展望台から見える蒼
俺の可愛い女達……もとい、俺担当の女官達に身支度を手伝って貰った俺は、間もなく頭に金冠を載せた誰もが平伏す姫となった。
そして黄色い悲鳴に見送られ、背後にバカでかい日傘を持つ唱を侍らせつつ、俺は上帝様の待つ本殿に向けて粛々と歩き始めたのだった。
俺の住居である【白藤宮】から、上帝様の仕事場である本宮迄の道程は長い。
俺の足で徒歩一時間半くらい?
柱と屋根だけの廊下という名の歩道の長さは約五キロ。くそ重い着物を着て、夏の日中を歩くのは中々の重労働だ。
昔は輿に乗って送って貰っていたが、最近では緊急でも無い限り、自分の足で歩いて向かうようにしている。
大きな池や庭園を迂回するように通るこの廊下は、俺のテリトリーを抜ければ、白塗りのシンプルな造りから、一気に朱塗りと金装飾の派手な造りに様変わりする。―――……まぁ、言わずもがな上帝様の趣味だ。
そして更に広大な庭園を迂回するように進むと、高い塀の向こうが覗ける様に階段と高台が、ぽつりと添え付けられる場所がある。
俺はそこを【展望台】と呼び、散歩がてらよくそこを覗いていた。
いや、違うな。覗く為に散歩に出掛けていたと言った方が正しいな。
展望台の向こうは絶壁の崖。そしてその崖の下には、この帝国の兵士【護衛獣】達の訓練場があり、そこを覗けるようになっているのだ。
なんでこの庭園に、そんな展望台があるのかって? ……まぁ、それも言わずもがな上帝様の趣味だな。
いつもの俺なら、外出すれば必ずそこへ立ち寄って行くのだが、今は流石に呼び出しが先だ。
俺はその展望台を横目に通り過ぎながら『帰り、絶対にまた寄ろう』と心の中で呟いたのだった。
更に歩き続けて本宮が近づいてくると、本宮勤めの女官や宦官を、よく見かけるようになってくる。
途中そんな人達とすれ違うと、その女官や宦官達は、五体投地で頭を下げてきた。―――……今でこそ慣れたが、七歳くらいの頃まではドン引いてビビってたな……。
俺はそんな人達には、あえて一瞥をくれることなく歩き続ける。
声なんて掛けようもんなら、逆に向こうだって、ビビっちゃうだろうからな。
◇
そして【白藤宮】を出て歩く事一時間半。とうとう、俺は上帝様の居る本殿の扉の前に立った。
俺と唱の姿を目に止めるやいなや、門番の宦官共がサササッとゴキ○リみたいな妙な足さばきで、巨大な朱塗りの門を開けてくれた。
開かれた門の先の回廊を更に進めば、噎せ返るような様な匂いの香の煙が漂ってくる。
ぶっちゃけ俺の好みの香りでは無い為、なるべく吸い込まない様息を浅くしながら、俺は平然とした態度で進んだ。
すると霞む煙の向こうから、扉を大きく開け放たれた、派手な殿が現れる。
そこに深く一礼して入れば、殿の中に絹の幕をいくつも掛けられた玉座が据えられてあった。
俺は玉座の前で膝を折って頭を下げる。
すると間もなく、幕の向こうから上帝様の少し低い声が飛んできた。
「―――よく来たな。朕の可愛い白藤。面をあげよ」
声に促され顔を上げれば、燃える様な朱色の髪に釣り目が特徴的な、でかい美女が玉座に掛けていた。
これぞ俺の母、朱蘭女帝だった。
俺はニコリと笑って弾む声で挨拶の言葉を掛ける。
「親愛なる上帝様にして、天上天下に於いて誰よりも大切なお母様。お会いしとうございました」
―――まぁ、社交辞令だ。
こう言わないと怖いんだよ、俺の母ちゃんは。
そう。この人は俺と違い根っからの戦闘民族で、普段あまり化粧をしない。それでも元がいいから、十分見れる顔をしているのだが。
