プロローグ とある神社とおまじない②
修学旅行、最終日の朝。
俺と祈里は、計画通りに部屋を抜け出した。もちろん、例の胡散臭いおまじないをする為だ。
正直、俺としてはおまじない自体に興味はない。さらに言うと、ばれたらめちゃくちゃ怒られること間違いないというリスク付き。なのに不思議と足は軽かった。
俺はちらりと祈里を見る。そんな俺とは逆に、抜けだして怒られるのではないかと言う不安からか祈里の表情は固かった。そんな祈里の緊張をほぐすように俺は声をかける。
「上手く抜け出せたな」
俺の声に反応して顔を上げた祈里はやっぱり不安そうな表情だ。薄暗い山道を一歩、また一歩と歩きながら祈里はポツリと言葉を漏らした。
「本当に抜け出してきちゃったね」
「見つかるのが怖いのか?」
「あはは、ちょっとね」
祈里が来たいって言ったんじゃないか、と思いはしたが、弱り目を祟っても意味がないと言葉を飲み込んだ。俺は祈里のこんな顔がみたくてわざわざリスクを冒してホテルを抜け出したわけではない。そう思い、くらい山道の中で祈里の手を探して握った。祈里の手は柔らかくて暖かかった。
手を繋がれた祈里は驚いたようにこちらを見る。だんだんと表情が柔らかくなる。その変化が正直照れくさくて俺はすぐに前を向いてしまった。
「楽……?」
「朝日、見るんだろ?」
「うん! えへへっ」
笑顔を取り戻しているだろうこの声を、俺は祈里の手を引き、正面を見据えながら聞くのだった。
そうこうしているうちに、山道はどんどんと険しくなる。来た道を見て見ると、ホテルはもう遠くの方にあり、坂道から見下すような景色に息をつく。距離としては遠くない道かもしれないが、傾斜はきつかった。
「あとはここの道をまっすぐ進めば見えてくるはず!」
祈里がスマホで位置情報を確認しながらそう言うと、赤くて立派な鳥居が見えてくる。俺たちが目指していた陸日神社だ。俺たちは一回顔を見合わせるとその鳥居に駆け寄った。
「あった! あれだよ。写真と全く同じだから間違いない!」
興奮気味に祈里がはしゃぐ。そっと手を離してやると、祈里は解き放たれたかのように神社の敷地へと近づいて鳥居の前で律儀に礼をしてから入っていった。
薄明りの中でも輝いて見える程、祈里の笑顔は眩しく輝いている。
(連れてきて、良かったな)
祈里の顔を見て俺はふぅとため息をついた。さっきの緊張でこわばった表情なんて最初からなかったかのような笑顔だ。そんな俺の安堵なんて知る由もなく、祈里ははしゃいだ気分のまま俺に手招きをした。
「らーくー!! 行こう! 早くしないともうじき朝日が昇るよ?」
「ああ。行こう。来た意味がなくなっちまう」
そう言って俺は、神社の敷地に入ろうとした。
すると、突然祈里から制止の声が届いた。
「あ! 楽、待って?」
「え?」
驚いて顔を上げる。
「神社なんだからまず、鳥居の前で一礼して?」
「へ? なんでだ?」
「神様の住む敷地なんだから入る前に礼をするのが礼儀でしょ?」
さも当たり前の様子で祈里にそう言われる。
思い出した。祈里の祖父は神社の神主だった。
俺の家は無宗教と掲げるだけあって、家に仏壇もなければ十字架もない。年末年始に形だけの初もうではいくものの、お守りやら破魔矢やら絵馬なんて無縁の存在だ。
けれども、どうやら祈里が育った環境は真逆だった。小さい頃から神主である祖父を見てきた祈里はこういう場面だけはしっかりとしたいらしい。そして、俺にもそれは守って欲しいらしかった。
「そういう物なのか?」
「あと、道の真ん中は歩いちゃダメ!」
「え!?」
「真ん中は神様が歩くんだよ?」
「……。わかった」
めんどうくさいな。と心の奥底で思ったのが伝わったのか、祈里が唇を尖らせている。口うるさい彼女を持つと大変だ、と内心は乗り気じゃないが、そんな事で喧嘩もしたくはない。俺はしっかりと一礼をして鳥居をくぐった。
「よろしい!」
「へいへい」
偉そうに、そして満面の笑みでそう言って来る祈里に半ば呆れながらも言う事を聞いて道の端を歩く。
俺たちは鳥居をくぐった後、神社の端をゆっくりと境内へと入っていく。
すると、足で何かを蹴ったらしく、ガサリという音を立てて蹴ったそれは転がった。
「……ゴミ?」
蹴ったそれはビニールに入ったコンビニ弁当の袋だった。
「なんで、こんな所に?」
俺は首を傾げて日の登る前の神社に目を凝らす。
すると、そこに広がっていたのは酷い光景だった。
そこら中に、空き缶やらゴミやらが散乱して、床にはスプレーのようなもので落書きがされている。
酷いものなどは、行為に及んだあとのゴムまで落ちていて、俺は顔をゆがませた。
SNSで有名になりすぎたおまじないの神社には、マナーの守れない人もたくさん来たようだった。
「なにこれ……酷い……」
その様子に祈里が絶句しないはずがない。俺は慌てて祈里の手を引いて引っ張った。ここに居ては、行けないような気がした。
「祈里、朝日が見えるのはもう少し奥の崖からみるんだろ? もうじき朝日が昇る」
「う……うん」
手を引かれるがままにゴミで汚れ切った神社の奥へと入っていく。奥へ行けば行くほど、人が荒らした後が鮮明になっていった。表情が暗くなる祈里を見ていられない。
「朝日見たら、すぐに戻ろう?」
「…………」
俺は半ば強引に彼女を崖へと連れて行った。そこからは山々が連なっていて、うっすらと明るくなってい白んでいる空に朝日が間もなく昇るのを感じる。薄明りに照らされた祈里の顔は全く明るいものではない。俺は心配になって声をかけた。
「祈里……? 大丈夫か?」
「ご、ごめん! 私が来たいって言ったのに!」
その表情にハッとしたのか、祈里は作り笑顔をしてみせる。どこかぎこちない口角の上がり方に、残念な気持ちが沸き起こった。
(祈里を、笑わせるためにここへ来たのにな……)
今目の前にある彼女の表情は悲しみに満ちている。俺はここに来たことを後悔した。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
突然地面が揺れ始めた。
「キャァ!!!」
「じ、地震!?」
俺は祈里を咄嗟に守るように抱きかかえてしゃがんだ。
地面の揺れはすさまじく、立っていられない。震度5、6はあるだろう揺れに俺らは成すすべなく揺れ続ける地面に伏せた。
その時、揺れる地面に亀裂が入るのを俺は見てしまった。
俺らが立っているのは、崖なのだ。
朝日を見ようと山を登って、崖の縁まで来てしまっているのだ。
その俺らと、神社側の地面に亀裂が入った。
このままでは、ここは崩落する。
咄嗟だった。
体が勝手に反応した。
俺は祈里を亀裂の内側に投げ飛ばした。
ガララッ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
俺に投げ飛ばされて神社のほうで転がった祈里が、自分の目線よりどんどん上がって行く。
否、俺自身が崖下に転落していくのを、一秒、また一秒とコマ送りで見ているようだった。
足元の地面はあっという間に崩れ去り。
俺はあの日、祈里と朝日を拝むことなく、
崖下に転落して、
死んだのだった。
享年15歳、6月の事だった。