第ニ話 誤転生と世界崩壊②
しばらく羽をこちょばされ、未だに顔を赤めてふぅふぅ言っているメズルフは部屋の端に言って俺を睨んでいる。よっぽど羽は触られたくないのだろう。
「もう、二度と、羽は……!!」
「わーったよ。触らないから。知ってる事、何でもいいから教えろよ」
俺はドカッとベッドの縁に座って手をひらひらとさせる。
メズルフは俺の事をめちゃくちゃ睨んでいたが、やがてポツリ、ポツリと口を開き始めた。
「楽さんは……」
「楽でいいよ。一回一回さん付けはしなくていい」
「そうですか? では、……楽は、リムベール様の姿が見えましたか?」
「いいや? っていうか、あそこにいたのか?」
「ですよね。もう、見る事さえ出来ない。 リムベール様は神様なんです。しかも転生を司る、位の高い神です」
突然、真面目に語りだすメズルフの話を俺も雰囲気を察知して真面目に聞いた。愁いを帯びた表情はどこか儚げだ。
「どうして、神様が見えなくなったんだ? 弱ったって事?」
「そうです。……人間の信仰心が足りないのです。けれども転生はさせないと魂が循環しない。現世に魂をとどめておくことはできない。だから力を使い続けることしかできないのです」
メズルフは悔しそうにそう呟いた。確か、俺が三途の川から落とされたときも「信仰心」が足りないに決まってるとか何とか言っていたのを思い出す。
「このままではあの方は力が維持できなくなってしまう。新しい天使を生み出すこともここ十年ほど全くできていないのです。人手では不足する一方です。それもこれも、人間の若者が神を信じなくなってきているから」
なんとなく事情が分かってきた。
今の日本で若者が神を信仰しているという話はあまり聞かない。と言うか、俺の周りで聞いたことがあるのは、今、俺がなってしまったこの祈里くらいなものだった。先日祈里と行った神社に転がっていたゴミの数々も神様という概念そのものが薄れている証拠なのかも知れない。
「神をあがめる人が居なくなったから……信仰心が足りない?」
「そうです。神の力の源は信仰心。このままでは……リムベール様が危ない」
メズルフは綺麗な青い瞳を揺らしながらそう言った。整った顔立ちと金髪も相まって、絵画に出てきそうだなとさえ思う。黙っていればこれぞ天使と言う見た目をしているのにな。控えめに言っても綺麗な顔立ちだ。黙ってれば。
「お前はリムベールから生まれたのか?」
「そうですが……私の事は『メズルフ様』と呼んで下さい」
「は?」
「先ほど楽は自分の呼んで欲しいように誘導したじゃないですか! だから、私の事もお前とかクソ天使では無く、メズルフ様って呼んで下さいよ!」
「いや、呼び捨てにしていいって言っただけだろ!」
目を輝かせてそう言って来るアホ天使。俺が呼び捨てで良いと言ったのを「好きなように呼ばせている」と勘違いしたらしい。
「それに、本当は天使なんですから、『様』を付けて呼ぶのは当然でしょ?」
「……じゃぁ『お前様』な」
「違うでしょ!! それじゃ、熟練の女房じゃないですか! そこはせめて名前で呼んでくださいよ!」
「いちいち煩い天使だなぁ。呼び捨ては俺らの距離を縮める為に言ったんだっつの!」
「むぅ、上下関係をつけるいい機会だと思ったのに」
「お前なぁ。クソ天使としか呼ばないぞ?」
「それは……嫌ですが……」
それは本当に嫌らしい。メズルフは口を尖らせてしょんぼりしている。
「もう、良いよ。メズルフ、な?」
「……様は?」
「つけねぇよ!!」
「……まぁ、いいっか! そこは寛大な私の心に免じて百歩譲る事にしましょう! これからよろしくお願いします、楽」
「んー……まぁ、こっちこそよろしく。メズルフ」
俺らはここでようやく挨拶を交わす。
それなりにいい雰囲気になったと思ったところで、祈里の部屋の目覚まし時計がジリリリと鳴った。時刻を見ると朝の7時半を過ぎている。
「それはそうと、学校遅刻しますよ?」
「え? 学校?」
「楽には、その『信楽祈里』のふりをして過ごしてもらわねばならないですから」
突然メズルフはそう言い出した。俺は事態を飲み込めない。ただでさえ、さっきから胸の爆弾が上下に揺れるたびに意識しないように頑張っているのに、この天使は俺の体に戻す気がないのか!?
