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検索除外作品

願言(ねがいごと)-見せて、誰もみたことない君を-

作者: アンリ

 星が流れて 月が落ちて

 日が昇ったら 君に会いたい


 夜が終わり 朝が来る

 そんな何気ないことのように

 ただ一人 君に会いたい


 願いごとはしない

 願うことはしない

 神様も奇跡も 信じていない


 願いの言葉を紡ぐだけ


 会いたい

 会いたい

 

 ひっそりと 心の中で

 願言ねがいごとを紡ぐだけ


 大切な君に会いたい、と

 誰も見たことのない君を、と


 *


 長いだけの部内会議が終わって一番にフロアに戻ると、私のデスクで同期の柚木ゆのきが何かをしていた。きっと頼んでいた資料のまとめが終わって報告に来てくれたのだと思うのだけど、柚木の手には私の愛用する猫柄の手帳があり、手帳は開かれており、その目はしっかりと見てはならないものを見ているのだと分かった。


「……なにこのポエム」

「返してっ」


 けれど柚木は私の手帳を上に持ち上げ、もう一方の手で私との間に壁を作ってきた。こうなるともうダメだ。身長差ゆえに手帳にまったく手が届かない。


「勝手に見ないでよ! いじわるしないで早く返して!」

「お前が手帳を広げっぱなしだったのが悪いんだろうが」

「プライバシーの侵害で訴えてやる!」

「だったら言わせてもらうけど」


 柚木が背を縮めて私の顔をぐっと覗き込んでくる。


「……な、なによ」


 まだ誰もフロアに戻って来てなくてよかった。

 こんな風に顔を近づけているところを見られたら、誰に何を言われたものか分かったものじゃない。


 ……それにこんなことでドギマギしてしまっているところも。


「俺のほうこそ傷ついているんだけど」


 柚木が訳が分からないことを言い出した。


「何のこと?」

「こんなポエムを読ませられて、俺が傷つかないとでも思ったのか」

「……ああ。なるほど。そういうことね」


 つまりはへたくそなポエムが目に入って嫌な気持ちになったと、そう言いたいのだろう。まあ確かに私には文才はないし、三十間近の社会人がこんなふわふわしたものを書いていたら、同い年の人間としては「げ……」と思うかもしれない。


 得心がいくと、柚木が満足気に腕を組んだ。


「分かったならいい……って、こら!」

「あはは。隙を作った柚木が悪い」


 奪い返した手帳はポケットに無理やりねじ込む。


「さ、もうそろそろみんな戻ってくるし、柚木も自分のフロア戻ったら?」


 経理部の柚木のフロアは企画部の私のフロアからけっこう遠いところにある。


「あんまり長い時間戻らないと、仕事さぼってると思われちゃうよ」


 と、廊下の方から小さなさざめきが聴こえた。


「ほら、もうみんな戻ってきてる」

「相変わらず耳いいのな。ほら」


 差し出されたクリアファイルには印刷物が挟み込まれており、表の形式や数字の大きさはもはやテンプレに近い。一瞥すれば中身は察せられた。


「あ、固定資産のまとめね。ありがと」


 やっぱりこれのために来ていたのだ……と少し残念になってしまう自分には気づかないふりをする。


「でも今度からは私のスケジュールチェックしてから来た方がいいよ」


 イントラネット上で『見せるため』のスケジュールを公開しているのはそのためで、社内の人間であれば誰もがそうする。


「あ、でも、こうやってわざわざ手渡しするほどの書類でもないんだし、社内便使ってくれれば」


 これまた、面直での会話を重要視しない昨今においては常用される手段だ。


 と、柚木がむすっとした顔つきになった。


「……面白くない」


 言うや、手を伸ばしかけていたファイルを引っ込めて肩まで持ち上げる。


「やっぱり何も分かってないだろ」


 何事かと視線がそちらに上がるや、柚木の細めた目とかち合ってドキリとした。柚木は私の心を読み取ったかのように一層目を細めてみせた。けれど口元に笑みを浮かべてみせるあたりが憎らしい。とはいえ反撃する暇は与えられなかった。男にしてはきれいな手が私の頬に触れ、あっと思った時にはキスをされていたからだ。


「……な! ななな!」


 何をするんだ、その一言が言葉にならず、「ななな」とばかり繰り返す私に、当の柚木はしれっと身を引き、唇についた紅の色を親指で拭うと、ファイルを私の机に無造作に置いた。


「左手の薬指」

「は?」

「そこにはめている指輪の意味、分かってる?」

「……結婚指輪、だけど?」

「だったら俺が不機嫌になった理由は分かるだろ」


 思考が止まった私に「ああもう」と眉間にしわを寄せた柚木がにじり寄ってくる。


「本当に分からないのか?」


 その時、ドアが開いてメンバがぞろぞろと戻ってきた。


「おー、ダブル柚木。夫婦で何してるんだー?」


 先頭を歩く部長がこちらに気づくや、からかうような笑みを向けてくる。


「あ、部長。これは違うんですっ」


 柚木が一瞬早く身を引いてくれたおかげでまずい状況は見られていないはず……なのだけど、部長含めメンバの誰も私の否定を信じていないようだった。


「やー、梅津さんたら。だいたーん」


 にやにや、ふふふ。好意的な反応は不幸中の幸いだけど、大勢の中で変な注目を浴びてしまっている。疲れを感じて早めにミーティングの場から抜け出させてもらったはずが、まさか誰もいないフロアで夫婦でいちゃついていたと勘違いされるとは。あ、ちなみに梅津とは私の旧姓で、職場ではこちらを使っている。旦那はもちろんこの男、同期の柚木だ。


