視線
展望台の上で俺か涙を浮かべ、悩まし気な溜息を吐いていると、桃猿はまたこっちを見上げて笑顔で口を動かした。
「見てみろよー、相変わらずお美しい。まるでこの世の至宝だな」
ありがとう! そう、それだけが俺の取り柄なんだ。お前いいデブだな!
その時ふと蒼狼が素振りを止め、棒を脇に置くとその場で腕立て伏せを始めた。
俯き気味だが、こっちを向いてくれてるおかげで、何とか唇の動きは読める。
蒼狼は重力を感じさせない、リズミカルな腕立て伏せをこなしながら桃猿に言った。
「じろじろ白藤様を見るなよ。不敬だぞ?」
―――……っ(ドキン……)。
……もしかして無視してたんじゃなくて、尊んでくださってた……?
くっ、この身分差が辛いっ!
君達の目の保養になるなら、この俺如きジロジロ舐めるように見てくれても、全然俺はかまやしないってのに!
……あ、いや。やっぱ駄目だ。だって万が一にも俺が男である事がバレた場合、俺なんかで保養したあいつ等が可哀想すぎる……。
蒼狼は勿論、お前だっていいデブなんだから、俺なんかでトラウマ作っちゃ駄目だよ?
俺が憐憫のこもった笑みを口元に浮かべていると、桃猿は口を尖らせ、淡々と腕立て伏せをこなしていく蒼狼に言った。
「なんだよぉ。どうせこの距離だし、こっちなんか見てねぇよ。お前と違ってリアルじゃモテないんだから、見上げるくらいいいだろよー」
何と。やはり蒼狼くんは御モテになると。
「……。別にモテてない。昨日声を掛けてきてた三人だって、内二人は三回目だ。同じ子が来てるだけだよ」
ははは、蒼狼ってば世間知らずだなぁ! それを人は“モテモテ”と呼ぶんだ。―――羨ましいぜチクショウ!
桃猿もまた俺と同じ事を思ったようで、一瞬ニッコリと笑った後、躊躇なくそのヘビー級のボディーを蒼狼の背中にダイブさせた。
ってかそれ危険! マジで蒼狼がプレスされて昇天しちゃうからっ!
「っグフ!?」
「はぁー、どっこいしょい」
「……ってめぇ」
だけど蒼狼は一瞬バランスを崩しかけたが、なんと持ち堪えて見せ、あろうことか更には桃猿を背中に座らせたまま、腕立て伏せを続行しだしたのだ。
―――最高かよ! 俺だったら間違いなく瞬速で圧死確実だよ!
ペースこそ先程より落ちたものの、蒼狼は腕立て伏せを続けながら桃猿に尋ねる。
「……桃猿。お前また太ったか? 何キロだよ?」
「百八キロですが何か?」
桃猿が蒼狼を見下ろしながら笑い、蒼狼は呆れたように溜息を吐くと、また桃猿を乗せたまま体を持ち上げた。
「なんで三日で二十キロも太れるんだよ。どんな奇跡だ?」
「ふっ……“便秘”という名の奇跡だよ」
なんと!? おぬし、最低でも体重の五分の一はウ○コとな? ほっほっ、アッパレなり!
「―――……今すぐ降りろっ! このう○こ袋がっ!」
「かっかっかー! お前も似たようなもんだよ」
身を捻って桃猿を蹴り飛ばす蒼狼。
桃猿は笑いながらその蹴りをいなした。
……ってかウ○コ袋って! そりゃあ確かに、俺だって腹の中にウ○コ抱えてますけどね?
いーなぁ、その歯に衣を着せぬストレートな物言い! やっぱ宦官と違ってチ○コついてる奴はネチこくなくていいなぁ!
俺も入れて! 俺も一緒にウ○コの話したいよおぉぉっっ!!
俺がそう興奮気味に、蒼狼をガン見していた時だった。
蒼狼が立ち上がり際に顔を上げて―――……。
「―――……ぁっ」
……そのまま、オペラグラス越しに俺と目があったんだ。
それは真っ青な……
突き抜ける様に高い
蒼穹の様な瞳―――……。
「―――っひぅ!!!!!!!?」
俺は完全にテンパって、瞬速でオペラグラスから目を離した。
―――だってあり得ないっ、この距離で目なんか合うはずがない!
だけど肉眼でもう一度そっちを見下ろせば、蒼狼はまだこっちを見ている。
「……やべぇ」
俺はそう呟くと、オペラグラスを懐に突っ込み慌てて踵を返して展望台を降りた。
やべぇ、やべぇ、やべぇ……。
今、俺の顔が真っ赤になってるのが、自分でも分かる。
手は震えるし、心臓がバクバクいってて、今にも口から飛び出そうだ。
―――やべぇっ!
「白藤様っ!」
俺は何とか展望台から降りきったが、下に着いた途端ヘナリとその場でへたり込んでしまった。
それを見た唱が傘を放り出し、慌てて駆けつけてくる。
「白藤様! 一体どうなされました!?」
唱はそう叫びながら俺の腕を引いて抱き起こし、額に手を当てながら俺の顔を覗き込んできた。
多分熱中症かなんかと勘違いされてるんだろう。
……だけど今は駄目だ。俺の顔を覗き込んでは駄目だ。
俺の力では唱に敵う筈が無い。それでも俺は懸命に唱を押し退け手で顔を覆った。
「白藤様……?」
「ちょ……駄目……見るな唱、マジで見るなってばっ」
唱は俺の必死の訴えに、戸惑いながらもその手を離し、解放してくれた。
俺は着物が床に付くのも構わず、その場に突っ伏す。
そして今の心境を、震える声で呟いたのだった。
「―――……は…………恥ずか死ぬっ……」