雨の中で思い出した記憶 上 ◇唱鶏視点◇
《唱鶏視点》
―――雨音が響く暗い廊下を、俺は一歩一歩と歩いていた。
全身を苛む痛みは、引くどころか強くなるばかりだ。
朦朧とする意識の中で、ふと脳裏に俺を嗤う朱蘭の声が木霊した。
“懐かしい痛みだろう”
……そうだ。忘れるはずがない。
俺は無心に足を動かしながら、幼い頃を思い出していた。
【緑ノ十八】―――それが俺の生まれた里だった。
そこは、帝都からは随分離れた山間にひっそりとあり、里を取り仕切る聖獣だってほんの5人しかいない、世界一寂れた郡だった。
俺の父と母は共に孔雀の流れを受け継ぐ者同士。肉食鳥獣の血を受けているくせに、随分と穏やかな人達だった。
二人は戦闘力など皆無で、山に山菜や薬草を取りに行っては、薬師の真似事なんかをして暮らしていた。
俺はそんな寂れた里が好きじゃなかった。ジリ貧生活に満足してる両親もだ。
“聖獣になれば都に住めるのか?”
里の聖獣にそう尋ねれば、曖昧な返事だけを返された。
“運が良ければな。ま、一つ言えば俺達も聖獣だ”
運が悪ければ辺境に飛ばされる。……それでも俺は聖獣を目指す事にした。
そして運悪く、俺には武に関して天武の才があったのだった。
―――やがて9歳の夏、煌めく舞台で俺は演じた。その時の衣装は、他の選手達に比べれば随分見劣りのする、田舎丸出しの衣装。
だがそんな俺を笑った奴らを全て試合で叩き落とし、俺が全幕を演じきった時、光に満ちた舞台は歓声と拍手の渦に包まれた。
その瞬間だけは、世界中から祝福されているような気がしていた。
―――それが、何故こんなことになったのだろう?
聖獣の任命式典で名を呼ばれた時、俺は歓喜した。
だがいざ刻印の時が迫れば、幼い俺は聖獣になる為の代償に尻込みした。
大人達は当然だと言いながら、喜々として印を刻んでいったが、俺には出来なかった。護衛獣の面汚しと罵られながらも、俺はその場から逃げ出したのだ。
だが奴らは俺を逃さなかった。逃げようとする俺を取り押さえ、首に印を刻みつけた。
俺に印を刻んだ不気味な黒子が、嗄れた声で俺に囁く。
『痛みが収まった時、印は自身の一部となり、名実ともに聖獣となる。痛みに抗うな、余計に辛くなるぞ』
大人の戦士達が痛みに気絶する中、それでも俺はただ自我を手放すのが恐ろしく、震えながら痛みに抗い耐えていた。
そんな時だった。俺達の様子を見に来た文官らしき男達が、累々と横たわる俺達を見て笑いながら言ったのだ。
『今年の奴隷は大漁ですなぁ』
……奴隷? こいつらにとって、俺達は奴隷なのか?
その時、俺の中の怒りが痛みを凌駕した。
今となっては朧気な記憶だが、印の馴染みきっていなかったその時の俺はその文官を殺し、そこから7日7晩暴れていたらしい。
正気に戻ったのは、誰だかの嗤い声。
『―――お前の里が滅んだぞ』
何を言ってるのか分からなかった。
『何度も朱蘭皇帝はやめろと警告していただろう。聞かぬお前が悪いのだぞ? 父も母も、関係の無い女子供も全て焼け死んだ。緑ノ十八はお前が滅ぼしたのだ。お前のせいだ!』
―――緑ノ十八…………焼け死んだ?
……俺が…………滅ぼした? 何を言って……
『お前が大人しく従わぬならもっと死ぬぞ!』
…………。
その言葉に、俺の身体は糸が切れたように動かなくなった。
とはいえ、決して里の奴らが好きだった訳じゃない。
父と母はいつも俺を怒っていたし、他の奴らだって俺を“化け物”だの“人格破綻者”だの罵ってきた。だからどちらかと言えば嫌いで、腹立ちに任せて半殺しにした事だって、一度や二度じゃない連中だった。
だが…………お前達にとってアイツ等は何だというのだ?
あいつ等が焼き殺される程の事をなにかしたのか? いや、した筈がない。なら何故?
