前編・侯爵令嬢、第二王子、男爵令嬢ら
架空の国が舞台ということでジャンル異世界を選択しています。魔法や転生や特殊能力などの異世界らしい設定はありません
きらびやかな会場に楽団の奏でるワルツと着飾った人々の談笑する声音とが混じりあいさざめいている。
そんな和やかな空気を打ち壊すかのような無粋な怒声は、場違いな響きでもって多くの招待客の注目を集めることとなった。
「ああ、もう我慢ならん!お前のような底意地の悪い女が未来の王家に連なるなど許されることではない、お前と婚約などしていたことが間違いなのだ。聞け!ムーゲメトオ王が子息、私オージは、カタキヤーク侯爵家息女レオナとの婚約をここに破棄する!そしてこの可憐で清らかなシュジコワ男爵家令嬢アマリリスを新たな婚約者とすることを宣言する!」
ざわ、ざわと周囲は不穏な展開に困惑を隠せずにいたが、一国の王子に対して正面から異を唱えられるものはいなかった。
そう。名乗りに偽りなく、会場中に響けとばかりに高らかに婚約破棄を言い渡したのは、艶やかな金髪を輝かせすらりと長身の体躯も堂々とした、美貌でもって知られるこの国の第二王子オージ・ムーゲメトオその人であった。
彼の正面には一人の若い令嬢が立っており、彼の背後には小柄なこれもやはり若い令嬢がその背に隠れるようにしてモジモジと様子を窺っている。
彼の周りには屈強なのやら線の細いのやら彼に負けぬほどの体格やらの、とにかくいかにも育ちの良さそうな貴公子たちががっちりと固めており、位置関係としては小柄な令嬢を庇いつつ、正面の令嬢に相対している。王子側複数人対令嬢一人の構図である。
貴族子女を教育する学園の卒業式、門出を祝うパーティーの真っ最中のことであった。
「まぁ……」
糾弾され、今まさに婚約破棄を言い渡された侯爵令嬢レオナは、しかし取り乱さなかった。
大輪の薔薇とも女神とも例えられる美しさに翳りはなく、平均よりも高い身長は姿勢の良さもあり彼女を実に堂々として見せる。
学園行事としてのパーティーながら卒業生の歴々や賓客も招かれるこの催しの格式は高く、ドレスコードに沿った正装にはそれを着なれた者の優美さが伴っていた。
卒業を祝すというテーマに従って、彼女が学園で役職を務めた風紀委員会のシンボルカラー、群青のドレスを選んだことも見る人が見ればすぐにわかる遊び心であり、そのユーモアはパーティーが始まってからすでに幾人もの同窓や招待客らに賞賛されていた。
艶やかな黒髪を若い娘らしく流行のかたちに、一筋の乱れもなく結い上げている様は、支度をした使用人の質の高さ、ひいては実家の隆盛であることを無言のままに示していた。
胸元を飾るカメオは品質そのものは飛び抜けて高価ではなく、学生が身に付けるに相応しい程度の宝石だが、流麗な細工がひときわ目を引く。カメオの加工はとにかく手間隙のかかるものであり、職人は年々数を減らし、伝統の技は現在では残念ながら失われたものも多い。その為新作よりもアンティークに価値があるとされるところ、カタキヤーク家の家紋が精緻に刻まれたそれはまさしく名人の今では早々お目にかかれない技であり、価格には置き換えられない価値がある。その飾り物が親から娘へと継承され、今も美しく保たれていることが、彼女の家の伝統と格式の高さを嫌味なくしかし如実に表している。
ほぼ完璧を体現している令嬢の装いの唯一の違和感としては、王子の婚約者という身分でありながら王家由来の宝飾品を何一つ身に付けていない点が挙げられるが、場にふさわしくもなく声高に告げられた先の婚約破棄宣言を思えば誰しもがその事情を察するというものだろう。
王家由来の一つである高価な宝石があしらわれた指輪は、レオナの長く形の良い指ではなく、王子の背中に慎みなくも張り付いた男爵令嬢アマリリスの指にはめられていた。
薄桃色の巻き毛がくるくると小さな輪郭を飾る、可憐な美少女である。
こうしたパーティーの場にいかにも慣れていないらしい、どこかおどおどとして頼りない姿は周囲の男性の庇護欲を誘い、しかし普段の学生生活では快活で飾らない笑顔を振り撒くことを、王子をはじめとしたアマリリスの取り巻きの誰もが知っていた。
ただしそんな彼女を知らない外部の招待客から見れば、全く疑問ばかりが募る存在でもあった。
男爵家としてみるとやけに質のいいドレスは羽振りのいい新興貴族を思わせる。が、実際のところはオージの贈り物である。
けれど総絹の高級さよりも、まず目を引かれるのはいやに少女性を強調してくる意匠だ。お菓子のように甘い桃色に、レースとリボンでこれでもかと飾り立てた華やかなシルエットは彼女によく似合っている。まるで幼い子供が夢見るお姫様が絵本から飛び出してきたような印象を見る者に与えた。
