彼らの昔話(1)
ロイスの身体が崩れ落ちた。俺は呆然と動かなくなったそいつを見下ろす。すると、先程の乱闘を聞きつけたのだろうか。兵士たちがわらわらと集まってくる。
「ああ、失敗してしまったなぁ。」
そう軽くラルクが呟き、何か呪文のようなものを唱え、やつの姿は砂のように崩れ去った。
兵士たちが駆け寄ってきて死にかけているロイスを治療部屋へと運んでいく。信じられなかった。先程まで減らず口を叩いていたこいつが死にかけているなんて…。
数人の兵士がお怪我は?などと聞いてくるのが聞こえてきたが、俺はそれに答えず走り出した。何とかしなければ…。そう思い向かった先はあの神殿だった。
昼間だと言うのに神殿の中は昨日と同様に薄暗く静まり返っていて、聞こえてくるのは水の涌き出る音だけであった。
「おい、女神!」
俺はありったけの声で叫んだ。神殿中に響きわたる。一向に反応はなく、また静かな水の音が聞こえるばかりである。
「はっ、はははっ…」
渇いた笑いが俺の口からこぼれる。神なんざ居やしなかったのか…。それは俺の中ではわかりきっていたことだった。現にあのときだって…誰も助けてくれやしなかったじゃないか。
俺はこの国の第2王子としてこの国に生まれなにもかも不自由なしに暮らしてきた。それはおれが15才になったころ、一変した。最初は父の様子が少しおかしいといったささいなことであった。昔から父と母の仲は良く、互いに愛し合っていたはずだったのに、父が突然母によそよそしくなったのだ。母も何がなんだか分からないといった様子で日々を過ごしていた。しかし、そんな毎日に耐えきれなくなったのか、母が父を問い詰めた。
「私が何をしたって言うんです?気に入らないならそうとはっきり言ってください」
そう言った母の顔は涙に濡れていた。俺が気丈な母の泣く姿を見たのは後にも先にもこれ一回であった。父は申し訳なさそうにすまない、と言い母の元を訪れる機会もめっきり減った。そんなある日、母の大声で目が覚めた。そっと寝室の扉を開けて隙間から覗くと、母は鬼の様な形相で兵士を怒鳴り付けていた。
「そんな女、殺してしまいなさい‼私からあの人を奪ったあの女を‼」
そのときは何のことだかわからなかったが、後に噂である村落がこの国の兵士によって壊滅状態に追いやられたというのを聞いた。ああ、この事だったのか…。幼かったこともあり、これで前みたいにくらせるのか、と俺は安易な想像を膨らませた。ところが父は一向に戻って来る様子はなく、父は今まで以上に冷たくなった。それから暫くしたある日、母が夜、寝室を抜け出すのを見た。俺はどこに行くのだろうと思い、こっそり後ろをつける。廊下を通り庭に抜けると、そこには父が待っていた。母が父に走りより抱きつく。
「やっと戻って来てくれたのね。」
嬉しさに母が涙を流しているのにも関わらず、父は無表情のまま母の背中に手を回した。
「おまえが…あの人を殺したのか?」
父が感情を押し殺した様な声で問う。
「ええ」
母は忽然とした表情で答える。その答えに満足したように父も
「そうか」
と穏やかに笑って、母を抱きしめ、その身体にナイフを________突き立てた。母の口から血が流れる。信じられないといった表情で母はどうして…と呻きすぐに動かなくなった。父が母を殺した。チチガハハヲコロシタ…分からない、いや分かりたくなかった。込み上げる吐き気を我慢して、部屋に戻る。これはきっと悪い夢なんだ。
そう思い眠るといつもと変わらない朝が訪れた。やっぱり夢だったのか。そう思い、母の部屋を覗くとそこには何もなかった。昨日まで母が生活していたその部屋には何一つ残されていなかった。心臓が嫌な音をたて、喉からヒュッと空気が漏れる。俺の前に影が落ち、後ろを振り向くと父がいた。父は静かな声で
「母さんは死んだよ。階段で足を滑らせたんだ。発見されたときにはもう………。」
と告げ、俺を抱きしめ頭を撫でた。身体は恐怖でガチガチに凍る。この人は一時は愛し合っていた妻を殺しておいてこんな顔が出来るのか、こんなことが出来るのか。父さん…そう呟くと彼は一層強く俺を抱きしめた。俺は心の中でその言葉の続きを吐いた。
“いつかあんたを殺してやるよ”
いつの間にか俺の頬には一筋の温かいものが伝っていた。気配を感じ、ゆっくりと瞼を上げると、そこには女神像とそっくりの女がこちらを見下ろしていた。