退席の前に……
「―――どうかされましたかな? 白藤様」
呉克にふと首を傾げて尋ねられ、俺はハッと我を取り戻した。
慌てて取り繕うように顔を作ったが、それでも尋ねずには居られなかった。
声が震えないよう小さく息を吐き、俺は懸命に声を絞り出す。
「い、いえ。―――豹牙とは【朱ノ三】の? まだ青少年の部だった筈なのに何故?」
―――っ豹牙ってば、なに目を付けられるようなことしてんだよ!?
俺が苛立ちと焦りで拳を握りしめながら、呉克の言葉を待っていると、呉克は「あぁ」と顔を上げ俺に言った。
「白藤様はご存知ないですか。実は35年程前ちょっとした謀叛がありましてな。それを率いたのが豹牙の曾祖父に当たる者だった。李豹と言う当時46歳の男でしたか」
……何だそれ。そんな話は聞いたことがない。
「家族郎党打首でと決議されたのですがな、先帝様がそれをお止めになった。“豹の血は、絶やすべきでは無い。その戦闘に長けた爪と牙、そして狡猾なる頭脳はいずれ役に立つ”……そう、仰せられ、死罪は第1親等とその兄弟迄に留められた」
李豹の親兄弟と子供は死罪……既に戦死した豹牙の父親申豹が、李豹の孫って事か。
だけど、豹牙は嫌味だが腹黒くはないぞ。
「豹牙はそれで恨んでいると? 妾が見るに、かの男子に、そのような闇は感じ取れませんでしたが」
「そうでしょうとも。何故なら李豹の孫……いえ、豹牙の父の申豹は、当時まだほんの赤子でした。そしてより監視の目が行き届く様【橙ノ二】から【朱の三】に出生を伏せて養子に出させた。豹牙は元より戦死した申豹も、そんな過去など知ろうはずがないでしょう」
―――つまり何もしなくても、生まれながらにして目を付けられてたってか。
どうしようもない……いや、どうにかする方法もあるはずだ。
震えそうになる腕を押さえながら、俺は自分に言い聞かせる。
―――大丈夫。まだ三日目だ。
それにこれは大名達の勝手な戯言。これで決まるはずない。そもそも青年の部から【聖獣】が出ることは、過去15年間一度も無かった。
そんな小競り合い事案、気にするな。
ここは、敢えて反応せずスルーするのが正解だ。
ここで俺が擁護や非難をしようものなら、より豹牙に好奇の目が集中してしまう。
俺が目を伏せ話は終わりと合図を出せば、大名達はまた各々に話を始めた。
「豹牙と言えば、毎年対のように出てきていた蒼狼。奴は今年パッとしませんなあ」
「いやいや、衣装だけは艶やかでしたよ。姫君の仕立てが終われば私も紺姫師のに注文を入れたいですね。ただ老婆ですから寿命が保つかどうか怪しい所……ふふ」
「呉服の事であれば、周候とでも話をするのですな。まあ、蒼狼はここ迄だったという事。豹牙は今年も腕を上げてきたが、今年のあれは、守りばかりのつまらん動きしかして来ない。早熟タイプだったのだろう」
俺はそんな大名達の話を聞いていて、だんだん気分が悪くなってきた。
お前らなんかより、蒼狼や豹牙の方が何万倍もカッコいいんだよ。好き勝手言ってコケにしやがって。
口にする事は叶わないが、俺は内心でだけは大名達に叫び返す。
それに蒼狼はまだまだ伸び盛りだよっ! お前らの言う豹牙にだって、打ち勝てるくらい強いんだからなぁ!!
まぁ、確かにここ2日間の演武では、演じきってるもののちょっと攻めが足りないかもしれない。だけどいつもなら……。
―――俺はふと昨日と一昨日の、蒼狼の姿を思い出す。
それはどこか焦ったような、今にもリズムを踏み外しそうな動に、かつてない緊張に晒され、ガチガチに固まった余裕の無い表情。―――いつもの蒼狼らしくなかった。
どうしたんだろ?
そんな事を考えていると、俺は無意識に上帝様の御着物の裾をキュッと握りこんでしまっていたようだ。
それに気付いた、上帝様が俺に声を掛けてくる。
「どうした白藤」
「っあ、も、申し訳のうございます。私ったらお母様のお召し物に皺を……!」
慌てて手を離せば、上帝様は別段機嫌を損ねた素振りもなく頷いた。
「よい。白藤程度の握力では薄布一枚にすら、シワなど付けられんだろう」
……。ふふ……そうだな。多分俺の握力は、10キロあるかどうか怪しいくらいだからな。
上帝様の一言で俺が地味にダメージを受けていると、上帝様はことの他優し気な声で、俺に言った。
「少し疲れたのやも知れぬな。白藤は自宮に戻り、夜の部まで休んでくるがよい」
―――いいえ、私は母様の側を離れとうございません。
普段の俺ならそう即答しただろう。
だがこの時の俺は、本当にこれ以上この場に居たくなかった。
唯一の俺の宝物を、土足で踏み躙られてるのだから。
しかも奴等はそれに気付いてすらなく、無力な俺は笑顔を貼り付けたまま沈黙する事しかできない。
胃がキリキリと痛み、吐き気すらした。
「お心遣い感謝申し上げます」
「よい。唱、朕の白藤を宮迄送ってこい」
「はっ」
唱が即答し、素早い動きで上程様の台座の階段を半分昇り、俺に手を差し出してきた。
俺はリアルに覚束ない足取りで台座から立ち上がると、上帝様と大名達に別れを告げた。
「もっと御一緒させて頂きたかったのですが申し訳のうございます。また夜の部の席にて、宜しゅう御座います」
そして唱の手を取り、階段を降りきったところで、俺は唱の手を離してくるりと踵を返し、上帝様に跪き言った。
「私の愛しいお母様。そしてこの帝国の全てを手中に収められます上帝様。―――僭越ながら、一つ欲しいものがあるのですが、聞いて頂けますでしょうか」
それはクソ腹立ちながらも、何も出来ない無力な俺の最後の抵抗。
「なんじゃ? 言うてみよ」
蒼狼達から話題を逸してやる。もっと面白い話題を振ってな。
俺は大名達によく聞こえるよう、ハッキリとした声で言ってやった。
「はい。実はこの唱を、私の【神獣】として御譲り頂きたいのです」
その瞬間、清涼殿の空気がビシリと凍りついた。