卒業式という節目に本日の主役たちの誰もががあえてすこし背伸びした落ち着いた装いを見せる中、たった一人自分だけが主役であると言いたげな誰よりも手間とお金をかけたとわかるドレスが、成熟を拒否するかのような無邪気で夢のある仕上がりであるため、どうにも彼女だけがどこか別の舞踏会にでも参加しているかのように見えた。
それこそこの場が王子の婚約披露パーティーでもあれば、なるほど今宵の主役は彼女かと、納得できたかもしれない。
普段のオージとアマリリスらの学園生活を知る生徒たちは、その身分に伴う責任を放棄したような浮かれた様を苦々しく眺めていたが、そうした不快な思いを今や会場にいる招待客もが共有しようとしていた。
指輪ばかりでなく、本来彼女が身に付けるべきではないであろう価値ある宝石が、キラキラと惜しげもなくその身を飾っていた。領地が遠いためこの卒業祝いのパーティーを欠席したシュジコワ男爵夫妻が娘の晴れ姿を見ることがあれば、卒倒していたのではないかと思われた。
そんな風に最愛の少女を飾った元凶であるオージは、先程の婚約破棄宣言と新たな婚約宣言では飽き足らず、むしろその勢いを借りて言葉を続けようとしていた。
「このレオナがどんな女か、語るのも忌々しい。この女は権力を笠に着て、私の愛しいアマリリスに信じられない嫌がらせを……」
「オージさま、私のことならいいんです!レオナさまを責めないで差し上げてくださいませ」
「アマリリス……お前、あれだけの目に遭っていながらまだこの女を庇うのか。なんと心の清らかで美しいことだ」
「そんな、やめてください、そんなじゃないんです!もう、恥ずかしいから」
「アマリリス……」
非難の声もしりつぼみに二人の世界を展開されて、レオナは暫く待ってみたもののこちらに向けての発言に続きがない。らちが明かないと判断し、勇気ある発声をした。
「畏まりました、殿下。ではわたくしどもの婚約は無かったことに。カタキヤーク侯爵にはわたくしから事情を申し伝えます。王宮には後日、おそらく父と同道することになるかと思いますが、ご挨拶に伺います。今日まで誠にありがとう存じました」
そうして美しい淑女の礼を見せる。
出鼻をくじかれ、ぽかんとしたのは王子とその取り巻きである。
「な……」
王子は当然、何らかの抵抗があるものと考えていた。そうしたらお高くとまったレオナの罪を数え、動かぬ証拠で反論の余地を奪うつもりだったのだ。思いがけないことに、うまく頭が回らない。
固まる王子の傍らに取り巻きの一人が進み出た。
「そうやって罪を逃れようとしても無駄ですよ。貴女がアマリリスにしてきた非道は許されざることだ。おおかたしおらしいふりをして、あとでお父上に泣きつこうとでも言うつもりでしょうが、貴女に殿下の婚約者を続ける目はないのだと理解されるべきですね」
いち早く気を取り直してそう指摘したのは王子の取り巻きであるデッカー、宰相を務めるズノウン公爵の嫡子である。いずれは父の跡を継ぎ次期宰相にとも期待される秀才はさすがに頭の回転が違うと、王子は気をよくした。
「そ、その通りだぞ!レオナ、潔く諦めるんだな!」
貴公子たちからの謂れのない断罪に、レオナは困惑を隠しきれずにいた。
「嫌がらせですとか罪などという部分に心当たりはないのですけれど……けれど婚約破棄については、間違いなく承服しましたわ。殿下、わたくしたちの婚約には成立条件がございますものね」
「せ、成立条件……?」
聞き慣れない言葉に王子は思わず自らの側近を振り返るが、秀才デッカーも知らなかったようで、たじたじと沈黙している。
ここで王子を取り巻いていた貴公子の別の一人がおもむろに一歩前に進み出た。
「『オージとレオナの婚約継続には必ず両者の合意を必要とする』……王家とカタキヤーク侯爵家との取り決めです。そもそも愛娘を他所に嫁がせることを渋りに渋った義父が、我が子可愛さのあまりに王家に飲ませた条件ですから。当事者であらせられるとはいえ、殿下がご存じないのも無理はありません」
王子一行にそう語りつつ、そのまま囲みを離れレオナの傍らに立ったのはアンソニー、カタキヤーク侯爵が王家に嫁に出す一人娘に代わって自らの後継にと、遠縁から引き取ったレオナの義兄である。
文武両道、将来を嘱望される青年はごく幼い頃から溢れていた才気でもって侯爵に見初められた。その際、侯爵は特に秀でた容姿までをも求めたわけではないのだが、年頃の娘が熱い溜め息を吐かずにはおれない抜群に端整な容貌の持ち主でもある。
前年に学園を卒業したOBだが、本日は婚約者のエスコートを投げ出したオージに代わり、また職務のため会を欠席したカタキヤーク侯爵の名代に指名され、身内としてレオナのパートナーをつとめ祝宴に参加していた。
