赤い糸
審査会という名の裁判を経て、魔王グルメと話し合いをし、ミスフォーチュンで絶望を知らされてから何日ほど過ぎたのだろうか。
知らないし、数えてもいない。
俺はあの日からヒッキーになり、今もこうしてダンジョン最奥28階層の隠し扉の向こう側――マスタールームのベッドで布団を頭から被っている。
「ユーリ、街の方は着々と出来上がっているようですよ。一度お散歩がてらフィーネアと一緒に見に行きませんか?」
あまりにも情けない今の俺を見て、普通の子なら幻滅して去っていってしまうだろう。
だけどフィーネアはこの数日、片時も俺の傍から離れようとはしない。
いつも通りの微笑みを俺に向けてくれているが、眉は八の字を描き困ったように見える。
そんなフィーネアを掛け布団の隙間から覗き見て、ますます自分が情けなくなり、そこから出られなくなっていた。
「ユーリ殿っ! 水臭いではござらんか。やはり街に銭湯を作ったのでござるな。それがしは今から……うふふ。楽しみでござるなユーリ殿」
転移の指輪を使い部屋にやって来た明智が陽気な声を響かせている。
明智はあの時のグルメとの会話を覚えていない。
覚えていたらこんな風に声を弾ませていないだろう。
と、言うのも。
ミスフォーチュンを出るときにヴァッサーゴからサービスとして貰った物は消去スプレーと言う便利道具だった。
それを使い、あの時の誤った情報を明智の記憶から消去したんだ。
ヴァッサーゴは言った。
過去にこの異世界にやって来た者は誰一人として還っていないと。
それを聞かされた俺は歩くことは疎か、立ち上がることさえ出来ずにいる。
誰も還ったことがないなら世界中を旅したところで意味がない。
それは言い換えれば誰も知らないということなのだから。
希望を失った俺は自らに消去スプレーを使用しようとしたが、フィーネアに力ずくで止められてしまった。
情けないことに貧弱な俺ではフィーネアに敵わなかったんだ。
フィーネアは消去スプレーを俺の目の届かないどこかに隠してしまったのだが、きっと俺が命令すればすぐにそれを差し出すだろう。
だけど、俺はそれを口にはしない。
だって本当はそんなことをしたところで意味をなさないことくらいわかっているんだ。
ベッドの中、瞳を閉じると瞼の裏側に浮かぶのは家族の顔だった。
母さんに父さん、姉ちゃんと妹。
記憶の中の家族を思い浮かべると、目頭が熱くなって想いがそこから溢れ出しそうだった。
「ユーリ殿っ! いつまでそんなところで芋虫になっているでござるか」
「よせ、やめろっ! 俺に構うなっ、もうほっといてくれよ!」
明智は布団を剥ぎ取ろうと力任せに引っ張ってくるが、俺はそれを必死に掴み取り押さえつける。
すると今度は顔を近付けてきて、フィーネアに聞こえないように囁いてきた。
「ダンジョンから少し行った街、ソフィアに女郎街と呼ばれるところがあってでござるな。それはそれは……うふふ、でござる。気晴らしに一緒に行かぬでござるか?」
明智は誘惑してくる悪魔のように耳元で囁いてくる。
正直……少し、いやかなり興味はあったが、俺は明智を突き飛ばした。
「ほっといてくれって言ってるだろ!」
「ユーリ殿……」
深い溜息が聞こえる。
わかってる。
フィーネアも明智も俺のことを気にかけてくれているのだろう。
だけど引きこもりと化した者にそれは逆効果でしかない。
一生懸命外に連れ出そうとされればされるほど、反ってそこから出られなくなってしまう負のスパイラル。
「すまぬなフィーネア殿……それがしの力では芋虫になってしまったユーリ殿を元に戻すことはできぬでござる。面目ないでござるよ」
「いえ、気にしないでください」
弱々しい二人の声音が俺の胸をきゅっと締め付ける。そんな感覚を覚えた。
それから数時間――俺は今日もベッドから起き上がれずにいる。
食事はフィーネアがベッドまで運んできてくれて、布団に包まりながら食べた。
「美味しいですか? ユーリ」
正直味がしない。
それは美味しくないという意味ではなく、言葉の通り味がしないだけだ。
声の方角へチラッと視線を向けると、フィーネアが慈愛に満ちた表情で俺を見つめている。