筋の通った鼻にアーモンド型の釣り目、細く尖った顎に細い眉。今は座っているからちょっとした威圧しか感じないが、立てば190センチの超ビッグマムだ。
因みに俺はサバを読まずに152センチ。きっとまだ伸びるんだろうが、現状母のデカさには恐怖しかない。
……いや、うん。やっぱおべっか言っても怖えわ。俺と全然似てないんだよ。本当に俺、この人の子か? いや、子だからこんな事になってんだろうけどさ……。
「……なんじゃ? 朕の顔になにか付いておるか?」
「いえ、今日もお美しいと見惚れておりました」
「愛いやつよ」
じっと見てると睨まれたので、笑顔でサラッと躱した。
そして上帝様はそんな俺の言葉で上機嫌に笑ったので、機嫌のいい内に本題に入る。
「上帝様、私めに御用と聞き及びました」
「あぁ、明後日は【煌武祭】だからな。今年でお前は十三歳になる。お前の側に置く【護衛獣】を、その際選ぶ事になる。心しておけよ」
「―――……しかと」
「うむ。それだけよ」
「……」
って、その為だけに一時間半も歩かせたんかぁーい!
内心突っ込みながら、俺はまた頭を下げた。まぁこの御方に、俺なんかが頭をあげられる筈もないのだ。
そしてその後、折角だからと誘われて唱の舞踊を母様と鑑賞し(本当は別に見たくない)、砂糖菓子を食べてから俺は本殿を後にした。
「お会い出来て嬉しゅうございました。私の大切なお母様」
「うむ、朕も白藤の愛らしい顔が見れて嬉しかったぞ」
去り際の俺の社交辞令に、上帝様はそう満足げに笑った。
……まぁ、何だかんだで俺、好かれてるんだよなぁ。―――俺も大好きだょ、母様! ……あ、別にマザコンじゃないからね。
そしてまたあの長い廊下の帰り道、例の展望台の前で俺は振り返って、俺を【白藤宮】迄送り届けようとしてくれている唱に声を掛けた。
「―――唱。俺、帰りに展望台を寄ってくから、ここまででいーわ」
唱の眉がピクリと動く。
「……またその様な言葉遣いを。誰かに聞かれでもしたらどうなされるおつもりか」
「はっ、この美貌を見ろよ。上目使いで白を切れば、どんな奴だってイチコロよ?」
「……はぁ……」
溜息を吐かれた。
そう。この唱は、俺の本当の性別と本当の性格を知る、宮廷内でも数少ない人物の一人であった。
「……ともかく、そうは言われてもお一人にさせるわけには行きません。どうしてもと言うなら、離れた場所に立たせて頂きますので」
「なにストーカーごっこ? 女の子相手じゃないと萌えないんだけど……」
「言葉をお選びください」
「冗談じゃん。青筋立てんなや。お前ハゲだからすぐバレるんだぞ?」
俺が笑いながらそう言えば、唱は無表情かつ無言で俺から離れて行った。
そして10メートル程向こうに立ち止まると、こちらに向き直り、俺をじっと監視し始めた。
―――まったく、つまんねー奴だ。
俺は唱に背を向けて、展望台へと登る。
見晴らしのいい展望台から下を見下ろせば、獣の耳と尻尾を持つ【獣人】と呼ばれる者達が、各々棒を手にして鍛錬に励んでいた。
「今日も……いるかな?」
俺はその中で目当ての者を探す。
屈強な大人達の集団から少し離れた所にある、子供から青年まで位の若者達の集団。
「―――……いた……」
集団の中にその姿を見つけた瞬間、俺は興奮のあまり思わず小さな歓喜の声を漏らした。
それは、槍を想定した長い棒を軽やかに奮う若者。
それは、澄んだ水を思わせる薄い水色の髪をした、犬耳の少年。
「っ蒼狼……!」
俺は食い入るように、その少年の姿を見つめた。