「義兄が申します通り、もとはわたくしの父の申し出とはいえ、殿下からの意思表示でも当然条件は適用されますもの。殿下が婚約に異議ありとの仰せですから、破棄ではなく婚約は継続不可で無効になりますわ。両家に報告さえしましたらすぐにも手続きに移れますから、ご安心くださいませ」
「立ち合いました私も証人として義父に申し伝えましょう。必要とあらば王宮にも馳せ参じます。善は急げと申しますし、義妹ともども本日は失礼しようかと思います。せっかくの晴れの場を騒がせてしまったようでもありますし、ね」
義兄の視線を受け、レオナは一歩踏み出し会場に向けて声をあげた。
「皆さま、お騒がせして申し訳ありません。なにも問題はございませんから、今のことはほんの余興と思ってどうぞ引き続きパーティーをお楽しみくださいませ。わたくしは一足先に失礼させていただきますが、卒業しましても変わらず仲良くしていただければ幸いです」
この口上を受けて何となく一件落着の空気が流れ、中には拍手など送る者もいた。
きょうだいは「せめてファーストダンスと来賓挨拶が終わった後で良かった」などと語らいながら帰り支度を始めている。
「えっ、アンソニー君まで帰っちゃうの!?その人と一緒に!?」
そこに水を差したのが、アマリリスの思わず発してしまったという風な甘く舌っ足らずな声だ。
平等を謳った学園生活ならばともかく、すでに卒業した目上の子弟を君づけで呼びつける無礼には気付かないようで、大きな目を潤ませて甘える様子はアンソニーを味方と思い疑ってもいなかった。
「ええ。今日の私はレオナのエスコートですから」
さも当然と、応えるアンソニーはにべもない。その声音には嫌悪も好意もなく、平坦で事務的で内心を読ませなかった。
アマリリスは、在学中は他の取り巻き同様いつも自分の傍らにいてくれたアンソニーが自身に好意を抱いていることを盲信していた。
実際のところはアンソニーはカタキヤーク侯爵家の意向でオージ王子の派閥として王子に侍っていたのだが、アマリリスは王子の取り巻きをイコール自身の取り巻きであると思い込んでいるのだ。
他の側近たちは事実アマリリスに恋情を抱いているのだから、まるきり的外れという訳でもないのだが。
そして今回も分かりやすい否定でなかったためか、アマリリスは怯まなかった。
「でも、だってその人……レオナさまは、私のこと……」
決定的な言葉は言わず、潤んだ瞳と弱気な仕草で望みの成果を得ようとする。アマリリスという少女の己の魅力をよく心得た必殺の技である。
男爵家という家格ながらにして自国の王子に見初められ、女性としての魅力だけを武器に婚約者である侯爵令嬢を押し退けその立場におさまり、ゆくゆくは王族に名を連ねらんとしている。それはアマリリスにとって届きうる限りの成功であり、今まさに届こうとしている夢だった。ここで引くわけにはいかないと、アマリリスにはよくわかっていた。
王子の婚約はなくなりそうだという。それはいい。しかしそれだけでは、自分がのしあがるには圧倒的に足りないのだ。
公衆の面前で、王子の婚約者として幼少から定められていた侯爵令嬢の瑕疵をあげつらうことと、有力な貴公子を確実に数多く味方につけること。
せめてそれだけの条件をも満たせなくて、どうして人生をかけた野望が果たせようか?
「おお、アマリリス。可哀想にそんなに怯えて。レオナ嬢、貴女はこれでも良心が痛まないのか?よくも自分より立場の弱いものに手酷い真似などできるものだ!貴女の悪行はとうに知られているのだぞ」
釣れたのはガイ・タフマン・マッスール。騎士団長を務めるマッスール伯爵の嫡子であり、自らも武芸をたしなむ肉体は鍛え上げられている。まっすぐな正義感を胸に抱く彼の瞳は義憤に燃えていた。
「そのように一方的なことを仰られましても……わたくし、一切身に覚えがないと申し上げるよりありませんわ」
恐れも怯みもせず、さりとて激昂もせず、ただ困ったことだと眉を下げてレオナは告げた。興奮のあまりマッスールが返す言葉に詰まった一瞬、アンソニーの冷静な声が差し挟まれた。
「お互いの主張が平行線であるなら、私は義妹の言うことも君たちの言うこともどちらが真実かと判断する立場にない。しかしそれを言い争う場がここでないことだけははっきりしていよう。言い分があるならば後日しかるべき場をもうけて存分に究明すればいいだろう、いつまで晴れの場を騒がせるつもりか。さあ、レオナ」
「ええ。皆様、今宵は卒業を祝っていただきありがとうございました。学園での素晴らしい学びの日々は決して忘れません。それではお先に失礼いたします」
そうして無粋な騒動を引き受けるようにして侯爵家のきょうだいは鮮やかに会場を去り、消化不良な様子の王子一行が取り残されたがパーティーは盛り上がりを取り戻してつつがなく進行した。