」

「ですが……」

「ジステッド公爵」


 怒鳴る父を止めたのは、レイノルドだった。

 彼は、萎縮するマリアの方は見ずに意見する。


「縁談は王妃の発案のように書かれているが、マリアヴェーラ殿に求婚したのは私自身だ。彼女の決心がつくまで考えてもらってかまわない。本日はこれにて失礼する」


 立ち上がったレイノルドは、マリアの横を通りすがら「気が向いたら返事をくれ」と言い残して去って行った。

 つづけて、苛立った父が「みっともない姿を殿下にさらすな」とマリアに当てこすって部屋を出て行った。


 応接間に取り残されたマリアは、ふと思う。

 レイノルドは、最後まで泣き腫らした顔を見ないようにしてくれた、と。

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