燃ゆるような紅髪と鮮やかな薔薇の花びらのような双眼。
ここがお城で彼女がお姫様だと言われたなら、疑う者なんていないだろう。
白魚のような透き通る肌は一流のパティシエが泡立てたメレンゲのようにきめ細やかで、つい手を伸ばして触れてみたくなる。
だけど、今の俺にそんななことは出来ない。
こんな情けない姿を晒していると思うだけで、海の底に沈む物言わぬ貝になりたいと思ってしまう。
フィーネアはそんな俺の気持ちを察したのか、儚げに微笑んで背を向けた。
「少し席を外しますので、御用がありましたら業務連絡用のマイクでお呼びくださいね」
言い、フィーネアはマスタールームを出て行ってしまった。
一人ぼっちになった俺は無駄に広い部屋を呆然と見渡した。
聞こえるのはこの口から漏れ出た、情けないというような溜息だけ。
俺はゆっくりとベッドから出て、誰もいないこの隙にトイレへ駆け込み用を足してから、再びベッドに戻ろうとした。
した――のだが、不意に姿見に映った自分自身と目が合う。
酷くやつれた頬にボサボサの髪の毛。まるで自分が自分じゃないみたいだ。
「なんだよ……なんか文句あんのかよ」
俺は鏡の自分に喉を震わせた。
「黙ってねぇーでなんとか言ってみろよ! 俺だってこの数ヶ月頑張ったんだよ。ホントはチビっちまうくらい怖かったけど、オークロードとも戦ったんだ。必死に今日まで耐えてきたんだよ! なのに……なのに、還る方法はないって言うんだぜ。誰一人として過去に還ったことがないって言いやがるんだぜ? 俺じゃなくたって心が折れるだろ……」
心が折れると同時に膝も折れた。
俺はその場に座り込み、床を睨みつける。
俯いてばかりいてはダメだ。
そんなことは誰かに言われなくたってわかっている。
だけど、床に縫い合わされたようにこの眼は一点を見つめたまま動いちゃくれない。
「はは、本当に……情けねぇーや」
誰も居ない部屋に乾いた笑いは虚しく響く。
「もう何日くらい風呂に入っていないんだろうな?」
正直、体のあちこちが痒かった。
ダンジョンの中からは外が見えないので、正確な時間を確認することはできないが、多分もう夜だろう。
俺はろくに力が入らない体を無理やり起こして、ダンジョン内をモニターで確認する。
見ているのは25階層の街だ。
最後に確認した日から随分と様変わりしている。
巨大なダンジョンシティーが完成間近だった。
「そういえば……明智が銭湯と言っていたが、できたのだろうか?」
俺は銭湯建設地をモニターに映し出した。
「すげーマジで出来てる」
巨大な神殿型の銭湯は、まるで天女たちが住んでるんじゃないかと思うくらい立派な外見をしている。
俺はポリポリと背中を掻いた。
「風呂……入るか」
モニターで銭湯神殿の周囲を映し出し、誰も居ないことを確認してから転移の指輪でその場に移動した。
コソ泥のように周囲をキョロキョロ見渡しながら神殿の中に入って行く。
すると、懐かしい匂いがする。
子供の頃によく家族で行った風呂屋独特の匂いだ。
その匂いに思わず頬が緩む。
俺は男マークの暖簾をくぐり脱衣所に向かった。
脱衣所で服を脱ぎ、そのまま白い湯気が立ち上る浴室へと向かう。
大理石で作られた床と浴槽内には数本大きな柱が聳え立っている。
ガーゴイル石像の口からはジャバジャバと浴槽に湯が注がれ、まるで魔王城の風呂みたいだなと感心する。
俺はすぐに湯船に浸からず、まずはしっかりと体と髪を洗い、この数日間の汚れを洗い落とす。
それからじゃぶんと水しぶきを上げて湯船に浸かった。
「極楽だな」
とは言うものの。
馬鹿でかい柱を背もたれにこれから先のことを考えると、やはり無意識に溜息は溢れてしまう。
風呂の中でも頭の中を横切るのは還れないかもしれないという不安だけ。
十分風呂に浸かり疲れきった体と心に僅かばかしの英気を養い、そろそろ出ようとした時――誰かが風呂へやって来たのか、ペタペタと足音が聞こえてきた。
誰だろうと煙る視界に目を凝らしてみると、タオル地を巻いたフィーネアがぼんやりと見える。
「!?」
びっくりし過ぎた俺は思わず柱の影に身を潜めた。
なんで男湯にフィーネアがいるんだよ!?