「そろそろお昼だし二人で早めのランチしてきたらどうだい?」

「ありがとうございます」

「もうっ。余分なこと言わないでよ」


 声を潜めて制止したが、みんなからは生暖かい視線を受け続け、柚木にも「せっかく配慮いただいたんだから」と軽く脇をひじでつつかれ、最終的には「……ありがとうございます」と部長やみんなのご好意をいただくことになった。



 *



 ビルから出た途端、思った以上に強い風が吹きつけてきて足が止まった。暦の上では春が来ているとはいえ、まだまだ冬真っ盛り、痺れるような冷気だ。肩にかけたストールだけではなんとも頼りない。


「大丈夫か?」


 少しよろめいてしまった私を、柚木が背中に手をあてて支えてくれた。


「あ、ありがとう」

「気をつけろよ」


 スーツ姿の人が目につくオフィス街で、柚木が私の手をさりげなく握った。これまた恥ずかしい。知り合いに見られたらどうするんだろう。……でも、嬉しいと思うのは――。


「あのね」

「うん?」

「いつも私のこと大事にしてくれて……ありがと」


 柚木は黙って私の手を握り返してくれた。

 分かってるってことなのだ。


 ありがとう、と、今度は言葉に出さずに胸の内でつぶやく。


「それより、さっきのポエムのことだけど」

「え?」

「あとでじっくり聴かせてもらうからな」

「まだ気にしてたの?」

「はあ? 気になるに決まってるだろ。俺は旦那なんだぞ」


 そう、あなたは私が世界で一番好きな旦那様。


 私のことを一番よく分かっていてくれる人は――あなた。


 神様も仏様もいないと思っていたこの人生にあなたという光が差し込んで――それから私の毎日は見違えるように美しいものになった。


『見せて、誰もみたことない君を』


 この世界に味方はいない、私を理解してくれる人も誰もいない――そんなもの、求めてもいけない。そう思い詰めて一人頑なに生きてきた私を、あなただけが解きほぐそうとしてくれた。


『もっといろんな君を見せてほしい』

『……無理言わないで』

『どうしてそんなことを言うんだ。俺はもっと君のことを知りたいだけなんだ』

『……きっと幻滅するに決まってる。それに』

『それに?』

『正直に言うと……怖いの』


 掴みかけた光は、だからこそ失うのが怖かった――。


『確かに怖いかもしれない。けど、それも全部俺が引き受けたいって言ったら?』

『……え?』

『君のすべてを見たいのは君が好きだからで、君のすべてを知りたいのは君のすべてを護りたいからだ。軽い気持ちで言ってるわけじゃない。だってほら……触ってみて。俺の手、馬鹿みたいに震えてる』


 あなたは怯える私ですら受け止めると言ってくれた。そのためにあなたは私にもとっておきのあなたを見せてくれた。強くて頼りがいのあるところだけではなくて、弱くてみっともないところも――。


『こんなに震えるほどに好きになれる人は君以外にはいないよ』

『だったら……私のこと絶対に離さないでいてくれる?』

『離さない。死ぬまで離さない。君がそばにいさせてくれるかぎり――』


 あれからずっと、あなたは私の言葉のすべてを丁寧に聴いてくれている。私の願いのすべてを叶えてくれている。


 本当のことをいえば、私もいつでもあなたに会いたい。朝と夜、家で会うだけでは全然足りなくて、オフィスですれ違えた日には上機嫌になってしまう。でもただ会うだけでは物足りなくなることもある。近づきたくなるし、話したくなるし、見つめ合って――キスもしたくなる。


 あなたはそんな私の気持ちも分かってくれているんだよね。


 なのにどうして、あの詩の意味は分からないんだろう。そんなことを思いながら、緩やかに膨らみつつあるお腹をそっとなでた。


「ていうか、大の男が外でポエムって連呼しないでよね」


 日差しの柔らかさと仄かに香る花の香りに、すぐそこに来ている春を感じながら――照れ隠しの言葉を小さく紡いだのであった。



 ――願いごとは言葉にしなくちゃかなわないんだって、教えてくれてありがとう。

お読みいただきありがとうございます。

こちらはツイッターで流れてきた診断メーカーをきっかけに生まれた作品です。

自分のユーザ名からタイトルとキャッチコピーを作ってくれるというもので、私の「アンリ」で出てきたタイトル「願言」とキャッチコピー「見せて、誰もみたことない君を」を使って執筆しました。

お気に入りユーザ様である宮里薪灯様も同じ診断メーカーを使って出てきたタイトルを使った作品を同日同時刻に投稿しております。宮里様、このたびはご一緒ありがとうございました!


そして遥彼方様の「ほころび、解ける春」企画に飛び入り参加しています!

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― 新着の感想 ―
[一言] 冒頭の詩から始まり、甘いリア充なふたりのお話。 オフィスラブかと思いきや実はもう夫婦で、ますます甘~くなったなと思えば、素敵なベビーも授かりそうな。 読後感がとっても爽やかで暖かで。 胸に…
[良い点] オフィスでラブラブですね。 ポエムも良かったです。 初めはいじわるな男だなと思いましたが旦那だったとは。 引き付けらる内容でした。
[一言] 冒頭の詩からあの展開になるとは全く思っておらず、一本とられました。 身内にポエムを見られるとか、中々にしんどい事件ですね。 私には耐えられそうにありません。 いじられたらキレるかも笑 いや…
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