お前らにとって俺とは……、護衛獣とは……一体……。
俺は黯然銷魂に、もはや拳一つ振り上げる事も出来ずその場に立ち尽くしていた。
するとその時、キィと音を立てて部屋の扉が開き朱蘭が現れた。
身動ぎせず視線だけを巡らせてそちらを見れば、朱蘭は俺をじっと見つめた後、まるで何でもない事のように言い放った。
『―――あぁ、漸く大人しくなったのか。おい、誰かさっさとアレの首にもう2、3個印を刻んでおけ。阿呆には一個では効かなんだようじゃ』
……もう、抗う気すら起きなかった。
◇◇◇
それからの俺は、木偶人形のような日々を送った。
聖獣には“自死を禁じる”ときう成約があるから、そういった行動を取ろうとすれば、金縛りと痛みに苛まれ、食餌も3日も食わねば、勝手に身体が出された物を貪り食った。
……いや、“木偶人形のように”ではない。まさに己の意志を無視した、操り人形だった。
『―――ほぉ! これが唱鳳ですか。強さもさることながら見目も悪くはない。これ程の逸材はそうはありませぬ。私にそれを下賜頂けるなら、その先四年分の穀蔵を無償で出させて頂いてもいい!』
『いや、こちらは20万の軍への武器の準備を』
『なら私は、以降10年の外交利益の4割で如何でございましょう……』
下卑た笑いを浮かべながら、俺に値段をつけてくる奴ら。
沸き上がる怒りに奥歯を噛み締めていれば、パキッと歯の折れる音がして、血の味が口の中に広がった。
と、その時の好き勝手言い合う奴等の話を遮って、朱蘭が声を上げた。
『……ふむ、話がまとまらぬな。ならば暫くは朕がこれを飼っておこう』
朱蘭が言ったその一言に、大名共が口々に抗議する。
『そんな、陛下には獅王がおられるではないですか』
『そうです! 望むだけの品を納めさせていただきます故どうか』
『陛下の所に置いて何の役に立ちましょう。この国の不利益をお望みか? 私ならば……』
『“やらぬ”とは言ってないだろう。お前達の話がまとまるまで、朕の宮に置くだけよ。……それに飼い殺しではない。丁度獅王の相手がおらんで困っておったところ。……なぁ、獅王。戯れる玩具に、ひとつどうじゃ?』
俺の意志など欠片も考慮する事なく朱蘭が獅王にそう振れば、獅王は表情を崩すことなく静かに頷いた。
『はい、御厚意感謝いたします』
獅子の流れを汲むこの男からは、欠片の誇りも気高さも感じ取れない。
獅王の頷きに朱蘭は満足げに笑うと、この場に来て初めて、俺に声を掛けてきた。
『ふ、……さて唱鳳。一つ良いことを教えてやる。印を刻まれた聖獣は、人間を攻撃できぬ。そして聖獣同士もそれは然り。だが、神獣が相手であればその限りではない。―――さて、阿呆なお前にこの意味が分かるか?』
次の瞬間、俺は獅王に向かって飛びかかっていた。木の床を踏み抜く程の跳躍で、その喉に向かって爪を一閃させる。
しかしその一撃は、軽い動作で獅王腕に受け止められた。しかもそればかりか、その一瞬の隙にカウンターを胸を打ち込まれる。
床に叩きつけられた俺を朱蘭は見下ろし、鼻で笑いながら吐き捨てた。
『本当に躾のなってない阿呆鳥じゃ』
俺はそんな朱蘭を無視して尚も獅王に向かって跳んだが、間合いを見切られ叩き落される。そしてそのまま、俺の2倍はあるその巨体で、ガッチリと俺の関節を固めてきた。
朱蘭はそんな俺の姿にわざと肩を竦めて見せると、また奴等の方に向き直って言う。
『まぁ、見ての通り出来損ないでな。現状アレはお前達が期待するような高価な物ではない。よって先のような金など積む必要もない。それらを踏まえた上で話し合うが良い。それ迄は朕の宮で、獅王が遊びがてら躾けておいてやる』
俺は床に組伏せられながら、その光景の全てを呪いながら睨んでいた。
―――かつて俺が求めていた煌めきなど、そんなもの何処にもなかった。