ここ男湯で間違ってないよな?
俺は混乱する頭で何でこんなことになっているのか考えた。
そして一つの考えに思い至る。
ちょっと待てよ。この数日間誰が現場監督を勤めていたんだ?
ダンジョン内の魔物たちは街を作ると言っても街がなんなのかいまいちわかっていない。
だから街を作るときは街を知っている者、つまり俺を除けばフィーネアか明智の2人が現場で指揮を執っていた。
しかし、フィーネアはここ数日俺に付きっきりだった。
さらに銭湯を理解しているのは明智だ。
俺は明智に内緒で銭湯を作るつもりだったが。
あの設計図に描かれていた銭湯に気付いた明智が急ピッチで作らせたとしたら……。
『――混浴にするでござるよ、ユーリ殿』
間違いない。あいつの仕業だ!!
入口は男女別々だが、どちらもここに繋がっていたんだ!
俺はクソッと水面を叩きつけた。
すると――
「っ!? 誰かいるんですか?」
不味い! フィーネアに気付かれた。
湯船に拳を叩きつけた音に反応して、フィーネアがゆっくりとこちらに向かって来ている。
湯船は波紋を描き、穏やかに湯が波を打つ。
フィーネアがもうすぐそこまで来ている。
このままではフィーネアと対面してしまう。
先程はタオルを巻いていたからまだセーフだが。
湯船に浸かる時に外している可能性がある。
……こうなったら仕方ない。
躊躇っている場合ではないな。
「とっ、ととと、止まるんだフィーネア!」
「その声!? ユーリですか?」
俺の上ずった声に続いて、フィーネアの慌てた声が風呂場に木霊する。
「お部屋から出られたのですね。フィーネアは少し嬉しいです」
ホッとしたような吐息が聞こえると、いつものフィーネアの優しい声が響いてきた。
その問いかけに、俺がどう返事を返したらいいのかわからずにいると。
「そっちに行ってもよろしいですか?」
「えっ!? いや、ちょっ……」
ジタバタする俺の前に、胸元をタオルで押さえたフィーネアが現れた。
濡れそぼる紅髪はいつものポニーテールではなく真っ直ぐに下ろされ、水滴を弾く肌に俺は釘付けになってしまう。
それはまさにフランチェスコ・アイエツによって描かれた『水浴びするバテシバ』のように美しい。
頬を染めて視線を外し、だけどその美しい顔はしっかりと俺に向けられている。
我に返った俺は恥ずかしくてぷいっと顔を逸してしまった。
鼓動は高鳴り、膨らませすぎた風船のように破裂寸前だ。
そんな俺の横にそっと腰を下ろすフィーネア。
その肩が俺の肩と微かに接触すると、お互いビクッと背筋を伸ばした。
そしてお互い逆の方角に顔を向けて彼方を見つめること数分。
先に沈黙を打ち破ったのはフィーネアの方だった。
「ユーリは元の世界に還れないと思っているんですよね? だからここしばらく元気がなかったんですよね」
「……うん」
俺はフィーネアの方に顔を向けることができず、ただ相槌を返すことしかできない。
「こんな言い方をしたらユーリは怒ってしまうかもしれませんが、フィーネアはユーリがこの世界に来てくれて良かったと、心から思っています。ユーリにとっては最悪な出来事でも、フィーネアにとっては素敵な出来事でした」
「……フィーネア」
俺がフィーネアの方に顔を向けると、気恥ずかしそうに、だけど幸せそうに微笑んでいた。
フィーネアは静かに体をこちらへ向け、俺の手を優しく握りしめた。
「ユーリにとっては嫌な世界でも、フィーネアにとってはユーリと巡り逢えたとても素敵な世界です。世界は角度を、見方を変えるときっと180度違って見えてくるんですよ。ユーリのこの手はこれまでも幾多の困難を乗り越えてきました。誰にも思いつかない方法で困難を乗り越える姿に、フィーネアは……」
