中編・侯爵、国王ら
――あの小僧は釣った魚に餌はやらないタイプだ。手に入れたと思った途端、すぐに興味をなくして他人のものを欲しがるどうしようもない性根の持ち主だ。あれは自分の幸福にばかり傲慢で共にいるものを不幸にする。今すぐにでも矯正しなければろくでもない大人になるぞ。
カタキヤーク侯爵は常々そのように申し述べ、未来の義理の息子を蛇蝎のごとく嫌っていることを一切隠してはいなかった。
周囲は娘を溺愛するあまりの反発だろうと、王族に対して不敬にあたる言葉ではあるものの広い心で聞き流していた。古来より花嫁の父というものは複雑な内心を抱え込むはめになるもので、その結果ひどく気難しくなったりわがままで頑固になったりするものだ。私情を優先して害のある行動に出るような人物ではないと、カタキヤーク侯爵には信用があった。だから敢えて彼をいさめたり頭ごなしに押さえ付けようとするものはいなかったのだ。
ろくでもないと糾弾された当人の父親である国王でさえも。
「お父様のおっしゃる通りになりましてよ。ですのでご足労ですけれども、婚約解消の手続きのために王宮に出向いていただけますか?」
「殿下の意思は固く、発言も公の場でなされたものですから証人は多数います。私も必要であればお供しますが」
父の忠言をまともに聞いていたのは、このきょうだいくらいのものだろう。レオナとアンソニーは、オージの人物評価を昔から聞かされ続けて、なるほどと納得もしていた。だからこそパーティー会場での突然の宣言にも、あまりの非常識に呆気にとられはしたが取り乱さなかった。
カタキヤーク侯爵は子供たちの声に頷きで応えた。機嫌は悪く無さそうである。
「あの馬鹿が、ついにやったか。今まで無駄な時間を過ごさせたな、レオナ。そもそもあれと婚約関係などを結ばせたのが父の力不足だ、許してほしい。すぐにも手続きに移ろう。なに、解消の次第についても取り決めはしてあるのだ。トニーが手を煩わせるほどのこともない、王宮には私ひとり出向くので充分だ」
「まあ、お父様。ですけれどわたくし、両陛下をはじめお世話になった方々に最後のご挨拶だけはしておきたいのです」
「お前の気持ちも分かるが、そう急ぐものでもなかろう。礼なり挨拶なりは、諸々の手続きを終えて落ち着いた頃でよかろうさ」
父の言葉に納得して、レオナはあとの処理を任せた。そのまま辞そうとしたところを引き留められる。
「トニー、レオナ。二人が揃っているからにはちょうどいい。クリスティーナもこの場に呼んで、お前たちの今後の話をしよう」
カタキヤーク侯爵夫人クリスティーナを交えて、一家は家族会議という名の団欒の時間を過ごした。
◆
王宮にて、苦虫を噛み潰したような顔をした国王と、今にも鼻歌の一つも飛び出しそうに機嫌のいい侯爵が向き合っている。
「陛下、この度は我が娘、ならびに我が家の不徳のいたすところ、面目次第もございません。オージ殿下のお心ひとつとどめられませず、まことに教育が至りませんでした。慎んでお詫び申し上げます。婚約も解消と相成りました。娘については学園も卒業したところでありますし、暫く領地に謹慎させるつもりです」
「…………貴様、謀ったな」
「はて?なんのことやら?」
「そのしらじらしいとぼけ方を止せ、ええい腹の立つ!」
王は憎たらしげに、澄ました顔の侯爵を睨み付けた。
カタキヤーク侯爵令嬢レオナは美しく優秀で、教育係からの評価はすこぶる高く、王妃をはじめ王家親族との関係も良好。王家の一員とするのにまさに理想の存在であった。年回りさえあっていれば、次男であるオージの相手ではなく王太子妃にもしたかったところだ。
すでに婚礼を済ませている王太子に無理を通す訳にもいかないが、それだけの逸材なのだ。オージの失態とはいえ、みすみす手放すのは痛い。
「恐れながら、陛下。私は以前から危惧しておりました。オージ殿下は幼い頃からどうにも、手に入れたものには興味を失い、常に新しいものを欲しがる面がおありだ。重ね重ね、陛下にはその旨を忠言差し上げておりましたはずです。その私に対して謀ったのなんのと、全く心外でございますな」
国王とその臣下という身分に歴然の差はあるものの、ムーゲメトオ王とカタキヤーク侯爵は同年代で、学友としての交流もある長い付き合いである。表向きいくら格式張った態度をとったところで、内心ではお互いを気安く思っているのが本音でもあった。
「それが白々しいと言っておる。貴様の手腕があればわが子オージ程度繋いでおくのも朝飯前だろうに。娘可愛さにわざと逃がしたな?王家の縁戚という立場はカタキヤークにはなんの価値もなかったか?」
「陛下、まさか私の忠誠をお疑いになるのですか?」
その言い方さえもが嘘臭いのだと言いかけて、王は言葉を飲み込んだ。自らが口にした言葉によって閃きを得たためだ。まだ完全な形をなしていないそれを逃すまいと、そちらを言葉にするのに忙しくなったのだ。