「まて、どういう事だ? 俺は俺の体に戻るんじゃないのか!?」
「さっき、戻れるか分からないって言ったじゃないですか。 それに元々、リムベール様は転生の神様。生きている魂を移動なんてできないと思います」
「そ、そんな!? 俺このままなの!?」
「そうなりますね。もう転生は終わっちゃいましたから」
「うそだああああああ!!!」
「嘘なんてつくわけないじゃないですか。私、天使ですよ? あははっ!」
「お前は黙ってろアホ天使!!!」
「はぁぁ!? 説明しろって言ったり黙れっていったり!! もう、さっさと学校に行っちゃってください!!」
「って、待て。マジで祈里のふりするの?」
「ええ。しっかり周りにばれないようにしてくださいよ? ちなみに今現在。この時間軸には転生前の楽と、転生後の楽が存在しているようです」
「……」
「下手に動くとタイムパラドックスが発生するので、楽には平穏無事に『信楽祈里』となりタイムパラドックスを発生させないように動いてください」
天使メズルフのありがたいお言葉は無理難題の羅列だった。
「ふっざけるなああああああ!!!」
俺は全力で叫んだ。祈里のふりなんて絶対に無理。祈里は元からクラスの人気者で、明るくて上品でもある。そんな身振り手振りができるはずがない。なのに、このクソ天使はその無理さを全く分かってなさそうだ。
俺は怒りの満ちた目でメズルフを睨んでから、ハッとした。
メズルフは微塵もふざけていなかった。むしろ泣きそうな顔をしていたのだ。
「ふざけてなんていません!! 楽の魂はなぜかこの体に入ってしまいました。こんなことは初めてなんです!」
メズルフの青い瞳がまたもや揺れる。そして、静かにこう続けた。
「きっと、リムベール様のお力が弱まってしまったから……」
泣き出しそうな顔を見て、俺はもうこれ以上責めても仕方がない事を悟った。悟らざるを得なかった。それはつまり、俺が祈里として過ごすことを容認することに他ならないが、きっともう、どうすることも出来ないんだ。
祈里の真似事なんて出来っこない。俺は男だし祈里は女だ。女として生きていくなんて無謀でしかないのに、誰にもばれないように過ごせというのは更なる難題。絶対に無理だと冷静な頭が言っている。
それでも、目の前の天使は泣き出しそうな顔で俺を見つめている。綺麗に潤んだ青い瞳が上目遣いでこっちを見てくる。ずるいよな、この目に俺は敵わない。
俺はごねたい気持ちを抑え込み大きなため息として吐き出した。
「……はぁぁぁああ」
俺は部屋の端にいるメズルフの目の前まで歩いていく。
メズルフは次に何を言われるかと、身構えて体を硬くした。
そんなメズルフの頭を2、3回ポンポンと撫でると、キョトンとした大きな瞳がこちらを向く。
「楽……?」
「ったく、仕方ねぇな。やれるだけ、やってみっか!」
「……!?」
「どこまでできるかわからねぇし。その、タイムパラドックスがどうやったら発生するかもわからねぇけど、出来る限りはやらないとな? 地獄に落ちるのは勘弁だ」
俺は歯を見せてニッと笑った。その笑顔を見てメズルフは胸をなで下ろしているようだった。
「……あ、ありが…」
「ん?」
「な、何でもないです! ほら、時間が押しています! そうと決まれば、支度をしましょう!」
さっき、メズルフが口の中で何かゴニョゴニョと言っていたが残念ながら聞き取れなかった。
「ちなみに、タイムパラドックスが発生したらどうなんの?」
俺はゆっくりと立ち上がり女ものの制服に手を伸ばしながらメズルフに問いかける。
「すぐにはどうもなりませんが大きな矛盾が発生すると、世界の3次元がねじれますね!」
「は? それはどういう意味だ?」
「時間軸がねじれて、それに伴い重力層が発生源に収束することにより……」
「……」
「ブラックホールのようなものが何個も出来て」
「……」
「世界が滅亡します!」
「マジ?」
「まじです!」
その日、その朝、俺は失敗が許されない事も悟った。
俺に出来るのか!?
祈里の真似事なんて!!!!