何かを言いかけて言葉を飲み込むフィーネア。
だけどその紅瞳は真っ直ぐ俺の瞳に映り込む。
「フィーネアは信じています。燃え盛る炎の中でも決して臆せぬ強さを持つユーリなら、きっと誰にも思いつかない方法で目的を成し遂げると」
その言葉に嘘偽りは感じられず、フィーネアは本気で俺を信じている。
そんなフィーネアに、俺の口からはつい本音が漏れた。
「俺に……できるかな?」
「できます!」
即答だった。
いつになく力強い声とその眼差し。
そこに一切迷いは感じられない。
「もしもユーリが挫けそうになったらフィーネアが何度でも支え、暗闇で前が見えなくなった時は、フィーネアがユーリの目となり希望の炎を絶えず燃やし続けます。泥濘に足を取られたなら抱き上げて、恐れで立ち尽くす時にはこの手を強く握りしめます」
澄んだ紅蓮の瞳を俺に向け、握られた手にギュッと力が込められる。
すると突然立ち上がったフィーネアが力いっぱい俺を抱きしめた。
タオルは剥がれ落ち、直接伝わる柔らかな感触が顔一面を包み込むと、予想もしていなかったフィーネアの行動に俺の脳みそは完全にオーバーヒートし、思考が止まる。
「だだだ、だからいつもみたいに元気になってください。フィッ、フィフィフィ、フィーネアはユーリの笑った顔が……大好きなんです!!」
微かに震えるフィーネアから伝わる振動と温もり。エコーがかかる浴室で残響するその声は、幾重に重なり俺の鼓膜を優しく揺らした。
それは同時にこれまで抱え込んでいた不安や孤独を優しく包み込み、折れたはずのハートに優しく包帯が巻かれていく。
俺はしがみつくようにフィーネアの体へと手を伸ばして、泣いた。
情けなく、みっともなく、三歳児が母親に泣きつくように、こぼれ落ちる涙を止められない。
「怖かったんだ、もしも還れなかったら家族に二度と会えなかったらどうしようって考えるだけで、眠れないんだよ」
「……はい」
「あの日以来なにを食べても味がしないんだよ」
「……はい」
「どこに向かって歩けばいいのかもわからないんだ」
「……はい」
嗚咽と共に紡ぎ出される本音の数々。そんな俺の言葉にフィーネアはただ優しく相槌を打った。
『かっこ悪いだろ? 幻滅しただろ?』と云うように俺が吠える度に、『かっこいいよ』と云うように髪を優しく撫でる指先と掌は、すべてを吐き出してもいいんだと俺に優しく語りかける。
心の防波堤を意図も容易く乗り越えた感情は止まることなく、隠し持っていたナイフを差し出すように吐露させる。
「ユーリはきっと元の世界に還れます。その時はユーリの大好きな世界を案内して下さい」
「……うん」
「恐いなら恐いと言ってもいいんですよ。一人で強がらないで下さい」
「……うん」
「今度は手作りの料理を作りますね。お口に合えばいいのですが」
「……うん」
「行く宛がわからないのなら二人で手を繋ぎ、探しましょう。道に迷うときもずっと一緒です。一人じゃないのだと感じさせてみせます」
「……うん」
どれくらいの間、抱き合い言葉を交わしただろう。
まるであや取りのように、ほつれず崩さず丁寧に糸を取り合った。
その糸は俺とフィーネアの心を通わせて、まるでこの赤い糸が俺たちを巡り逢わせたのではないかと思ってしまう。
運命の赤い糸――それはきっと言葉でできていたのだろう。
その日――俺は久々にぐっすりと眠れた。
きっとフィーネアが子守唄を口ずさむ母親のように、添い寝してくれたからだろう。
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