4話 おしのびの逢引日和
あんなに探していた待ち合わせ相手は、マリアの下敷きになって薄笑いしていた。
ひっくり返っていても美貌は健在だ。
冷ややかな瞳と形のいい鼻梁、淡く色づく唇からは、凜とした性格と遊び人めいた余裕が感じられる。
目にかかる長さの銀髪はみがいた剣のように輝き、長身をおおう上等なコートの漆黒が、隠しきれない高貴な印象を下支えしていた。
彼こそ、レイノルド・N・タスティリヤ。
このタスティリヤ王国の第二王子である。
「こんなに側にいただなんて……。わたくし、ちっとも気づきませんでしたわ」
「気づかなくて当然だ。ずっと、あんたの後ろを取ってたから」
「どういうことですの?」
マリアを立たせたレイノルドは、器用に人の流れを抜けていく。
「早めに広場に来て入り口を見張ってた。そしたら、あんたは脇目も振らず、まっすぐに時計台を目指した。どうやって俺と落ち合う気だと思って、黙って後ろをついて回っていたら、思いがけずぶつかった」
「だから、どこを見てもいらっしゃらなかったのですわね」
後ろから付けられていたら、いつまでも見つけられるはずがない。
マリアの目が、頭の真後ろにでも付いていないかぎり。
「悪ふざけも大概にしてくださらないかしら。わたくし、必死で探しましたのよ。それにしても、この人混みのなかで、よくわたくしを見つけられましたわね」
「目立っていたからすぐに分かった」
「わたくしが?」
マリアは急に恥ずかしくなった。
似合わない可愛らしい装いで来たから、悪目立ちしてしまったようだ。
(こうなると分かっていたのに……)
自分だけが後ろ指さされるならまだいいが、相手がいるデートで着てくるべきではなかった。
男性は、連れ歩く女性の善し悪しで格付けされる。
連れそうレイノルドの迷惑を考えれば、マリアは外見に相応しい格好をするべきだったのだ。
「変な格好で申し訳ございません。自分でも似合わないと分かっていたのですけれど、前に小花柄のドレスを褒めていただけたので、調子にのってしまいましたわ……」
立ち止まって猛省するマリアに、レイノルドはやれやれと肩をすくめた。
「勘違いしているみたいだが、あんたは何も変じゃない」
「ですが、目立っていたのですよね?」
「ああ」
不安げに尋ねるマリアを、レイノルドはとろけそうに甘い瞳で見返す。
「あんたが、とびきりかわいかったから、目を奪われた」
「かかか、かわいい?」
マリアの頬がカーッと熱を持った。
その言葉を聞きたくて、一生懸命にお洒落してきた。
褒められて嬉しいが、甘えベタなマリアの心には天邪鬼が住んでいて、素直によろこびを表現させてくれない。
「それはそれは! お褒めいただき感謝申し上げますわ!」
照れる気持ちを隠そうとするあまり、顎をクンと上げて目を細め、口角は下げるというキツい表情になってしまった。
可愛げのないお礼を、レイノルドはふっと笑い飛ばす。
「堅苦しいな……。まあ、いい。今日一日かけて、あんたをとろけさせる」
「とろけさせるって何ですの。わたくしチーズではありませんことよ」
「たとえ話が下手だな、あんた」
有無を言わさずに手を握られてしまった。
大きな手の平はヒンヤリと冷たくて、心の優しい人は冷えた手を持っているという話を思い出す。
レイノルドは優しい。
少し悪戯好きで、口が悪いけれど、いい人だ。本当に。
「あんたが行きたい場所に連れて行くが、こんな市場で本当にいいのか?」
「はい。巷の恋人たちがする鉄板のデートをしてみたいのです」
マリアが読んだロマンス小説では、待ち合わせに成功した恋人たちは、手をつないで店を見てまわる。
服やアクセサリー、食器を見ることで、相手の嗜好を確認するのだ。
「いろいろな店を見て歩きたいですわ」
「分かった。じゃあ、行くか」
マリアとレイノルドは市場を見て回った。
布を広げただけの露天、柱に帆布をかけて作った小屋には、庶民の手が届くような安価な品物が並ぶ。
アクセサリーを扱う市だからか、行き交う客はカップルが多い。
手を絡ませたり、肩を抱いていたり、人目をはばからずにキスをしたり……。
彼らの熱々ぶりを目にするたび、マリアは「ひっ」と短い悲鳴を上げて、レイノルドに笑われた。
「お貴族育ちには、刺激が強かったな。どこかの小屋にでも入るか」
二人は、市場のなかでもっとも設えが上等な店に入った。
他の店よりは高級志向らしく、ケタが一つ違う値段の宝石が並んでいる。
ダイヤにサファイヤ、ルビー、エメラルドなど、小粒ではあるが透明度は高い。
オリジナルの台座が花や羽根を模してあり、大人しめの可愛らしさがあった。
「かわいい……」
うっとりするマリアに、レイノルドは見蕩れた。
(あんたも、とか言ったら、また動揺しそうだな)
マリアは、かわいいものに触れているとき、特にかわいい表情を見せてくれる。高嶺の花にたとえられているが、本来は可憐な花が似合う少女なのだ。
「いらっしゃいませ。こちらにペアの宝石をご用意しておりますよ」
話しかけてきた女店主は、ガラスケースの鍵を開けて、主張の強い大ぶりなルビーとサファイヤが配置されたペアリングを見せてくれた。
「お嬢様の華やかさには、大粒の宝石でないと見劣りします。こちら、少し値は張りますが良いお品ですよ。せっかくですから、ご試着だけでもいかがです?」
「いえ、あの、わたくしは……」
大粒の宝石ならジステッド公爵家にいくらでもある。
マリアの容貌に似合うのは、女店主が勧めるものだとも分かっている。
しかし、心から欲しいと思うのは、出入り口近くに置かれている、細やかで小粒なアクセサリーの方だ。
「――俺は、これが見たい」
押しの強い女店主に困っていると、急にレイノルドが口を出してきた。
彼が指さしているのは銀細工のブローチだ。
スズランの形になっていて、花の部分に小粒のダイヤが嵌まっている。隣には、同じ意匠のネクタイピンも並んでいた。
女店主は、マリアへの押売りを中止して、レイノルドの方にすり寄った。
「すぐにお出しします。こちらもペアなんですよ。女性がブローチ、男性がネクタイピンで、どんな場面でも着けやすいアイテムになっておりますの」
ケースから出された二つのスズランは、紺色の別珍の上に並べられる。
レイノルドは、ブローチの方を手に取ってマリアのドレスにつけた。
淡い水色に、銀細工は良く似合った。
「似合ってる。服にも、あんたにも。こういうの贈られたら迷惑か?」
「まさか。レイノルド様からいただいたものなら、何だって嬉しいですわ」
「なら決まりだ。店主、このブローチとネクタイピンをもらう。このまま着けていっても構わないか」
「もちろんでございます」
マリアとレイノルドは、おそろいのアクセサリーを着けて店を出た。
ささやかなダイヤが、日の光をキラリと反射する。
さりげなく、けれど美しく。
まるで、周りに恋人同士だと見せつけるように。
(まるで夢のなかにいるみたいだわ)
待ち合わせて、手をつないで歩き、ペアグッズを彼から買ってもらう。
こんな楽しいデート、第一王子の婚約者だったときにはできなかった。
夢にまで見た恋を叶えてくれるのは、長らく視界から外れていた第二王子だなんて、少し前のマリアに言っても信じてもらえないだろう。
(恋って不思議なものね)
そして、とても素敵なものだと、マリアは隣を歩くレイノルドを見上げながら思った。