「そもそもからお前はこの縁組みに乗り気ではなかったが、本気で抵抗する気があれば成立すらしなかったはずだ。だから消極的な賛成なのだろうとこれまで触れずにいたが……しかしお前が強行したのは婚約当初から解消についての約定を定めることだったな。ただの悪あがき、癇癪だと今の今まで思っていたが、そんなわけがなかったのだ……両者の合意だと?礼儀知らずのお前ならともかく、レオナ嬢から王家に断りを言い出せるわけがない。実質有名無実の決まり事だ。それを……お前……婚約成立の初めからこの展開を描いたな!オージに言わせたか!」
王の独白をカタキヤーク侯爵は黙って聞いていた。先刻までの上機嫌から一転、石膏像のような無表情を浮かべている。
直接的な血縁でないにも関わらず、そうしているとアンソニーとも実によく似た親子だと、王はぼんやりと思った。
「もしもそうであったとしてです。陛下。責任の所在を履き違えないで頂きたい。殿下の口を借りて発声させたわけでなし、我が娘を公衆の面前で辱しめたのは他ならぬ殿下です。こちらからは動かせない婚約を踏みにじり、我が娘の足元にも及ばない馬の骨に懸想したのだとわざわざ天下にしらしめたのは殿下ご本人の真の意思だ。私なら繋いでおけた?婚約解消の絵図を描いた?それがどうした!私に出来てお前に出来ない道理があるか?あの下らん小僧の父親は私ではなくお前だろうが!あの馬鹿にどうして私が常識を教えてやらねばならんというのだ!お前の教育の失敗を私に押し付けるな!」
不敬であった。臣下が王に対して放つことなど到底許されぬ言葉と態度であった。
けれど愛娘を粗雑に扱われた父親としては当然の怒りでもあった。
卒業記念パーティーでどのようなやり取りがなされたか、出席していなかった王も報告は受けていた。婚約を維持している相手のエスコートを放棄し、堂々と別の女性を伴い来賓も多数いる公の場に出たというだけでも良識がないが、さらにはそこで取り巻きを率いて弾劾裁判擬きをはじめようとしたという。非は明らかにオージにあり、ただただ王族という権力だけを背景にオージは今に到って糾弾を免れているのだ。
ムーゲメトオ王とて、将来の義娘の一人としてレオナのことはずっと目をかけていたのだ。幼い頃から見知っている聡明な少女に愛着も情もある。決して彼女を悲しませたいとは思わない。しかし、問題を起こしたのは血の繋がった不肖の息子だ。改めてこちらの非を思えば、告げられる言葉はなかった。侯爵は叶うならばオージ本人を怒鳴り付けたくも殴り飛ばしたくも思っていることだろう。王家の臣下として最後の一線を踏みとどまっているにすぎない。
「……レオナ嬢は、傷心であろうな。謹慎などと言わず、せめて心穏やかに過ごせるならばよいが……」
物心もつかないような頃から王家に連なるものとしての扱いを受けてきた娘が、よりにもよって花も盛りというこの時期に梯子をはずされたのだ。
王家の面目を保つためにはやむを得ず、対外的にはレオナがオージの求める水準を達成できなかった責を負う形になるよう婚約解消の話を進めている。
けれども学園を中心とした貴族社会に実情を知らぬ者がないと言っていいこの事態に、温情をかけなければそれこそ物議を呼ぶだろう。
最大限便宜を図るという非公式の申し出に、しかしカタキヤーク侯爵は首を横に振った。
「おそれ多いことでございます、陛下。オージ殿下の不信を招いたは偏に娘の努力不足。この始末は身内にてつけるつもりです。レオナは今さら他所の人間と改めて婚約も難しいでしょうから、謹慎の後はアンソニーと添い遂げさせます。トニーも自身のカタキヤークとの血の遠さは気にしていたようですから、縁組みに前向きになってくれましてな。レオナも此度のことは重く責任を感じておるのですが、立場を変えて少しでも自分の力が国の役に立つならばと気持ちを新たにしておりまして。まだ未熟な子供たちですが、王家に輿入れこそしませなんだものの、今後は王家と王国の忠実な臣下として、ともに侯爵領を盛りたててくれることでしょう」
「貴様っ!やはり、やはり謀りおったのではないか!!」
激昂する王に対して侯爵は神妙な姿勢を見せつつも再びの上機嫌である。
「レオナ嬢ならば黙っていても引く手あまたに決まっておろうが!それをぬけぬけと……他所に嫁に出さずば愛娘を手元に置けて、ただでも英才教育の跡取りの隣にあの才能ならばさぞや領地も安泰であろうよ。きっさま、アンソニーに婚約者を用意しなかったのもそれが理由か!」
「これは異なことを、陛下。息子は妹の婚姻によっていずれ王家の縁戚になるとの自覚があったからこそ、慌てて下手な相手を選んではと身を慎んでおったまで」
にまりと毒々しい笑みを浮かべ、ここでカタキヤーク侯爵は渾身の嫌みを放った。
「まあ?親がどれだけ子供のためにと御膳立てしたところで婚約が壊れることもあれば、子供の方で言うことを聞かず勝手な相手を見繕ってしまうこともあるようですがな!後継の責任をよく考え自らを律することのできる我が子に恵まれたというのは、父として冥利につきるというものです」
積年の恨み思い知れとばかり国王に思うさま毒を吐き、婚約解消を滞りなく勝ち得た侯爵は意気揚々と帰途についた。